幕間  謝子を賞す

1/1
前へ
/163ページ
次へ

幕間  謝子を賞す

謝太傅(しゃたいふ)ね。あの方にゃよくして頂いたよ」  先生が、遠い目で杯を傾ける。 「愛嬌のある方だった。ついでに言や小心者で、見栄っ張りで。向こうに回した相手に、いつもビクビクしてたクセに、ここ一番じゃどデカいハッタリを突き通す。ああ言うのをクソ度胸、って言うんだろうね」 「ひでェ言いようだな、オイ」 「しゃあなしさね。そんでも、結局はとんでもないことを成し遂げなさったんだ。ちょうど、()の。お前さんが語る劉宋王(りゅうそうおう)どのみたいな感じだ、って言えば話が早いかね?」  五柳(ごりゅう)先生ァ、いたずらじみた笑顔を己に向けてきた。畜生、って思うしかねェ。ここで寄奴(きど)引き合いに出してくんのは、いくらなんでも反則だろ。 「あーはいはい、分かりましたよ、じゃ謝太傅最高ってこってすね」 「実に話が早い、助かるよ君ィ」 「そりゃ痛み入ることで、ならついでに、謝太傅についてもう少し教えて欲しいんだが」 「構わないが、何をだい?」 「あの方が亡くなって、一気に(しん)がガタガタになってったじゃねェの。あん時はそんなもんだって思ってた。けど、今思うと、さすがに速すぎじゃなかったか?」  きふふ、先生が変な笑い方をする。 「つまり、それだけ太傅が偉大だったのさ」 「いやそう言うのはいいから」 「えー? なんだい、つれないねぇ」  そう言う問題かよ、思わずツッコんじまう。そしたら先生は不思議な笑みを残したまま「けどね、半分は本当なんだよ」って、また一杯を乾した。 「太傅でなきゃ抑えきれなかった。それほど、あの頃の晋の歪みはひどかったんだ。正直思うよ、あの方の早世(そうせい)淝水(ひすい)のせいだ、ってね。ぐちゃぐちゃな(しん)を、それでもあの時だけは(しん)に抗うよう団結せしめたんだ。あの性薄弱な太傅がよく踏ん張りなさった、って思うよ」  あの頃は、西府(せいふ)の力が物凄くてね。統領の桓温(かんおん)が北を攻めれば連戦連勝、一時期はそのまま捲土重来もなるんじゃ、って期待させたくらいだった。  ただ、そうもいうまくいかないのが世の常さね。のちに秦に服属することになる、ムロン・チュイ。奴の前に、西府軍はあえなく惨敗する。  元々この時点で、太傅は秦に対して最大限の警戒をしてた。加えて、そこに桓温を一蹴したムロン・チュイが合流したってんだから、たまらない。  それまでは、北は北、南は南で仲良く内輪もめを繰り返してきてたようなもんだった。秦は、間違いなくそんな太平楽な事態をひっくり返す。太傅はそうお読みになった。  チュイにボロ負けした桓温は、その後焦りからか、朝廷にちょっかいを出し始めた。あとは五胡どもとの戦いの中で、実感もしたんだろうね。「皇帝なんて、名乗ったモン勝ちだ」ってさ。揺らいだ自分の威光を、皇帝、っつう肩書きで補おう、ってんのさ。浅はかにもほどがあらあな。  さて、太傅は考えた。ボロボロになったとはいえ、西府軍は未だ強力だ。その勢力を可能な限り残しておけば、少なくとも強大化する秦への牽制にはなる。なら晋の国を護るためにゃ、その西府軍の強さをできる限り保った上で、北府(ほくふ)軍を更に精強なものとしておく必要がある、と。  だから、桓温については変に反逆者扱いにはせず、あくまで同じ晋国の臣として扱った。その上で桓温からのちょっかいをのらりくらりと躱しながら、北府にいた信頼できる甥っ子――のちの大将軍、謝玄(しゃげん)どのだね――を通じ、軍部を精強に出来るだけの人材を探させた。  そうこうしてるうちに桓温は死んだ。病死、って言われてるが……あぁ、いや、野暮な憶測は止めとこうか。  さて。  謝玄どの自体は、いくさごとにそれほど深く通じてたわけじゃない。が、劉牢之(りゅうろうし)将軍と(よし)みを結ぶようになり、軍権を将軍に委ねることで、かれは北府軍の強化に成功したんだ。この辺は謝家の人たらしの才能の面目躍如、ってとこだろうね。  ただ、北府西府が強大になるのを見て誰が恐々とするって、朝廷さ。特に皇族たる司馬(しば)一族は気が気じゃなかったろうね。自分たちじゃ操りきれない武力が、並んで二つもすくすく育ってきてんだ。この頃太傅は、余計なことしてんな、とばかりに、日夜陰湿な目にもあったそうだ。  けど太傅は、硬軟色んな手で、朝廷をも押さえ込んだ。  太傅に、敢えて難を申し上げるなら、淝水以後のことを考えてなさ過ぎだった、ってことだろうね。  西府軍の実権を削がなかったから、いったん皇統が途絶える羽目に陥った。それに、強引に朝廷を押さえ込んだから、皇族どもは報復じみた行動に出た。  ただそれは、どう見積もっても難癖のたぐいだ。  全てが終わった後でデカい顔で評価を下せる史家どもの見解にしたって、太傅以上の良手は「早い段階で秦に臣属すること」くらいしかなかった。  今になると、思うんだよ。  宋王どのが活躍できたのだって、つまりは太傅のお膳立てあってのことだったんじゃないか、ってね。
/163ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加