01-06 参軍・何無忌

1/1
前へ
/163ページ
次へ

01-06 参軍・何無忌

「聞いたぞ劉裕(りゅうゆう)、値千金の活躍ではないか」 「勘弁して下さいや、お目こぼししてもらったようなもんですよ」  夜。寄奴(きど)、己、穆之(ぼくし)孫無終(そんぶしゅう)将軍の天幕(てんまく)に招かれた。卓の上には滅多に飲めねェような上モノの酒、アテには煎った豆と塩。喜んで飛びつこうと思ったら「モノには順番があんだろ」って穆之にはたかれた。  天幕の中には己ら、孫将軍のほか、副官の桓不才(かんふさい)、それから妙に威厳のあるおっさんが一人。その隣には何無忌(かむき)が付き従ってた。 「こちらは徐道覆(じょどうふく)将軍だ。そなたの話を聞き、会ってみたい、とのことでな」 「はあ、どうも」  桓副官が色めきたつが、そいつを止めたんなァ他でもねェ、徐将軍だった。 「今、必要なのは戦働き。そうであろう?」  穏やかな物言いじゃァいたが、にべもねェ。嫌な予感しかしない、って穆之の顔にありありと書き出されてた。 「助かりまさ、話が早そうで」  そう言って寄奴が酒をあおり、豆を頬張った。もう桓副官ときたら、どう返すか考えんのも面倒くさくなったみてェだった。  くく、と徐将軍が肩を揺する。 「だいぶ暴れ馬のようだな。(ぎょ)せそうか、何無忌?」 「御する気はありませんよ。自分に出来るのは運ぶこと、位でしょう」  徐将軍が大きく笑う。 「炯眼(けいがん)だ、何参軍(さんぐん)」  孫将軍も妙に愉しそうだ。何とも居づらそうにしてた寄奴の渋面ったらねェ。 「話が前後したな。劉裕、其方には、ここな何無忌と共に、明日の先鋒を務めてもらいたいのだ。いったん部隊から離れてな」 「将軍直々にってこた、ただの先鋒じゃねえですよね?」 「話が早いな、そういうことだ」  徐将軍が促すと、何無忌が卓の上に地図を広げた。真ん中に淝水(ひすい)が大きく描かれてる。その左側にたくさんの赤い駒と、右側にゃそれよっかまるで少ねェ白い駒が置かれてく。 「赤が(しん)、白が(しん)だ。淝水を渡ってきた部隊との戦いは並べて優勢であったが、肝心の苻堅(ふけん)本軍は、いまだ岸の向こう。だが、それも明日になれば動いてくる」  孫将軍が赤い駒の内、一番でけェやつを河中に押し出した。それに合わせて徐将軍、桓副官がほかの赤い駒どもを一気に動かす。あっちゅう間に白い駒が飲み込まれた。 「己ら全滅っすか」 「このままでなは」 「じゃ、どんな仕掛けなんで?」 「大将軍は、脆きを衝く、と仰っていた」  聞き覚えのある言葉だった。  よりによって、そいつァ敵さんからのもの、だったが。 「合図があるそうだ。秦軍内部からのな。その合図とともに、各軍の最精鋭を、一斉に、叩きつける」  話を聞きながら、寄奴ァじっと地図を眺めてた。やがてその顔に喜色が浮かんでくる。 「こんな博打、よく張るもんですわ。うちらのお頭、頭沸いてません?」 「まぁ、認めるにやぶさかではないな」  正直己にゃ、この話を聞いてても、翌朝に何が起こるのかなんざ、とんと見当がつかなかった。  ただ分かったのは、寄奴の笑い方が一世一代の大博打張ったとき、まんまだったことだ。寄奴のやつ、いつもの賭け事じゃすぐスカンピンになるくせに、どでけェ勝負でその負けを一気に取り返しやがるんだ。  その笑顔に何度か儲けさせてもらった身としちゃ、あ、行けるんだな明日、ってついつい考えちまう。 「どう転んでも、中途半端はなさそうっすね。明日、楽しみにしてますよ」  孫将軍と徐将軍とで打ち合わせたいってことで、己らは解放された。  天幕から出ると、そろそろ夜も更けようってェのに、割と辺りはまだざわついてた。笑い声とか、喧嘩だとか。いつもの夜だ。ふと、思っちまった。あのうちどんだけの奴が、次の夜にも同じことができたんだかな。  切った張ったしてんだから、隣のアイツがいなくなる、なんてな珍しい事じゃねェ。ただ、さすがにあの日は失い過ぎた。ふとこうして思い出すと、あいつがいたら、こいつが生きてたら、なんてこともちらっと考えちまう。 「兄貴、どうなっちまうんだろね」 「さてな。ま、くたばったらくたばった、だ」 「……兄貴に聞くのが間違いだったよ」  はは、と何無忌が笑った。 「兄弟、仲がいいんだな。羨ましいよ」  思いがけない言葉だったのか。寄奴と穆之がきょとんと何無忌を見、そんでお互いに向き合った。すぐにうへぇ、とでも言わんばかりの顔になる。 「そうか? 面倒くせえぞこいつ」 「喧嘩するほど、という奴だ。本音をぶつけ合えれば、その分互いの背も守りやすくなるだろう。信頼は、何よりの武器だ」  そんなもんかね、寄奴はいまいち納得いってねェ様子だった。こっちにしてみりゃもうまさしく仰る通りって感じだったが、わざわざ藪から蛇をつつきだすこともあらんめェ。 「何参軍、失礼ですが、……劉牢之将軍とは、ご親戚なんですか?」  おずおずと、といった感じで穆之が切り出した。  その立派な鈎ッ鼻、戦場にあってよく通る声。大将軍のお顔を近くで見たわけじゃねェから、もしかしたら顔立ちもそっくり、なの、かも。 「多少、気弱になっているのかもな」何無忌が苦笑した。 「親戚というかな。いわゆる、庶子という奴さ。公的には甥と言う事になっているが」  つまり、劉毅将軍たァ腹違いの兄弟ってことになる。  ずいぶんあっけらかんと内々のことを教えてくれるもんだ。まァ、あとで聞いたんだが、そこを明かした方が信頼してもらえるだろう、と思ってのことだったらしい。 「万騎将の軍才を疑ってはいない。功名心に逸るのを悪いことだとは思わん。が、それが幾分悪いように働いているように思えてならんのだ。君らのように上手くかれを扶助できれば、劉牢之将軍もきっと安心できるだろうに――と、まぁ老婆心にも程があるのだが」  漏らす言葉がいくぶん芝居がかっちゃあったが、何無忌がいい奴だ、ってのは疑いようがねェ。ついでに言えば、手前ェから貧乏クジ引く性分なんだろうな、ってのもよく分かった。 「扶助もクソもねぇだろ。結局んとこ、どう敵を殺せるか、じゃねぇか」  寄奴の切り捨て方ァ、ひたすらに容赦がねェ。 「手厳しいな」 「どこがだよ。殺さねえと己らがおっ死ぬんだぜ? 死んだら死んだ、仕方ねえさ。けどな、何にも足掻こうとしねえで、いけしゃあしゃあとくたばるなんざワリに合わねえだろ」  そう言って、寄奴が何無忌の首根っこを抱え込む。「っな、何を……」って戸惑う何無忌になんざ全然お構いなしだ。  そんかし、ただただ強く、言い切った。 「そう簡単にゃくたばらせねえからな。呑もうぜ、美味え酒をよ」
/163ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加