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01-09 白髪
馬に乗れる奴らを募られたんで、寄奴と己が手を挙げた。
さっきも少し話したが、寄奴はそれまで全く馬になんざ乗ったこたァねえ。そいつァ己も一緒だ。けど、この時にゃ乗れる確信があった。
「兄貴はともかく、なんで旿兄ィまで?」
訝りと心配が半々、ってとこか。穆之が馬上人になった己らに尋ねてきた。
「細けェこた、また後で話すさ」
「いきなり白髪になってんのに絡んでんのかい?」
「たぶん、な」
そう言って、手前ェの髪をなで付けた。
龍を浴びて、己だけが白髪になった。寄奴のヤツはそのまんまだったにもかかわらず、だ。たぶんだが、いきなり浴びた王さまたちの記憶に、己の頭だけが吹っ飛びかけたんだろう。
戦場ってな、とかく状況がめまぐるしく変わる。龍についてのこと、己と寄奴に起こったいろいろ。あん時ゃそんなことをゆっくり考えてる暇なんざ、まるでなかった。
追撃戦の肝は、どう大将首を落とすか、にある。そこが叶わねェんなら、せめて相手のうち、どんだけデケぇ首を落とせるかを考えなきゃいけねェ。でなきゃ無駄に味方が散らばるだけだし、ってこた、ちぃと敵さんが冷静になりゃ、逆に己らが狩られる立場になったりもする。
つまるとこ、
「待ち侘びたぞ、劉裕!」
「そう……かよッ!」
トゥバ・ギみてェのにとっちゃ、当然絶好の遊び場になるわけだ。
出会い頭に、例の槌が飛んでくる。斜め下からの、すくい上げ気味の一撃。こないだ寄奴を吹っ飛ばしたヤツだ。
寄奴に慌てた様子はねェ。剣を差し込むと、跳ね上げ、あっさりと槌を受け流した。
「芸がねえな、おい」
「なんの、ここからよ」
おいおい普通に言葉が通じてることに疑問持たねぇのかよお前ェら、ってお伝え申し上げてェとこだったが、脳筋どもはあっちゅう間に一騎打ちを堪能なさり始めた。
似たモン同士なんだな、つまり、あのアホ二匹。
ただ当然、そこに呆れてられる暇なんざありゃしねェ。トゥバ・ギの従える部下どもは精鋭だ。数こそ多かねェが、右から左から、己らの軍に躍り掛かってくる。
しかも、
「孫無終将軍! 崔宏の姿がねェです!」
「例の参謀か! 二段仕掛けは警戒せねばな!」
己らは川っペりを走ってた。見晴らしは決して悪かねェ。どうして、こんな奇襲に向かねェ所で仕掛けてきたのか。悪手にも程があんだろ、って思ったが、そいつを崔宏が仕掛けてきてる、って思うと不気味で仕方ねェ。
寄奴がトゥバ・ギに釘付けにされちまってる以上、一番怖えェのは孫将軍を殺られて、指揮がガタガタになることだ。だから己は他のおさむれぇ方と一緒に将軍の周りを固めて、
「助かるよ。お陰で、貴公を狙いやすくなった」
――後ろからの声は、崔宏のモンだった。
そう気付いた時にゃ、あえなく己ァ気を失わされちまってた。
「天王。仰せの通り、白髪の小僧を連れて参りました」
「大儀」
目が覚めたとき、己の目の前にいたのァ、他でもねェ。苻堅だった。
毛という毛が逆立つ。腕に矢が刺さってたり、鎧がちょくちょく破れてたりしちゃいたが、それ以外にゃ怪我らしい怪我もねェ。射すくめられる、ってな、たぶんああいうことを言うんだろう。全身が強ばっちまったのを感じた。
――旿、起きたのか! 何で苻堅の前にいんだ!
寄奴からの呼び掛けが届いてきた。己もよく分かんねェよ、そう返すことしかできねェ。
もう、トゥバ・ギは寄奴のところにいねェ。つまるとこ、何から何までが己を掠うためのお膳立てだった、ってことだ。ふと今回のことで拷問でもかけられたりすんのか、って思ったが、ただ、そういう雰囲気でもねェ。
苻堅の横には、明らかにただもんじゃねぇジジイが一人。そいつは、のちにトゥバ・ギと覇権を争うことになるムロン部の男、ムロン・チュイだった。
後ろに崔宏がいて、前にムロン・チュイ。その場にいたのァそいつらだけだった。別にふん縛られてるわけでもねェし、何かひでェ目に遭う、ってことでもなさそうではあった。ただ、この二人に囲まれちゃ、変なことすりゃ為す術もなく殺されるっかねェ状態だ。
「不作法な誘致を赦せ。先の戦の前、矢庭に白髪と化した汝に、奇しきを覚えてな。ひと目、顔を見たく思ったのだ」
わざわざここまでして、それだけ、ってこたァねェだろう。が、さすがの己でも、今この場で迂闊に龍のことなんざ喋らねェ方がいいのはわかる。
「いや、王さま。大したこたねェんです。己の隣にいた寄奴……じゃねェや、劉裕のヤツが、王さまについてさんざ脅かしてきやがったモンだから、心底ブルっちまいまして」
ほんの少しだが、苻堅が目を細めた。
「劉裕とやらは、だいぶ無礼な輩のようだな?」
「そりゃもう、ひでェもんで。だいたいアイツに付き合ったせいで、己ァこんな血みどろな目に遭わなきゃいけなくなったんでさ」
寂しがるような、懐かしむような。そんな苻堅のほほえみ。
苻堅以外の奴らにゃ、己らが何でこんなこと話してたか見当もつかなかったろう。第一、見当をつけさせるわけにはいかねェんだ。奴らに龍なんてモンがいることを知らせたら、そもそも己自身、どうなるかわかったもんじゃねェ。
だから、せめて。
龍が、誰の手に渡ったか。
それだけは伝えなきゃなんねェ。そう思った。
戸惑うムロン・チュイの元に、ややあって使者が来た。報告を受けると、すぐさまその顔つきが引き締まる。
「天王、そろそろ限界のようです」
「そうか。無理をさせたな、チュイ」
「我が業、主が意のままにて」
苻堅の無念がわかる分、ムロン・チュイの口惜しそうな表情にも合点がいく。ただ一方じゃ、己らがどんなモンを背負っちまったか、も嫌ってほどわかった。
「白髪。汝、名は?」
「へい、丁旿、って言いやす」
「そうか。丁旿、余にもたらされた凶兆の端を求め、汝に出向いてもらったのだが……思いがけず、快き問答をさせてもらった。感謝する」
あァそうか、これが王さま、ってヤツか。そう思った。
自分に降って掛かったもろもろごと、そいつらを恨むわけじゃねェ。悲しむわけでもねェ。ただ、受け入れてる。
腰を上げると、苻堅は腰に佩いた剣をほどき、己に投げて寄越した。ムロン・チュイ、そんで崔宏さえも驚きの顔を浮かべてる。どんな代物なのかは、二人の反応が全て、なんだろう。
「王猛と戦場を駆けた日のことを思い出せたよ。場が場なら褒美を取らせたいところだが、生憎と、汝に報いるには、今はそれしか見合う物がない。受けよ」
受け取ったそいつは、ただただ重かった。施された装飾がどうこう、の話じゃねェ。
受け取るや、己はそいつを脇に抱えた。
そんで苻堅に向け、手前ェにできる、一番の拱手をする。
苻堅がうなずいた。
「腕を失うは、丁旿。痛み、と呼ぶことすら生ぬるい。励めよ」
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