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エルゼ・冬の紅薔薇 3
夕食は日が傾く前に始まる習わしだ。
食堂には大きな暖炉があり、そこで燃やす炎と、細長い卓のうえ数カ所に置かれた燭台で明かりをとる。
エルゼは外出からもどると、黒の天鵞絨のスカートに着替えた。絹の光沢が美しいブラウスに黒の大きめのリボンを結んだ。
今夜の献立は、にんにくの香が食欲をそそる鱒の蒸し焼きに、茸と野菜のいためものをくるんだそば粉の薄焼き、牛乳を加えてまろやかな風味に仕立てた根菜類の汁物、くるみの焼き菓子だった。
鱒とくるみは、エルゼが散策のついでに採ってきたもので、ほかに茸と香草も摘んできた。
エルゼは今日見てきた沼のようすを思い出しながら、ゆっくりと食事をしていた。
不思議な場所だった。今ごろなら越冬の水鳥がいてもおかしくないはずなのに、鳥の姿は見えず、晩秋というのに、まだ蜻蛉が群れ飛び蕾をつけた花が繁っていた。
今日は天気もよく、暖かだったからだろうか……。
「泥くさいわ」
エルゼの斜め前に座る第一夫人のアステーデが、鱒を口にして顔をしかめた。
「毎日まいにち魚ばかり。我らには、こんな貧しい食事をさせておいて、お館さまは町で贅を尽くしたものを召し上がっているのでしょうね」
貧しい、とはいうがアステーデの体はたっぷりと襞のあるドレスに包まれ、まるまるとしている。
エルゼは鱒に添えられた香草で、においを気にせずに食べていたが、アステーデはお気に召さなかったようだ。
「森には鹿もおりました。こんどは腕の立つものを連れてまいりましょう」
エルゼが急に食事の手をとめた子どもたちを気遣い返事をすると、アステーデはわざとらしく大きなため息をついた。
「そういうことではなく。ほんとうに、お勉強以外なにも分からないかたね。おぐしに枯れ葉がついていてよ。そんなだから、お館さまも寄りつかなくなるのよ」
エルゼは慌てて髪から赤い枯れ葉を探り当てた。髪の色とよく似ていたため見落としたのだ。
「母うえ」
ヘルフリートが眉一本動かさずに、母親であるアステーデを諫めるような声をかけた。
「若い室がいればよいかと思い、わたしもあなた方の輿入れに賛同したのに、このざま」
エルゼは瞬間喉が詰まった。ユーリアは水で薄めたぶどう酒を手にしたままで止まっている。
「ガブリエラのあなたに、子は期待していないけれど」
「母うえ!」
「おまえもだわ、ヘルフリート。いいかげんに身を固めなさい。どうしてレクラム家との縁談を蹴ったりするの? むこうの持参金をちゃんと確認したうえでのこと?」
「母うえ、幼いものたちに聞かせるようなことではありませぬ」
アステーデは、膝にかけたいたナプキンを音をたてて卓に置くと、緩慢な動作で立ち上がった。
「さっさと代替わりしてしまえばいいのだわ」
ひとわたり室内を険しい眼差しで見ると、アステーデは食堂から立ち去った。おつきの侍女が、くるみの菓子がのった白磁の皿をもって慌てて後に続く。
まるで嵐が過ぎ去ったかのよう。けれどエルゼの胸のなかは、かき乱されたままだった。
子は期待していない……もとよりガブリエラやガブリエルが子を成すことは稀だ。もし出来たとしても、出産は危険を伴い、文字どおり命懸けなのだ。
しかしエルゼの場合は、それ以前のこと……婚礼の夜以来、二年間捨て置かれたままだ。
「お魚、おいしいです。エルゼお母さま」
カミルの声が耳に届き、エルゼはまばたきした。かすかに開けたままだった口を一度閉じ、カミルに微笑みかけた。
「ありがとう」
「くるみのお菓子も!」
レーラが弟に負けずにエルゼに話しかける。エルゼは幼いなりの心遣いに胸が熱くなった。
「スグリがまだ残っている場所を見つけたの。次はそれも摘んでくるから」
エルゼが明るい声で話しかけると子どもたちは頬を輝かせた。
向かい側のユーリアと目配せし合う。子をもうけたとはいえ、ユーリアにも夫たるイグナーツの訪いはなく、子どもたちの面倒を見る以外にこれといった楽しみはない。館に半ば閉じ込められているようなものだ。
外へと出歩けるぶん、自分のほうが気晴らしをできるのではないだろうか。
次の外出にはユーリアも誘おう……エルゼはそう思った。
にこやかに二人は笑みを交わして食事を再開した。
「エルゼさま、食事がすみましたら執務室へおいでください」
ヘルフリートが早々に食事を終わらせて立ち上がった。
また何かしら苦言を呈されるのだろうかと、エルゼは緊張した。
「アルマサナスから届いた荷が執務室にあるので」
聖都の名を聞いてエルゼは目を見開いた。
「は、はい。すぐに」
アルマサナスからの荷物、送り主はきっと……エルゼは焼き菓子の残りを口にした。
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