焼きそばパンが売れなければやつらが来ることもない

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焼きそばパンが売れなければやつらが来ることもない

 金曜日。  昼休みのチャイムが鳴り響き、今日もまた戦いが始まろうとしている。  だがそんなことはもうどうでも良かった。  俺は木曜日、夕方レジを〆て閉店処理をしたあと家に帰って作り置きのカレーを食い缶ビールを飲みながらお気に入りのバラエティ番組を見て、明日の仕事上がりにはどこかで呑んで帰るかなどと思いながら早めに就寝した。  間違いなく俺の記憶だ。  けれども、本当にそんなことあったのか?  確かに記憶はある。だが実感がまったく伴わない。  カレーは旨かったのか?  バラエティ番組で一番笑ったシーンは?  風呂の湯は熱かったか? それともぬるかったか?  いくら考えてもそのときの気持ち、雰囲気、体験しているはずのことが何も思い出せない。  まるで他人の日記でも読んでいるようなあまりにも薄っぺらな記憶。  そして気が付けば売店に立っている。  ぎこちない人形のような生徒たちにパンを売る。  俺はいったいなんなんだ。 「くはは、だいぶ知恵が回ってきたようだのう」  視線の先にあの女が居た。濃紺のワイシャツとタイトスカートに青白赤のトリコロールのネクタイ、長い黒髪と病的な白い肌の白衣の女。  生徒たちが一斉に手を止め足を止め口を閉ざした。  昼休みの売店が静まり返っている。あまりにも不気味な光景。  女は悠々歩いて来ると無遠慮にカウンターに尻を乗せてと嗤った。 「お前は、いったいなんなんだ」  震える声を絞り出す。本当になんなんだこいつは。 「“俺はいったいなんなんだ”でなくて良いのか?」  さっきまでずっと思っていたことを見透かすように言われ息を飲んだ。どうしてそれを。 「わしにわからぬことなどない。少なくとも今はのう」  女は薄笑いを浮かべ舐めるように視線を這わせて来る。 「まあしかし、汝はどちらも聞きたかろう。ゆえに問われたほうを先に答えよう」  活舌の良い、詩を読むような流暢な声で女は言った。 「わしは神である。少なくとも今この場に置いては全知かつ全能と言って差し支えない」 「は? なにを、馬鹿なことを」 「汝にはこの光景が見えておらんのか?」  女は陳列棚から焼きそばパンをひとつ手に取るとそれで周りを指示した。  何十人という生徒たちが微動だにせず立ち尽くしている。売店を訪れる新たな生徒もなく、売店を離れていく生徒もない。  自分とこの女以外の全てが止まっていると言っていい、いや、これは。 「まさか、時間でも止まっているのか?」 「然り」  女は得意げに頷くと指すように焼きそばパンを向けて来る。 「汝と話すのに雑音は邪魔ゆえな」  信じがたいが、この女がたとえ神ではないにせよ、神の如き能力を持っていることは間違いなさそうだった。 「そして汝がなにものであるかじゃが」  女は少し考えるような素振りをした。その表情は悩んでいるというよりは面白がっているように見える。 「まあそうさな、病人のようなものかのう」 「俺が病人だって」 「たとえば汝は、己の名を言えるか?」 「当たり前だろ、俺は」  言いかけて、しかしそれ以上言葉にならなかった。背筋に冷たい汗が流れる。  自分の名前くらいもちろん憶えている。忘れるはずがない。 「どうした、申してみよ」  会計簿にも運送屋の受け取りサインにも毎日のように当たり前のように書いている名前じゃないか。けれども。  書いたという記憶はあれどそれがなんであったのか全く思い出せない。のは確かなはずなのにどれだけ考えてもに繋がらない。  昨夜の記憶と同じだ。  それをしたという情報だけがあり、その中身がない。 「俺の名前は……無い、のか」  女がひと際大きく笑みを浮かべた。
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