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オカワリサマ5
両親に捨てられ祖母にも邪険にされる日々の中、真理は次第にオカワリ様に依存し、その世話に身を捧げるようになっていった。
大丈夫、絶対ばれない。
高齢の祖母は少食で、真理も祖母と向き合っていると食事が喉を通らず、炊飯器には常にご飯が余っている。
「神棚のご飯じゃないけどだいじょうぶだよね」
みし、と床が鳴る。
オカワリ様が格子をカリカリひっかいて催促する。
一週間に一度の往復が三日に一度になり、やがては一日ごとになる。
学校に行ってない時間はずっと座敷牢に入り浸り、オカワリ様とみしみしおしゃべりをした。はいはみし、いいえはみしみし、どっちでもないはみしみしみし……
「お父さんから電話だよ、あんたに話があるんだとさ」
納戸が乱暴にノックされる。祖母だ。
「え」
座敷牢の前から腰を上げる。
納戸を開ければ、祖母が渋い顔をしていた。
玄関先の電話の横に伏せられた受話器をとれば、懐かしい父の声がでる。
『久しぶりだな。連絡遅れてごめん、元気にしてたか、友達はできたか』
「友達はできたよ」
『そうか……よかった。真理はちょっと引っ込み思案な所があるから気にしてたんだ』
「どうしたのお父さん、何か用」
『何か用って……』
小学生の娘の、突き放すような調子の返答にどもる父。
『なんだ、しばらくほっといたから拗ねてるのか。その事なら謝る、お父さんとお母さんが悪かった。真理にたくさん寂しい思いをさせたな、ひとりぼっちで辛かったろ』
「別に……」
オカワリ様がいてくれたし。
心の中で後ろめたげに反駁すれば、すかさず父が本題を切り出す。
『でもな、もう我慢しなくていいぞ。お父さんとお母さん、やり直すことにしたんだ』
何を言ってるんだろうこの人。
『よくよく話し合って……お互い誤解もあった。お母さんは相手と別れて、もう一度やり直したいって言ってくれた。真理を手放すのが嫌だって……お父さんも気持ちは同じだ。電話もろくにしなかったくせに、今さら説得力ないよな。携帯を持たせておけばよかったと悔やんでる』
「どういうこと」
『家電にかけたらおばあちゃんに切られた』
心臓が凍り付く。
『おばあちゃんはお前を手放したくないんだ、絶対後継ぎにしたいと思ってる。子供は俺だけだから……俺に継ぐ気がないときたら消去法で孫を立てるしかない。今日だって切ったら押しかけるって脅して漸く代わってもらったんだ』
「だってお父さんがおばあちゃんちに預けたんでしょ」
『すまないと思ってる、お母さんには身寄りがないし……子供には聞かせたくない話もあった。お前をあの家にあずけて、本当に後悔している』
そこで父が言いよどみ、口にするのも忌まわしいと息をひそめる。
『おばあちゃんからオカワリ様のこと聞いてるか』
やっぱりお父さんもオカワリ様を知ってたんだ。
それはそうか、この家で生まれ育ったんだもの。
「うん……知ってるけど」
『お代わりにはこたえてないよな』
「なんでお代わりあげちゃだめなの?あんなぼろいお茶碗で、お箸もなくって可哀想。おばあちゃんは冷たいご飯しかあげちゃだめっていうし」
オカワリガホシイ。モットチョウダイ。
『いいかよく聞け真理、オカワリ様はな……元はこの家の子供なんだ』
「どういうこと」
『何代か前のご先祖が不義密通で生まれたか、障害のある子を座敷牢に隠したんだ。世話は使用人に任せきりにして、ボロい着物と欠けた茶碗だけ与えて、完全に飼い殺しのけだものさ。そんな環境で長生きできるはずもなく、子供はじきに息絶えた。少し時勢が違えば後継ぎとしてもてはやされたのに実際は箸すら与えられず、育ち盛りなのに一杯の飯すら事欠く有様。暗い座敷牢に閉じ込められ、オカワリガホシイ、オカワリガホシイと一族を恨みながら死んでいった……』
ごくりと喉が鳴る。
「おばあちゃんは守り神って言った」
『そうだ。守り神だ』
「嘘だ、そんな死に方したのに家を守ってくれるはずない」
『昔のお百姓は貧しくて、飢饉がおきるたび子供を間引きして庭に埋めた。するとその子は座敷童になって、末永く家を守ってくれたんだそうだ。なんで祟り殺さないのかはわからない、間引かれてなお親を慕っていたのか……』
畏怖と忌避の対象だからこそ、人は媚び阿る。
世間体を重んじて死に追いやった罪悪感を宥める為に、人柱を神と呼ぶ。
だからこそ守り神はたやすく祟り神に転じる。
上手く手懐けられているうちはいいが、一度頭に乗らせてしまえば恐ろしい災いが待ち受ける。
尽くして尽くして尽くし尽くす、冷や飯食いが分相応だと骨の髄までわからせとくんじゃ。
「…………!」
真理は禁忌を犯した。
オカワリ様のお代わりに何度もこたえてしまった。
座敷牢で非業の死を遂げなお数百年も家に縛られ、家に尽くせよと強制され続けた哀れな存在に、新しい箸と茶碗と真っ白で温かいご飯を与え、一族に等しい者として遇してしまった。
否、『傅いて』しまった。
『尽くす側』と『尽くされる側』が裏返った。
昔なら使用人に任せきりにできたが、今は真理と祖母しかいない。
祖母が世話係を引退した現在、座敷牢に通うのは真理の役回りだ。
『真理?聞いてるのか真理』
父が懸命に呼ぶ声が手をすり抜けた受話器から聞こえる。
宙ぶらりんの受話器を後に、真理は祖母の部屋へと走る。
おばあちゃんに言わなきゃ、約束を破った事……どうしたらいいか聞かなきゃ……
突き当たりの納戸がゴトゴト鳴っている。
何者かが内側から揺すっている。
刹那、凄まじい悲鳴が空気と鼓膜を震わせ屋敷中を駆け抜ける。
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