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写本制作室 ―スクリプトリウムー 2
それは私がまだ北西ラァス修道院に来て間もない八歳くらいの時、新星暦320年代のことだ。
閏十一月の夕暮れ時、茜色に染まる銀の盾を月が登り始めたあたりに、風変わりな客人がみえたのだ。
私はお仕着せの粗末な修道服に薄い革のサンダル履きの書写生見習いだった。
その日は戸外での雑務ばかりをしていた私は、かじかむ指先に息を吹きかけた。
けれどひび割れた指は暖まらなかった。
最初に修道院に通じる山道を登ってくる二人連れを見つけたのは私だった。
現れたのは、亜麻色のくせ毛を無造作に後ろで結んだ灰色の目をした三十歳くらいの男性と、フードを目深にかぶった華奢な従者だった。
「修道院長はおいでだろうか」
男は埃だらけ厚手のローブの懐から、紹介状らしきものと蝋封された手紙の二通を取り出すと門番に渡した。
手紙にざっと目を通した門番は私を手招きし、執務長を呼んでくるようにと、両方の手紙を合わせてよこした。
手紙を胸に抱え、ひんやりする回廊を執務室に急いだ。
「お客さまからです」
手紙を渡すと、のっぽで痩せぎすの執務長は顔色を変えて走っていった。いつもは澄ましてお高くとまっている執務長が…。
執務長に追いつくと、客人に向かって何度も頭を下げてる最中だった。
「早く湯桶を用意してさしあげなさい」
焦りながら、わたしに命じた。
亜麻色の髪の男は温和な笑みを浮かべていた。隣に立つ従者を近くで見ると、それは『天使』だったので、私はひどく驚いた。
淡い金髪に碧玉の瞳の天使ーガブリエル・ガブリエラはだまって佇んでいた。
もっともガブリエル・ガブリエラはたいがい無表情で無口と聞いていた。まるで精巧に造られた彫像のよう。
私と同年代の男児が呼ばれ客人の足を湯桶で洗った。私は男の客人を洗ったが、隣の天使を盗み見していた。
ローブのフードで顔を隠すようにしてうつむいていたが、切れ長の目や長いまつげが見えた。
天使の足は汚れを落とすと真っ白になり寛いだのか、ため息をもらした。
多分見とれていたのだろう。客人が私の髪の毛をくるくると指に巻いた。
「すまない、私の子どもの髪とよく似た巻き毛だったから」
にこり、と人好きする笑みを私に向けた。あわてて私は足を洗うことに専念した。
どれほど歩いて来たのだろう。足裏全体が堅くなり、すっかりごわついていた。
「お客様は銀の盾を越えていらしたのですか?」
私がたずねると、ゆっくりとした語り口で答えた。
「あの山脈を越えられる者はいないだろう。私たちは海辺から来た。さすがに山の麓までは遠かったね」
そんな遠くから!!
南の海辺から北の銀の盾……当時山脈の麓まではろくな宿場もなく、ただ漠々とした荒野を五日ほども歩かねばならなかった。
馬も驢馬も使わず、つまりは懐があまり豊かではないらしいが、修道院に下にも置かぬ手厚いもてなしをされる客人とはいったい何者なのだろう。
「ありがとう、足が軽くなったよ」
洗い終わりると、客人は立ち上がり再び私の髪を優しく撫でて礼を言った。
一行は執務長の先導で回廊の向こうに消えていった。
私は初めて見た完璧なガブリエル・ガブリエラの姿を脳裏で何度もなぞった。
「すごくきれいだったな」
一緒に足を洗っていた男児が言った。
ガブリエル・ガブリエラは両性の人物を指す。
翼はないが、天使の名前を二つ重ね、空の眷族であることを知らしめる。それらの人々には異能者が多く存在するというはなしだが、私のような下々のものは天使に会う機会などまずない。
ガブリエル・ガブリエラは領主が一手に集め管理養育する決まりだから。
両性といっても、男性により近い場合はガブリエル、反対の場合はガブリエラと呼ばれる。しかし、中にはごく稀にその調和の中間の存在が生まれる。
それが天使と呼ばれる、ガブリエル・ガブリエラだ。
数的にも少ない天使を侍従にできるなんて……やはり領主や貴族といった特権階級に属するひとなのだろう…私はそう思った。
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