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3ヶ月後……
金という奴は、相場によって値段が変動するのだそうだ。小野さんが預けた指輪を無事に買い戻すことが出来たが、値段は32000円に跳ね上がっていた。安い出費ではない。だけど、これでこの2ヶ月余り抱いてきた疑いが消え、小野さんの無実が証明出来るなら、高くはないと思った。
小さなファスナー付のビニール袋に入った指輪を眺める。台座は細くない。けれど太くもなくて。ダイヤも思ったより大きくない。イメージとは若干違ったが、かけ離れているというほどでもなくて。
「着いちまったか……」
バスを降りて歩いて来たのは、曙町2丁目。チャイムを鳴らすと、年配の女性の声が返った。
20分後。俺は、降車したバス停の斜め向かいにいる。バスを待つ体ではあるが、立ち尽くしているだけだ。
『母の……指輪、ですか?』
家に上げてくれた女性は、困り顔で俺の前に湯飲みを置いた。
『あの被害届を出した指輪ですよね』
『はい、3ヶ月経過しましたので、その後、何か進展がなかったかと……』
今更伺ったことの言い訳は、もっとマシなものを用意していたのだが、ここに来て変更を余儀なくされた。嘘に渇いた喉を、渋めの緑茶で潤す。
『実は、被害届は、すぐに取り下げていたんです』
『え?』
『母は落としたって騒いでましたけど……あたし達も、そんな指輪、見たことがなくて』
『どういうことでしょう?』
お恥ずかしい話なんですが、と言い置いてから、彼女は話し出した――。
菅原様は、認知症が進んでいた。物盗られ妄想が始まり、現実の身の回りの物だけでなく、元より持っていない物まで「無くなった」「盗まれた」と騒いでいたという。
『小野さんには感謝しています。母の妄言にも、怒ることなく付き合ってくださって』
否定すると意固地になるので、と彼女は首を振る。
『じゃあ、指輪は――』
『分かりません。本当にあった物なのかどうか……』
彼女が顔を向けた先には、仏壇が、そしてまだ新しい遺影があった。白髪を後ろで上品に引っ詰めて、青い小花柄のブラウスを着た、在りし日の菅原様が微笑んでいる。
娘さんによると、菅原様は、2ヶ月程前の早朝、突然死したのだそうだ。所謂ポックリという状態だったらしい。奇しくも、小野さんと同じ命日だった。
狐につままれた気分で、線香を上げてから、菅原宅を後にした。
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じゃあ、この指輪は――。
帰りのバスの中で、俺は罪悪感に苛まれていた。小野さんの無実を晴らす、だって? 偽善にもほどがある。あの実直で優しい小野さんが、ネコババなどする筈はない――そう言いながら、1番疑っていたのは、この俺じゃないか。
「返さなくちゃ」
本来の持ち主へ。正直に事情を打ち明けて、小野さんの仏壇に懺悔して来なければ。
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