星を舐める

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 少女は星をこの目に写すことを夢見ていた。  いつか、夜には一切の自然の光が差し込まないこの暗闇の街に、星々が輝くことを願っていた。外套の光しか知らない少女は、星に手を伸ばすことをやめなかった。いつか、いつか、絵本の中の星が空に煌めくと願ってやまなかった。  だが、少女は次第に理解していく。この世界に星というものは存在しないと。星というものは御伽噺の世界でしか煌めかないのだと。  少女はそっと絵本を閉じた。そして、ゴミ箱に捨てた。  その夜のことだった。  『飴細工屋』と書かれた看板をぶら下げ、小さな屋台がやってきた。  そこでは一見すると男だが、所作などに所々女性のような雰囲気を醸し出す中性的な店主が、次から次へと客の要望に従い、飴細工を形作っていく。水飴を何度も引き伸ばし、中に気泡を入れた白飴でイルカや蝶などをみるみるうちに生み出していく。棒が刺され、着色されたそれは、まるで生きているかのようだった。  夜が深まっていくにつれ、客も家へ帰っていく。やっと客が全員散ったところで  「あの…」 と少女は思い切って声をかける。すると 「いらっしゃいませ。私が知っているものなら何でもお作りしますよ」 柔らかく笑って店主はそう答えた。  その言葉で少女の頭には、今日ゴミ箱に捨てたばかりのあの絵本が過ぎった。手が届かなくても、見えなくても、知っているならきっと…  少女は一縷の望みを託して 「星って、作れますか?」 と訊いた。 「星、ですか?あのよく児童書に書かれてある…」 店主は小首を傾げながら、綺麗に整えられた白い手を顎下に当てる。 「出来ませんか?」 少女は下を向きながら尋ねた。諦めはとっくの昔についている。 「いえ、作ることは可能ですが…なぜ星なんですか?」 店主は不思議そうに言い、 「皆さん、蝶や梟、御伽噺の世界でしたら一角獣などを所望しますので」 とも付け加えた。少女は真っ暗な空を見上げながら、言葉を紡ぐ。 「もし、本当にあったら素敵じゃ無いですか。ランプを消したら闇しかないこの世界で、たった一つでも星があれば。誰かを導いてくれるかもしれない」 最後の一文は少女の願いにもとれた。 「迷子なんですか?」 店主は静かに少女に向かって問いかけた。 「はい。もうどこに向かえばいいのか分からなくなってしまいました」  星に手を伸ばすことを諦めた少女は、迷子だった。叶いもしない願いを抱えておくのは重すぎた。しかし、いざ手放したら少女には何も無くなってしまった。それだけ、星を夢見ていたと言えば聞こえはいいが、ただこれしか拠り所が無かっただけだった。それに今更気付いたのだ。  「少々お待ち下さい」 それっきり店主は黙々と飴を伸ばし、形成していく。少しずつ形になっていくそれは最初、五つ角があるイラストでよく見るような星に見えた。  少女は渡されてみて、初めてその飴細工の仕掛けに気付く。その星はただの星ではなかった。その中に絵本で見たような満天の星が閉じ込められてあったのだ。  「どうぞ食べてみてください」 店主が勧めるので、少女はまだ出来立てでほんのり暖かい飴細工を口に含んだ。が、少しだけ眉を顰めて、そっと口から出してしまう。 「甘ったるくて、とても食べれたものじゃないでしょう?」 少女の行動は想定内だったようで、店主は眉を下げて言った。 「飴細工は外見だけが美しく内容の伴わないものという意味の比喩表現があるくらい、見かけが一番なんです」 少女は店主の真意が見抜けず、戸惑ったような顔をした。 「現実の星も一緒ですよ。たとえ見えたとしても、ただ綺麗なだけ。しかも中身はガスらしいですし。つまり空っぽなんですよ」 だから。 だから、そんな必死に追わなくてもいいんです。迷子になってしまったら、また新しい道標を探せばいいんです。  「夢を捨てることは、そんな簡単な話じゃありません」 ただ絵本をゴミ箱に入れるのとはわけが違う。少女は唇を噛んだ。 「夢を捨てる必要はありません。大切に残しておけばいいんです。ただそろそろ、肩の力を抜いてください」 そう言われてやっと、彼女は立ち止まれた気がした。  星に魅せられ、追って、気付けば戻れないところに来てしまっていた。戻る必要もないが、そろそろ立ち止まってもう一度行く道を考えてもいいはずだ。  目標は消えてしまったけれど、新しく作って、少し楽に歩いていこう。  少女は店主と別れ、手に持った飴細工を暗闇にかざす。思ったよりも自分が探していた星は手の届く範囲にあったのかもしれない。  少女はもう一度星を舐め、ゴミ箱から絵本を取り戻そうと心に決め、歩き出した。
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