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百合子は6つの頃、山で迷子になった。
「俺の社で泣きわめくものがいると思えば、迷子か?人の子よ」
狩衣姿の美丈夫が百合子に話しかけてきた。
「お花つんでたらだれもいなくなってたの」
「馬鹿め、それはお前がはぐれたのだ。今頃親が血相変えて探しているだろうよ」
「祠に腰掛けちゃダメだよ。罰当たりなお兄さんだね」
「己の神域でどうしようが俺の勝手だ。
その生意気さに免じて見逃してやろう。ついてこい」
男は手を繋いでくれなかったが、歩調は合わせてくれる。
恐怖に震えていた子供には、ヒーローに見えた。
「ねえねえ、バチあたりなお兄さん」
「俺の名は十六夜だ。
生贄にされたいか小娘?」
「いけにえって?」
「俺の餌か、嫁のことだ」
「じゃあ百合子をいけにえにして?」
耳を疑った十六夜は足を止めた。その奇妙な生き物を見つめる。
「あなたのおよめさんになりたいの!」
男は暫し呆気にとられたが、ニヤリと唇を歪めた。
「この姿を見ても同じことが言えるか?」
突如、竜巻が起きた。
次の瞬間、純白の大蛇が鎌首をもたげ百合子を見下ろしていた。
深紅の長い舌がちろちろと舌なめずりする。
「望み通りもらってやろう。俺の腹の中でな!」
少女は唖然としたが、にぱっ と笑った。
「すっごくかわいいっ!」
「か、かわいい??」
目が点になり殺気が萎む。白蛇はシュッ、と人間の姿に戻った。
「まめだいふくみたいなおめめかわいいっ!
いざよいさまはヘビのすがたも、とってもすてきね」
「豆大福!齢400歳を超える蛇神に豆大福!?
人間に祟を恐れられ慎重に崇拝されてきた俺の神格が、菓子と同列だと!?」
十六夜はかなりショックを受けた。
「近頃人を食っていないから?俺の神通力が薄れてきているというのか??」
「ほんとだもん!ヘビさんだいすきだもん!」
「う、うるさいっ。
人の子にこの気持がわかってたまるかっ!」
二人はとぼとぼ歩き、やがて森が開けた。
「この七五三縄の先が現世だ。
ほら、早く行け。二度とくるでないぞ」
「いやっ。ぜったいまた来る!
およめさんにしてくれるまで、かよいつづけるからね!」
「なんと恐ろしい子供だ。まだ俺につきまとうのか?
どちらが蛇かわからぬな・・・」
さわさわと葉が擦れ合う。
静寂が包む祠。十六夜は木の上で横になり優雅に一服吹かす。
「十六夜さま! 十六夜さま! 十六夜さまーーー!!」
騒がしい声が静寂を裂いた。手をぶんぶん振りながら一直線にこちらに向かってくる。
「出たな小娘!俺の安らぎのひとときをまた邪魔しに来たか!」
「もち!百合子は十六夜さまの為なら這ってでも逢いに来ます!」
百合子は深々と腰を折った。
「今日こそはお嫁さんにしてください!」
「俺は乳臭いガキと共寝する気はない。何度も言っておろう?」
「私もう二十歳だよ。子供じゃないもん」
「まな板のような胸を張ってよく言えたものだ。はっはっは」
笑い飛ばされたが百合子はめげない。
「じゃあどうすれば結婚してくれますかっっ??」
「まずは女を磨け。
今日は一段と丈の短い袴を履いているな。
まさかその大根足で俺を誘惑するつもりか??」
「そう言いつつ服の変化に気づいてくれるところも好きです♡」
辛辣な言葉を返されても、余計に萌えるのが恋の不思議なところだ。
あの日十六夜と出会って依頼、百合子は有言実行で通い続けた。
十六夜は『ひな鳥の刷り込みをしてしまった』と嘆いていたが、この恋心は紛れもなく百合子の意思だ。
百合子が十六夜に告白した回数は、今日を入れて998回目。
『俺が幼女趣味と勘違いされたらどうする』
『ちんちくりんの小娘に神の相手が務まるか。千年早いわ』
『チョコレート?うさぎの糞の間違いだろう?』
『服から異臭がするんだが。香水?鼻が腐っているようだ、医者に見てもらえ』
『また妙なものを持ってきたな。珈琲?今度は泥水を飲ませる気かっ!』
アプローチは全て惨敗したが、文句でも必ず返事を返してくれる十六夜がたまらなく好きだ。
十六夜はいつも木の上で、見事な笛を聞かせてくれた。
百合子にも『せめて教養を身に着けろ』と時折教えてくれる。その時だけ、十六夜は手を触れるのを許してくれた。
(顔を赤くすると『真面目にやれ』と怒られたが。)
黄昏時に十六夜が自ら作曲した曲を共に吹く。そのひと時が一番幸せだ。
「私ね、十六夜さまの夢をよく見るんだぁ」
「・・俺をオカズにやましい夢を見たのか?」
「だったらいいんだけどね。
私、夢の中でも十六夜さまに振られるんだぁ・・。
手も握れないし名前も呼んでくれないの。へへっ、現実と一緒なのかな?」
「・・俺が名を呼べばお前の魂を縛る。
俺のお手つきには、ならないほうが良い」
「なんでっ」
「昔と違って、俺を信仰するものは減ってきている。
甲斐性なしの神より人間の男と結ばれる方が、女の幸せというものだ」
近すぎず遠すぎず。
そんな関係にも終わりのときが近づいていた。
人生の歯車は、突然動き出す。
百合子にお見合いが来た。
地主の息子が、貧乏農家の百合子を見初めたらしい。
両親は飛び上がって喜んだ。家のため、兄弟のために嫁ぐのだ。
こうなれば百合子に拒否権はない。
『人間の男と結ばれる方が、女の幸せというものだ』
百合子に、救いはなかった。
いつもと同じ時間に七五三縄をくぐり、同じ場所に百合子は立った。
十六夜は笛を奏でる手を止める。
「十六夜さま」
「また来たか小娘。
今日はなんと言って口説くのだ?」
「・・私ね、結婚することになったよ」
一瞬、十六夜の動きが止まった。
「・・けっ、こん?」
十六夜の手がだらりと下がった。
「999回。なんの数字かわかる?」
十六夜は何も答えなかった。舞うように木から降りる。
「私が告白した数だよ。1000回告白したら、諦めようって決めてたの。
そして今日が、その1000回目」
百合子は最後の力を振り絞る花のような笑顔で
「私、十六夜さまを愛しているの」
これが最後のチャンスだった。
「・・本当は駆け落ちしてほしい。
でも、出来ないんだよね?十六夜さまは、私のこと大事にしてくれる。
でも、『好き』とは違うんでしょ?」
「・・・そうだ」
十六夜は空を見上げて言った。
「俺は、神だから人の子を護る義務がある。だから手を出さなかった」
見上げた夏の空はどこまでも青かった。
終わった。
終わったのだ。14年間積もらせた恋は、あまりにも呆気ない幕切れだった。
百合子はこぼれ落ちるしずくを拭きもせず、十六夜の背中に叫んだ。
「わたし人間に生まれなきゃよかったぁぁぁっっ!!」
十六夜は振り向いた。その顔は何かを噛み殺すようにくしゃくしゃだった。
「十六夜さまと同じ時代に生まれたかった!私も蛇だったらよかったのに!!
どうして人間に生まれたのよぉぉぉっっ!!!」
百合子はその場に泣き崩れた。
「なんで私は女なの??なんでこんな時代に生まれたの??なんで好きな人と別れなきゃいけないの・・・」
壊れたからくり人形のように百合子は繰り返した。
こんなこと、彼に言ってもどうしようもないのに。
「・・もうここへは来るな」
冷たい声がした。
「え・・・?」
思わず見上げると、十六夜は険しい顔で百合子を見下ろしていた。
「来るなと言ったんだ。
甲斐性なしの神より、人間の男と幸せになれ。
俺が与えられなかった幸せを、きっと与えてくれるだろう。
・・これは、教養の一つだ。持っていけ」
十六夜は百合子に龍笛を持たせた。
百合子は愕然とした。
「十六夜さまは・・、私と別れるの、悲しくない?」
「・・・ああ」
十六夜ははっきり言い放った。
「俺は、お前などに興味はない」
百合子は頭が真っ白になった。
そのまま逃げるように山道を走る。
静寂が訪れた社で一人、十六夜は走り去る百合子の後ろ姿をしばし見つめていた。
祠の傍には、白百合が寄り添うように咲いていた。
十六夜は木漏れ日を見上げ、微笑んだ。
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