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怪獣のブックエンド5
目を丸くしてブックエンドを指さす俺を振りむき、お袋がぼんやり呟く。
「変な夢見たのよ」
「夢って」
「昔の……小学生の頃のあんたが出てきて、見せたいものがあるから物置に来いって言うの。どうにも気になったから起きてすぐ来てみたら、これが隅っこにちょこんとおかれてたのよ」
『お母さんに見せたかったのに』
『早く家に帰ってお母さんに見せたかった、お父さんに自慢したかった』
ああ、そうか。
「夢に出てきたアンタの口調があんまり一生懸命だったから無視できなくて」
すっかり忘れていた。
心の隅のゴミ箱に突っこんだまま、嫌な思い出と大切な物をごっちゃにして忘れていた。
『一回でもゴミに出された物は、ゴミってことにされちゃうんだよ』
あれは俺だ。
小学生の頃の、どうしようもねえいじめられっ子だった頃の俺自身だ。
いじめられっ子のくせに負けん気ばかり強え意地っ張りで、いじめっ子に捨てられた工作をゴミ捨て場に這い蹲って取り戻す事もできず、家へ逃げ帰ったクソガキだ。
『お前をいじめるようなヤツ、友達じゃねーもんな』
どうりで終始ダンマリなアイツの気持ちがよくわかるわけだ、俺こそ一番俺の痛みがわかるもんな。
ブックエンドを目の当たりにして昔の記憶が甦る。
ある日の図工の時間、先生に工作を褒められて舞い上がった俺は、早く家に帰って母親に見せようと住宅街を急いでいた。
そこにいじめっ子がやってきて、俺の手から力ずくでブックエンドを奪い、ゴミ捨て場へと放り投げた。
言い返せない自分が惨めで、やり返せない自分が悔しくて、あの日の俺は泣きながら手ぶらで帰ったのだった。
『たまに間違って大切なモノを入れちゃうんだ』
小学生の頃の自分がどんな面をしてたかなんて覚えちゃねえ。
小学生の頃は嫌な思い出だらけで、いちいちアルバムを開いて写真を見返す事もない。もとから写真を撮られるのは苦手だ。
あのガキは前髪を邪魔くさく伸ばしていたから、まず素顔を確認するのさえ困難だった。
俺が今朝たまたまゴミ捨て場に通りかかり、たまたまブックエンドを手にしたから、ゴミはゴミじゃなくなった。
ゴミは誰かに拾われて初めて価値を持ち、心のゴミ箱からすくいだされる。
「……お袋さ、覚えてる?俺、ガキの頃すっげえいじめられっ子だったろ」
「ああ……そうだったね。今じゃスレちゃって見る影ないけど。いきなりどうしたの」
俺の方から昔の頃の話をふっかけるのは珍しい。
どういう気まぐれだと怪訝な顔で答えてから、誇らしげに声を弾ませて蒸し返す。
「アンタ工作好きだったよね。通信簿、図工だけ5だったの覚えてる?」
「うん」
「なんで作るのやめちゃったの、中学の技術はお話にならない成績だし」
「忘れた」
軽く頷いてから物置に足を踏み入れ、お袋の隣にしゃがむ。
「それ、俺が作った」
お袋が驚く。
「なんで物置にあんの、見た記憶ないけど」
「るっせ、あとで見せようと思って忘れてたんだよ。いまいちな出来だったし」
「ふーん」
お袋が腑に落ちない表情で受け流し、ちゃちなブックエンドを両手でひねくりまわす。がらにもなく心臓が高鳴る。
ブックエンドに積もる埃をひと吹き、手でざっと拭ってからお袋が微笑む。
「カッコイイね」
なあ俺、なんでコイツを物置にしまったんだ。
お袋になんて言われるか怖かったのか?
ただ単に恥ずかしかったのか?
ずっとずっと昔、もう記憶が薄れて思い出せないほどの昔、朝早く起きた俺は回収車が来る前にこっそりゴミ捨て場に向かおうとして、玄関でとりやめたのかもしれない。
あの日落っことした未練の残り滓が少年のカタチをとって、夜が朝に移り変わるほんのひととき過去の裂け目からさまよいでたのだとしたら……。
ひょっとしたらすぐそこにあったのに気付かなかったのかもしれない。
ゴミ捨て場で元の持ち主に拾われるのをずっと待ってたのに、中学からグレだして、朝靄の中を寝ぼけて帰る俺は毎回素通りしてたのかもしれない。
お袋に寄り添ってブックエンドを眺め、大人びた苦笑いで感傷に耽る。
「だな。悪くねェな」
ゴミは誰かに拾われて、初めてゴミじゃなくなる。
俺自身がゴミじゃないと認めて、初めてゴミ箱から出てこれるのだ。
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