01-02 いにしえの英雄

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01-02 いにしえの英雄

「おい劉裕(りゅうゆう)、すげぇなアンタ!」  後ろからのチャラい呼びかけに、露骨に寄奴(きど)がしかめっ面をする。あんま他人の好悪を表に出すことがねェアイツにしちゃ珍しいことだった。  しかし、アイツを劉裕、って呼ぶのはどうしても慣れねェな。先生に取っちゃこっちの名前のがなじんでるだろうし、そもそも今日びアイツのことを寄奴って呼ぶ奴ァ己くれェしかいねェんだが、そこはまァ、勘弁してやってくれ。  声の主、名前は諸葛長民(しょかつちょうみん)。割と名家の生まれらしく、ゴロツキ上がりの己らたァ、もう身なりからして違う。底抜けに明るいってか、一言でいやお調子者って奴だな。 「いや本当、流民あがりに何が出来るかって思ってたんだがな! あんだけ鮮やかに勝たれちゃ、もう拍手しかねぇわ!」  ……いい奴はいい奴だと思うんだがな。正直、何喋れば虎の尾踏めンのかって考え尽くしてるようにしか思えねェのが、こう。  寄奴がピクつくこめかみを軽くほぐして、ひと呼吸、ふた呼吸。何とか怒気だけは誤魔化して、けど仏頂面までは誤魔化そうともせず。アイツにしちゃ我慢してる方だとは思った。何せ今までァ、そのケンカっ速さだけなら天下取れンじゃねえの、って感じだったしな。 「そう言うお前も、ずいぶんな大活躍だったそうじゃねえの。もっとも、」  言って寄奴が、アゴで長民の後ろ、ひょろっとした風体の、いかにも根暗そうな野郎に水を向けた。 「だいたいの手柄は、そっちの檀道済(だんどうさい)のお陰、って話も聞くけどな?」  ぴく、って反応したんな、むしろひょろひょろ、檀道済の方だった。長民ァまるで激する様子もねェ。どころか、「だろぅ?」と鼻高々になりさえしやがった。 「本当、すげぇよコイツは。ウチで飼ってた時にゃただの根暗だと思っちゃいたが、いざ戦場に連れてけば、どうよ。まるで別人だ」  あっけらかんと背中を叩いてくる長民に対して、道済は立ち上げかけた怒気のやり場に戸惑ってるみてェだった。 「ねぇわ、こりゃ」寄奴が呆れ顔で独りごちる。  そいつが全く耳に入らなかったか、あるいは言葉の含みに気付きもしなかったのか。「おめぇもすげぇが、俺らもすげぇぜ!」長民が、今度は寄奴の肩を乱暴に叩く。  そしたら、 「うわ、莫迦(バカ)が移る」  己の後ろから、にべもねェ呟きが飛んできた。  吹き出しそうになったが、そこは何とか堪えた。 「なんで()兄ィと言い、兄貴の周りには莫迦ばっか集まるかな」 「そりゃおめェ、穆之(ぼくし)よぅ。アレが莫迦の総元締めだからだろ」  あと、しれっと己まで混ぜ込むんじゃねェ。穆之の頭を小突く。  寄奴の弟、穆之。  先生もよっくご存知のあの皮肉屋は、あの頃からもう絶好調だった。 「ななな、劉裕! ぶっちゃけ敵にも味方にもろくな奴らはいねえんだ! ここは一つ、どうだい? 俺とお前さんとで組んで、蜀漢(しょくかん)の主従よろしく、いっちょどデカく名を上げねえか!?」  まるで周りに憚ることもなく、平然とそう言い切るのは、ある意味では肝が据わってる、って言っちまってもいいのかもな。これで後はそろそろ寄奴の堪忍袋の緒が切れそうだってことを察してくれたら最高だったんだが。 「ねぇ、諸葛先生」  そこに、穆之が割って入る。骨組みこそちんまいが、寄奴そっくりの目鼻立ちが満面の笑顔してんのを見ると、穆之には申し訳ねぇが、正直気色悪りィ、と申し上げざるを得ねェ。 「蜀漢の、ってこた、先生が諸葛亮(しょかつりょう)役? 兄貴が劉備(りゅうび)で?」  長民は唐突の問いかけに呆気にとられたみてェだったが、ややあってその鼻の穴がぷくっと膨らんだ。そんで「おっ、まさか知ってる奴がいるとはね」ときた。  軍隊に入って知ったんだが、お偉い方々ってのァ、昔の偉人やら英雄やらを把握しててなんぼらしいな。確かにちまたでも、面白おかしく始皇帝(しこうてい)だの劉邦(りゅうほう)だのの名前は聞かねェでもなかったが、そういったごっこ遊びどころじゃなく、史書の一句一文まで覚え込む勢いなんにゃ、いやはや、己みてェな無学モンはもう感心するしかなかったよ。 「おうともよ、この大晋国の危地に立つ英雄二人が、劉と諸葛! いにしえの二人が叶えられなかった悲願を、時をこえて叶えようッてんだ! 誰でもアガるってもんだろ!」  ひとり勝手に盛り上がる長民と、苛つきてんこ盛りの寄奴。まぁ申し訳ねェが、この画を目の当たりにして笑うなって方が無理だよな。むしろここで平然としてた穆之がすげェよ。 「いや、諸葛先生、ありがとうございます! 愚兄をそんなに買ってくれるなんて!」  へりくだりがまんま寄奴へのおちょくりになってる辺り、まったくお見事この上ねェ。「あン?」と凄みかける寄奴については、さすがに己が留めおく。穆之の「いい仕事だね、旿兄ィ」よろしい目配せは見えなかったことにする。 「けどね、先生。匈奴族リウ部の狼藉(ろうぜき)は知ってます?」  穆之の、それは露骨に挑発だった。  ここに至って、初めて長民の顔からニヤけが消えた。  嫌悪、あるいは恐れ、だろうか。 「……おいガキ、ケンカ売ってんのか?」 「いやいや、まさか! うちの兄貴への分不相応な賞賛に感動しちゃいまして!」  誰から見ても、その返しが言葉通りの代物じゃねェのは明らかだった。  穆之の声を、野次馬どもが聞きつける。  ガタイだけで言やガキンチョと力士みてェなもんだ。人目が集まれば集まるほど、長民の立場が悪くなる。  さしもの長民も、すぐにそこには気付いたみてェだった。渋々、といった体で穆之の問いに応じる。 「名乗りやがったな、あいつら。よりによって劉姓を。ただ、てめぇらの一族の名前が似てる、ってだけで」 「えぇ、本当に! 不遜(ふそん)きわまりない行いで!」  ここで穆之が言葉を切った。  そんで、ひと目が十分に集まったの見計らって、言葉を継ぐ。 「ただ問題は、それがどうもぼくらの先祖かもしれない、ってことなんです」  ひゅっ、と長民が、音に聞こえて息を呑んだ。  まったく、どこでそんな手管習うんだか。  匈奴族リウ部って言や、いったんは天下を統べた大晋国を長江の南に追いやった、まさにその原因なわけだ。長民になぞらえて三国志に例えりゃ「劉備だと思って組もうと思った相手が董卓(とうたく)の孫でした」ってなもんだ。  うまく二の句が継げず、口をパクパクしてる長民に、済まし顔で穆之が言う。 「どうせ組むなら、もっとご立派な劉備がいいんじゃないんです?」  そして指差したのが、軍の本営だった。
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