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01-10 論功行賞
「……詰まるとこ兄貴は、過去の王さまたちのことの他、旿兄ィの見聞きしてることもわかるようになった、ってことだね」
「嘘じゃねえからな」
「どうせ嘘つくなら、もっと他愛ないもんにして欲しいよ」
京口に戻り、寄奴ん家の納屋。寄奴、穆之、あと、己がいるだけだ。こんなけったいな話、おいそれと触れて回る訳にゃいかねェしな。
穆之が天井を仰ぎ、ため息をついた。
「じゃあ、こっからが大切なとこだ。兄貴、何がしたい? 言っとくけど誤魔化しは無しだ。したとこで、どうせザルの午兄ィからバレるけど」
いちいちこっちをイジんなきゃ気が済まねぇのかね、あのお坊ちゃんは。まァその通りだとも思っちまうんだが。
己と穆之が、寄奴を見る。
不思議なモンで、寄奴から己は筒抜けだったみてェなんだが、己から寄奴は見えたり見えなかったりだった。穆之は「幹と枝みたいなもんなんでしょ」って言ってた。わかるような、わかんねェような、だ。
「そうさな。今は、ぶっ壊してえ、としか言えねえ」
「ぶっ壊すって? 晋を?」
「何もかもだ。この国のクソどもも、江北のクソどもも。どいつもこいつも好き勝手暴れやがって、己らみてえな庶民のことなんざ、道ばたの雑草くらいにしか見てねえ。どっちも所詮、同じクソ袋でしかねえのによ」
「汚いたとえだなぁ」顔をしかめた穆之だが、ただ、その答えにゃまんざらでもねェようだった。
そっか、と目をつぶり、腕を組んで考えこむ。
ふと思う。京口での日々のこと。
女やガキどもがズタボロにされんのを見んのなんざ、割としょっちゅうだった。折しも寄奴も、そうした奴らのことを思い描いてた。また、そいつらを見下しながら、薄汚ねェ笑いを浮かべてた奴らのことも。
弱えェ奴らをいたぶるようなクソどもは、いくらぶっちめてもいなくなったりゃしねェ。それに、京口だけじゃねェ。淝水の行き帰りだって、道みちにゃ、飢えと病と死体が当たり前の風景になってた。
天下。あるいは、道。
王さまたちが、折々にその言葉を口にしてきてた。何ほざいてんだ、ってなもんだ。お高い夢の果てに、どんだけ関係ねェ奴らが死ななきゃならなかった。戦うことすら、許されねェままに。
「――よし。じゃあ、兄貴。旿兄ィとは出来るだけ早く、出来るだけ遠くに離れないとだ」
「は? 何でお前、そんな藪から棒に」
わかんないの、と顎と上げる。まァ堂に入った所作なこった。
「考えてもみなよ。伊尹、太公望呂尚、田単、商鞅、李斯。簫何に鄧禹、荀彧、陳元達。それから張賓、そして、王猛。王さまと一緒に龍を浴びたって人々だ。誰も彼もが不世出の天才って呼ばれてた。で、どのくらい高く見積もれば、旿兄ィのおつむがこの天才たちに並ぶと思う?」
「む……」
否定しろよ寄奴、って言いてェとこだったが、他ならねェ己自身が、そんな方々と較べられんのはご勘弁願いてェ、って思っちまう。
「兄貴は、今までの王さま達とは全く毛色が違う。ってことは、旿兄ィが背負った、苻堅の言う“腕”としての役割も、矍鑠たる名宰相、みたいなものじゃない。きっと、もっと隠微で、もっと細やかなものだ」
言わんとしてることの意味は、正直ほとんど分からなかった。だが穆之の言葉からは、アイツがとんでもなく深けェとこまで考えてたんだろうな、ってことは感じられた。
今なお思うぜ、龍に喰われたのが、己じゃなくて穆之だったら、ってな。
「兄貴に必要なのは、きっと、目なんだ。その為にも、旿兄ィには敵の中に潜り込んでもらわなきゃならない。敵を倒すには、敵を知る必要があるからね」
この時、寄奴は当然トゥバ・ギのことを思い描いてた。長い目で見りゃ、そいつァ決して間違った話しでもなかった。
けど、己も寄奴も勘違いしてた。
晋って国ァ、己らが思ってたよりも、遙かに根深く、病み爛れていやがったんだ。
都、建康で淝水の論功行賞があるって聞き、真っ先に食いついたのが穆之だった。
「お? 珍しいな穆之、そんなに旨めェ飯にありつきてェのか?」
「旿兄ィはほんと莫迦だね、見に行っとかないとヤバいから、行きたいんだよ」
いつもなら冗談で返してきそうなやり取りだったってェのに、とにかく穆之の返しに容赦がねェ。泣きそうな己の肩に手を置いてきた寄奴にしたって「いい加減諦めろよ」ってなもんだ。
「帝から宰相からが集まるんだぜ。そんなら、一等ぶっちめるべきクソだって、きっと見つかんだろ」
ひでェ大雑把な話に聞こえたのは、気のせいだったんかね。
寄奴は、万騎将軍下の驍勇って題目で式典に招かれてた。付き添いが許されたのは一人。己ァ喜んで、そのお役目を穆之に譲って差し上げた。
あの戦ン時、寄奴と何無忌みてェな感じで、各万騎将から先陣を崩す役割を負った精鋭が選出されたらしい。言ってみりゃ、朱序将軍のハッタリをどんだけもっともらしく聞かせるか、ってための人身御供だった訳だ。
万騎将は七人だから、驍勇は七組。うち四組は、乱戦の中で討たれたって聞く。生き残ったのァ、寄奴、何無忌の他に、魏詠之って奴だった。
仰々しい式典が進んで、寄奴が壇上に召し出された。そんで帝直々に褒美を賜ったときに、寄奴が「コイツはどうでもいいな」ってすぐさま切り捨ててたのがちょっと面白かった。
「で、穆之。見た感じ、どうよ」
「そうだね。朝廷、西府、そんで僕らの北府。正直、どこも面倒くさそう、かな」
「面倒って、そんだけかよ」
「そう実感できただけでも収穫さ。ただ、」
「ただ?」
穆之が目線で示したのは、西府の連中が固まってる辺りだった。
「今回、淝水は北府が主導で戦った。けど、気付けば一番の大物首は、援軍扱いの西府がかっさらってる。自分たちの軍に、被害はろくろく出さずにね」
西府。
建康からずっと西、南郡の地を本拠地にしてた軍団だ。淝水の前哨戦じゃ、きっちり奴さんらから土地を守り切った実績もある。
奴らは、己らが朱将軍の呼び掛けに応じた辺りで淝水に到着した。総崩れになった敵さんを見て、これ幸いと、そのケツをぶっ叩きに掛かりやがった。
結果奴らは、ドサクサに紛れて苻堅の弟、苻融を討ち取った。雑兵、将軍の首ならいくらでも挙がってたが、うちで言う万騎将以上の首ってな、苻融くらいっかねェ。
「奴らの様子を見るに、たぶんこの功績は偶然じゃない。もっかい言うけど、どこも面倒だよ。けど、一番厄介なのは、間違いない。西府だ」
穆之が苛々したような、それでいて心底愉しそうな。そんな顔つきになった。寄奴ももう、多くは語らねェ。「そっか」だけ言って、穆之の肩に手を置いた。
それから間もなくして、謝玄大将軍の叔父、晋国を束ねてた、謝安太傅が死んだ。
折しも、激しく雨の降りしきる日。
京口の街も、にわかに慌ただしくなったのを覚えてる。
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