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優の過去(壱)
簡潔に言えば、私の佐紀優一・佐紀優希は、私の実の親ではない。本来の形で言うなら、二人は、私の母方の叔母夫婦にあたるのである。
…真実は、この二人に引き取られた養女なのである。
───篠山優。
それが昔の私の名前であった。
私は、篠山賢三と篠山鋭子の娘として産まれた。篠山家とは、湯梨浜家に次ぐ財のある家柄である。
そして、私の母である佐紀優希は、篠山鋭子の妹である。
私の産みの親達こと篠山達は、私に対して、一切関心を示さなかった。だから、篠山達に愛されて育てられた記憶は一切無い。
その当時、私の事を可哀想に思った当時の侍女長こと染山撰裏さんが私を、次の就職場所の佐紀家に連れて行ってくれた。
染山撰裏さんとは、今の私のスーパー執事の染山の母君である。
……これは補足だが、撰裏さんは私を黙って佐紀家に連れてきたわけではない。その時の事を、撰裏さん経緯で聞いたら、撰裏さんにいわく、たった一言、
「いらないのなら、佐紀優希様の所に私共々置いて参りましょう。」
と、言って、さっさっと出ていったらしい。
篠山達も「あ、そう。」くらいで、気にも止めていなかったらしく、揉め事にすらならず出ていけたようだ。
それを、四歳になった私の誕生日に佐紀家に教えてもらった。
その日、今日のような神妙な面持ちで父さんが切り出したのだ。優は俺たちの実の子ではない、と。
「……本物の優の親は別にいる。だが、俺たちは実の親ではないが、俺たちの本物の娘は優だ。だから、優が、おとうさん、おあかさんと呼ぶ人たちは今までもこれからも何も変わらない。優はこれまで通り、優らしくのびのびと生きていきなさい。大事なこともしっかり俺たち両親に話なさい。……本当は、この事は言いたくなかった。でもな、この真実は誰かに聞かされたんじゃなくて、優が俺たちから聞いたことにしたかった。他でもない、優とおとうさんとあかあさんと撰裏さんの事だから。なんとなく言葉がわかるようになったらすぐに伝えておこうと決めていたんだ。」
「……でもね、すぐるちゃん。これだけは覚えていて欲しいの。例え、産みの親じゃ無かったとしても、あたしたちがすぐるちゃんの本物の家族であり、親なの。だから、どんな経緯であれ、せんりちゃんがあたしたちの所にすぐるちゃんを連れてきてくれて、どんなに嬉しかったか。それだけあなたのことを愛しているの。心から。」
と言うと、二人は、私をぎゅーっと、強く抱き締めて、自分たちのもとに来てくれてありがとう、と涙を流していた。
私は、そのことを知った後、不思議にも納得し、安堵した。
……まだ言葉もよくわからないこどもだったけど、それだけは、しっかりと記憶に焼き付いて離れない。
それに、あの時、篠山達に嫌われていても良いとすら思っていた。
……むしろ私を捨ててくれたことに感謝すらしていた。そんなクズのおかげで、私の事を心から愛してくれる人たちに早く出会えて、今もこれから先も、私の周りに居てくれるのだから。
それからも二人の態度は何も変わらなかった。今まで通り、実の子供のように接してくれた。
危ないことや悪いことをしたときはそれを諌め、心配をしてくれた。
逆に、頑張ったことや良いことをしたときには、それを自分の事のように喜び褒めてくれた。
そして、誰よりも、私の事を、はち切れそうな程に愛してくれる。
私はココアを淹れてくれている撰裏さんに駆け寄り、
「撰裏さん、わたしの事を守ってくれて、ここにつれてきてくれて、本当にありがとうございます。わたし今、すっごく幸せです。」
とお礼を伝えた。
すると、いつも、にこにこと、陽だまりのような笑顔をしている撰裏さんが、大粒の涙を溢して、
「っ……とん、でも……ございませんっ!」
と、心底安堵したように笑った。
私は、撰裏さんの背中を撫でながら、撰裏さんに何かあったときは今度は私が助けよう、と決意した。
私はその日から毎日何度も、親や撰裏さんに抱きついては、言っていた。
「おとうさんも、おかあさんも、撰裏さんも、みんなだーいすきっ!」
「あたしも「俺も優」ちゃんのことが「一番だーいすきっっ!」」
「わたくしも、大好きです。優様。」
だから、穏やかな日々が毎日続くと思って、疑いもしなかった。
──しかし、終わりは突然だった。
その日は私の8歳の誕生日を迎えた日だった。
私の誕生日にしては珍しく、今年は大雨が降っていた。
ザーッザーッザザーッ、と荒れ狂う雨の音に目が覚めた私は、ベットから上半身を起こして、ぼーっと外を眺めていた。
「……あれ。あ、め?」
第一声がそれだった。別に、雨なんて初めて見た訳じゃない。ただ、普通に、なんとなく、不思議に思ってしまった。私の誕生日には、存在しない光景。
毎年の雲一つない、きれいな青空がそこには存在しなかったから。
それに、毎日、決まって起こしに来てくれる三人の姿がまだ、ない。
去年までの誕生日は特に素敵な朝だった。
毎年、誕生日は起きてすぐ、一番に、
「優、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。」
って絶対に言ってくれる。
……だから、だろうか?いつもの光景とは正反対の様子に、じわり、背中に嫌な汗がひとつ、流れた。
──早く起きちゃったから?だから三人ともいないの?…待ってたら来てくれる?
私はもう一度眠ろうかと思って、毛布を被ろうとしたときに気がついた。
……自分の手が、震えていたのだ。
「……ぇ?」
───なんか変……なんでこんなに、こわいの?
私は、震える手を両手で握りしめた。
───……三人に会いたい。いますぐ、声が聞きたいっ!
会ったら、ぎゅーって、抱き締めてもらおう。そしたらもう、こわくないよね……?
そっとドアを開けて部屋を出た。そして、二人の寝室へと向かった。
「……あれ?」
なんか、家中が静かだ。雨の日ってこんなに静かなんだっけ?それとも早く起きたから?
いつもとは違う光景に、さらに不安が募る。私は、早足で、目的の寝室に辿りついた。そっとドアを開けて、部屋を見渡してみたが、何の気配も感じない。私は唾を、ごきゅっと、飲み込み、
「……おかあさーん、おとうさーん??」
と、声をかけてみたが何の返事も聞こえなかった。
……なんで?誰もいないの?
私は突きつけられた現実を見て、ゾッとする感覚に陥った。私は焦り、縺れる足を必死で動かし、ひたすらいつもの食事の部屋へと走っていった。もしかしたら、撰裏さんならそこにいるかも。
バン!、と勢いよく開けて
「はぁっ、撰裏さんっっっ!!!!!」
と、叫んでみたがそこには何もなく、誰もいなかった。
「うそ。うそ、うそっ。なんで?どうして?だれも、いない……?」
私は完全にパニックに陥った。
すると、
「すぐるさま?」
と、声が聞こえた。
この声は、染山さんだ!
私は染山さんに勢いよく抱きついた。
「いた!よかったっ!染山さん!あのね、おかあさんっ、おとうさんっ、どこにいるの!?どこにもいないの!!」
染山さんは私を、ぎゅっ、と抱き締めると、
「お二人は今は、いらっしゃいません。」
と、静かに言った。私は、
「うっ、うそだ……!」
と、動揺しながらも否定した。だって、二人が私を置いていくわけない。現に撰裏さんはここにいるじゃないか。
そんな私を宥めながら撰裏さんは言葉を続けた。
「…残念ながら嘘でないのです。……お二方から優さまにお伝えして欲しい、と言付けを承りました。」
「……な、なに?」
「『お誕生日おめでとう、優。生まれてきてくれてありがとう。』と、お二人から。」
「……」
この言葉は、いつもの三人の言葉だ。
「……私の分も含まれているので三人からですね。優さまの5歳の誕生日、本当におめでとうございます。」
と、にこやかに微笑む撰裏さんは、いつもと違って寂しそうに見えた。私は嬉しい反面嫌な胸騒ぎがして素直に喜べずにいたがお礼だけは伝えることにした。
「……ありがとう、ございます。」
撰裏さんは涙を堪え、真剣な表情で、
「それと、もうひとつ。」
と、言った。私はその言葉に、
「な、なにっ??」
と、食いぎみに聞いた。
「『絶対に諦めないで。迎えに必ず行く』と。」
「……え?」
「すみません、わたくしと、もう行かなくては。……また会えるその日まで、暫くさようならですね。大好きですよ、優さま。いつか、お迎えにあがります。その日まで、どうか、どうか、お元気で。」
と、撰裏さんは私をきつく抱き締めるた後、窓の外へ飛び降りた。
「撰裏さんっっっ!!!!」
と、私は撰裏さんを追いかけて窓の下を見た。すると、無事に着地し、走り去っていく撰裏さんの後ろ姿が見えた。
私は、怪我していない姿に、ほっ、と安堵し、腰を抜かしてその場に座り込んだ。
──一体、何が起きている?三人には会えない?また、会える?どういうこと?
すると、撰裏さんが遠ざかって行くのと反対にこちらに近づいてくる足音が聞こえた。恐る恐る振り向くと豪華な装いの30前後の眉目麗しい黒髪黒目の男女が不気味な笑みを浮かべて立っていた。二人は、篠山と名乗った。私の実の親であり、私を迎えに来たと言った。そして、私は篠山達に有無を言う暇もなく、篠山家に連れていかれた。
そのとき、私は何が起こったのかわからなかったが、身支度を綺麗に整えられた私を、高そうな旅館に連れて行った。そして、襖を開けるとそこには、湯梨浜鬱切と名乗る黒髪黒髪の美少年が、先に座って待っていた。彼は、その綺麗な顔で私に微笑みかけた。
「あなたが、かの有名な深窓の御令嬢、篠山優様ですね。お会いできて光栄です。」
「…?…こちらこそ、お会いできて光栄です。」
私は、有名な深窓の御令嬢、という言葉に引っ掛かりを覚えつつ、同じ言葉を繰り返した。すると、彼は、わずかな数秒間、じっとり私を上から下までしっかり見つめると、
「やっと…見つけた」
と呟いた。
私は、その本当に聞こえるか聞こえないかの微かな声に我が耳を疑った。
──今、なんて?
困惑する私を置いて、彼は私を見つめて微笑んだ。そして、
「これから将来の夫婦となる僕たちは、長い付き合いになりそうですね。宜しくお願いします。」
と。
…………え?どういうことなの?
まだこの状況に追いつけていない私を置いて、湯梨浜家と篠山達はその言葉に歓喜し話を進めているようだった。
反対に、私は今だにその笑みを向けている彼とその言葉に一瞬で背筋が凍り、その場に立ちすくんでしまった。
すると、恐ろしいほど美しい笑みを浮かべた彼は、
「ささやかですが、僕からの優様のお誕生日プレゼントに、この旅館の最高級の食事を贈らせて頂きます。」
と、言った。
今でも時折この笑みを見ると、背筋が凍るほどの恐怖に包まれる。
私はこの時、生まれて初めて、自分が生まれてきた今日を呪ったのだった。
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