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「いいかい?人間はとても恐ろしい生き物なんだ、だから近づきすぎてはいけないよ」 「でも、人間がいないと、僕ら妖精は生きていけないんでしょ?」 「それでもだ、人間は妖精のように心優しくはないからね」 長老に優しく諭すように頭を撫でられ、その穏やかな温もりに導かれるように頷きはしたが、それでもルイは、それが上手く理解出来なかった。 人間は、恐ろしい。でも、人間のその心は、ルイ達を生かす糧となる。ルイは胸に手を当てた、その手が大きくなった今でも、ルイは子供の頃からの教えを、どうしても信じきれずにいる。 確かに人間は、恐ろしいかもしれない。だけど、それだけじゃない事を、ルイは知ってしまったからだ。 *** 背中に生えた透明の羽を羽ばたかせ、その小さな存在は、とある花屋の二階、その窓辺にやって来た。 背中に羽がある以外、顔も体も見た目は人間と同じだが、その存在はとても小さい。背丈は五、六センチといった所だろうか、シックな印象を与える白いケープを身に着けており、大きな鞄を肩からななめに掛けている。金色のさらりとした髪と、好奇心に満ちた瞳が印象的で、見た目は幼くも見えるが、今年で二十五歳になる。彼はルイ、妖精だ。 ルイは二階の窓辺に降り立つと、窓ガラス越しに部屋の様子を窺った。 窓から見て正面には部屋のドアがあり、その右横には、手当たり次第に物が詰め込まれている棚がある。ドアの左側へ目を向けるとベッドがあり、誰かが寝転んでいるのが見えた。ルイからは、後頭部と背中しか見えなかったが、それでも彼がこの部屋の主だという事はすぐに分かり、ルイは嬉しそうに表情を綻ばせた。 彼こそ、ルイがやって来た理由だ。 彼の姿を確認すると、ルイは早速、窓の側に置かれた小石を両手で持ち上げ、それで窓ガラスをコツコツと叩いた。人間にしてみれば重さを感じないような小さな石も、妖精のルイにとっては持ち上げるのも一苦労だ。 「ルイ!今日もご苦労様」 不意に、チチ、という鳴き声と共に、そんな労いの声が掛けられた。ルイが振り返ると、一羽のスズメが傍らに降り立った。彼女はルイの友達で、名前はメイという。 「やぁ、メイ。昨日は妹達が迷惑をかけたみたいで、ごめんな」 「いいのよ、背中に乗せるくらい大した事ないし。困った事があったら、また言って」 メイとはご近所さんで、家族ぐるみの付き合いだ。昨日も、ルイの妹達の遊びに付き合ってくれたのだが、遊んでいる中で、妹の帽子が風で飛ばされ、木の枝に引っ掛かってしまったという。それを、メイが妹を背中に乗せて飛び、帽子を取るのを手伝ってくれたそうなのだが、ルイの妹も当然、妖精なので羽はある。一人で飛べない訳ではないが、人間やカラスにイタズラされないようにと、メイが妹を気遣って、その背中に乗せてくれたのだ。 問題もなく帽子を取る事が出来たのだが、メイの背中の乗り心地が良かったらしく、妹は帽子を取った後もメイの背中に乗り続け、暫し空中散歩を楽しんだという。 妹は空を飛べるのに、メイはわざわざ背中に乗せて守ってくれて、その上、メイの好意に甘えて、背中に乗せて遊んでくれるなんて。ルイはそれが申し訳なく頭を下げたのだが、メイは気にしていないでと、朗らかに笑う。 「私にとっても、ルイ達は大事な友達だもの。一緒に遊べて楽しいんだから」 「それは僕らも同じだよ、いつもありがとう、メイ」 そんな風に、いつもと変わらない彼女の様子にほっとしつつお喋りをしていると、閉じられていた窓が、ゆっくりと開いた。窓を開けたのは、先程までベッドに寝転んでいた人物だ、彼はルイを見つけると、上機嫌に微笑んだ。 「よ!ルイ、入って」 その様子を見て、メイは、チチと、ルイに声を掛けて窓辺から飛び立った。「またね、メイ!」と、ルイも手を振り返してその姿を見送ると、ルイは部屋に向き直り、それから意気揚々と部屋に入った。 「お邪魔します…あれ?和真(かずま)、今日は喜びの欠片がいっぱいだね」 人間の目には見えないが、ルイ達妖精の目には、人間の体から溢れた感情が色づいて見える。 彼の部屋には、泡のようにふわふわしたものが、床いっぱいに溢れていた。黄色に、オレンジにピンク色と、明るい色合いのものが多い。 これは、彼、和真の体から溢れた感情の欠片だ。 これら感情の欠片は、人間にとっては見えもしなければ、出している意識もないもの。出した本人には、体の外に出ているものだし、外に溢れた欠片は特別必要のないものだが、妖精は違う。人間の感情の欠片とは、妖精にとっては最も必要なもの、大切な栄養源だ。 「何か良いことあった?」とルイが尋ねると、和真は蕩けそうな笑顔で「それ聞いちゃうー?」と、デレデレしている。 彼はこの部屋の主で、名前は蒼井和真(あおいかずま)。この花屋、“フラワーショップあおい”の一人息子で、高校二年生だ。いつもは爽やかな容姿で好青年といった印象なのだが、今日の和真は、いつもの爽やかな容姿が想像もつかない程のデレデレ振りだ。だがルイは、それでも楽しそうに彼の話を聞いている。 人間と妖精、本来は交流をもってはいけないとされている間柄。ルイも子供の頃から、人間は恐ろしい存在だと言い聞かされていたが、それでも、ルイが和真を恐れる事はなかった。 ルイと和真は、秘密の友達だからだ。
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