星空が泣いている

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 しばらくしてようやく彼女が口を開いたかと思えば、先のよく分からない質問だった。  それまでじぃっと海岸線を眺めていた彼女はこちらに顔を向けることはなく、やがて姿を現してきた夜空を仰ぐ。  よく分からない質問を投げかけられたのは全く初めてではなかったが、今日のそれはとりわけどういう事なのかわからなかった。  俺はじぃっと彼女を見つめるが、何か答えのヒントをくれるわけでもない。 「ごめん、わからない。そもそもどうして涙なの?」  彼女は口を(つぐ)んだままだ。  普段は大きく可愛げのある目を細めているらしい。  星明かりを受けるその目は新月だ。  そこにあるはずの艶やかな髪や、華奢な身体のシルエットは今は見えない。星空の明かりはとても僅かでしかなかった。  相変わらず黙りこくる彼女に聞こえないようにはぁと溜め息を漏らした時、不意に彼女は口を開いた。 「ほら。見て」  彼女に倣い、夜空に目を移す。 「おお……」  さっきとは違う溜め息が思わず漏れた。  そこに広がるのはいつの間にか星をふんだんに纏った空。そしてその中をなぞる光が一筋。また一筋。  砂浜には他にも人がちらほら来ており、所々で静かに歓声が起こる。  そういえば早ければ今日辺りから、しぶんぎ座流星群がよく見えるということでトレンドになってたっけ。  思えば昔、小さい頃、彼女にいつか本物の流れ星を沢山見たいねって言ったっけな。  あれは確か彼女の誕生日の日──だったか。  まさかあの頃の約束は覚えているはずないよなぁ。  俺も今まで忘れていたし。もう十年は経っている。  忘れているだろう、きっと。 「綺麗だねぇ」  ぽつりと、どこか穏やかな声色になった彼女がそう言った。そしてちらりとこちらを見ているような気がした。 「ああ」  そう応えながらそろりと隣を見ると、しかし彼女はやはり星空を眺めているだけだった。 「星空が泣いている」  ふいに彼女はそう零した。  俺は満天の星から目を離さず、返事もせずに黙る。  流れ星の数は想像していたより多く、そして想像していたよりもゆったりと──確かに涙が頬を伝うようだ。  ぽろぽろと流れる空の涙を眺めながら、彼女は半ば己に言い聞かせるように話し始めた。 「この涙はなのよ」 「宇宙が地球に涙をこぼして──失くして、その一瞬を私たちは流れ星として見ているの」  彼女が口にしていく言葉の意味ははっきりとはしない。  けれど、先より増して彼女は言葉を一つ一つしっかりと紡いでいた。  だから俺は、彼女の話に静かに耳を傾ける。 「宇宙は多くの流れ星を地球に失くすけれど、その多くが空気にすりおろされて消えてしまう。そして、それをこうやって眺めている私達は、その一つ一つの姿形をやがて忘れ去る」 「宇宙には他にも落とし物だらけだわ。流れ星のような落とし物もあれば、私達人間ならありふれた財布だとかを失くしたり、キーホルダーを落としたり。大切なものでも失くしたりするわ。そして時に私達は形のないものを失くすこともあるわね」  落とし物……か。  俺は一つ、彼女が言いたいことに心当たりがあった。  多分、きっとそうなのだろうと思う。  こう、回りくどいというか、捻った言葉で彼女が何かを言う時は、大抵言いづらいことをしかしなんとか伝えようとする時なのだ。  しかし、そう考えるも口に出せない俺に、彼女は久しく見せてこなかったその顔を覗かせて訊いてきた。 「私の事好き?」  彼女は口をぎゅっと結び、震える瞳の焦点を懸命にこちらに合わせようとしていた。  まるで雲に隠れようとする、か弱い光で瞬いている名前の知らない星のように。 「好き……だったなぁ」  俺がそう呟くと、明らかに彼女が俯いたようだった。  そして彼女もぽつり呟いた。 「私も好きだった……。そして、どこかに落としてしまったみたい。その気持ちを」  あっけなく交わせた言葉により、再び俺たちはこれ以上の言葉を失った。  星空が涙を流しながら見守るこの砂浜で久しぶりに過ごす二人の時間がこうも儚く、包もうとする掌から逃げてゆくような実感は、今更だから感じるらしい。  いくつもの星が流れてゆく。  どれだけの時間が経ったかわからない。  きっともう砂浜には二人だけだ。
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