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それは天気の悪いある日のこと。昼休みも半ばを越えて売店に訪れる生徒もめっきり減って一息ついたところだった。
気が付けば、俺の目の前には焼きそばパンがみっつある。惣菜パンが売れ残るのは珍しいが、焼きそばパンが売れ残るのはその中でもまた珍しい。
そして焼きそばパンが売れ残っているということはつまり、彼女はまだ来ていないということだ。
そう、来ていない。
買っていないだけじゃない。そもそも姿を見ていない。
もしかして遠目からこちらを見ているのだろうか。だとしたらたいがいな暇人だと言わざるを得ないが、少なくともこのカウンターから見える限りにはそんな様子はない。
自慢じゃないが俺は目が良いほうだし、そもそもそんな遠間からじゃ向こうも残りの数を把握出来ないだろうからもし見ているなら近くのはずだ。
はずだ。と、思うのだが…。
そんなことを考えているうちにふらりと来た男子生徒が焼きそばパンをひとつ買っていった。弁当だけでは足りなかったのだろう。ああいう生徒も日常的に来る。
ともあれ残りふたつ。
彼女は来ない。
姿も見えない。
昼休みは、残り15分。
俺はふと思い立って、焼きそばパンをひとつ下げてみることにした。
陳列棚から取り上げてカウンターの奥に置いておく。
これで売店に残っているのは最後の焼きそばパンだ。とは言っても売れた後奥から出すことが出来るから厳密には最後ではないのだが。
まあこのまま出さなかったところでパンひとつくらい自腹を切ってもいい。これなら陳列棚にある焼きそばパンが最後かどうかを俺が決めることができる。
この状況、彼女は来るのだろうか…。
そう思いながらカウンターへ振り返ると、そこには彼女が居た。
ひとつ結びの三つ編みに規定通りの制服と靴下、紺のフルリムセルフレーム眼鏡の、文学少女という型から直接取り出したような姿の少女。
いつも無表情、ともすればやや気だるげに最後の焼きそばパンを買っていく彼女は、今この場に限っては、カウンターの中に置かれた椅子に座っている俺を見下ろしていた。
それは今まで一度も見たことのない表情だった。不敵で、冷笑的な。
彼女は黙ってじっと俺を見ていた。
今まで会計の時以外彼女と目を合わせたことは一度も無かった。ぶっちゃけ会計の時だって目も合わせずに代金を受け取ることの方が多かった。
今日はもしかすると俺のほうも不用意に彼女を注視したかも知れない。でも彼女だってわざわざ俺の顔を見るなんて今まで一度も無かった。
ここから始まる学生との秘密の恋愛。みたいな面白い話はもちろん無い。
彼女は陳列棚にあった焼きそばパンを手に取ると小銭と一緒に差し出して来た。
「ください」
素っ気ない声。おつりの必要ない小銭。そこまでは何もかもいつも通り。
そうしていつも通りの買い物を済ませると踵を返し。
そこで一度立ち止まった。
首だけをひねり、彼女の目の端が引っ掛けるように俺を捉える。
「賢しいな」
独り言のように、呟くように、囁くように、口にした彼女は嗤っていた。
さかしい。
脳内で漢字に変換し、意味を咀嚼し、言われた理由に心当たる頃には彼女の姿は煙のように消え失せていた。
焼きそばパンをひとつ隠したことはお見通しだったってことだろうか。
いやまあそれしか考えられないが、それにしたって一応俺は見るからに年上の店員さんなんだがもう少し言い方とか無いんだろうか。
そう考えると少し癇に障りもしたが、たったそれだけのことを追いかけてまでとやかく言うのも大人げない。しょせん子供の言うことだと自分に言い聞かせる。
そもそも俺自身おいそれとここを空けるわけにはいかない。ここに俺の代わりの人員は居ない。ワンオペというヤツだ。
今回わかったのは、とりあえず彼女は“最後の焼きそばパン”を買うことになんらかの拘りがあって、それは他人には計り知れないくらいに強いものだろうということだった。収穫と言っていいのかわからないが。
しかし、だとするなら彼女に対して溜飲を下げる最適な方法は簡単だ。さっき隠した焼きそばパンを再び並べてやればいい。それだけで彼女の拘りにはさぞかし大きな傷がつくだろう。
先ほどの一言も俺の仕返しまで見越してのことだと思えば悔し紛れの捨て台詞と取れなくもない。なにも腹を立てるようなことはなかったんだ。
そうと決まれば為すべきはひとつ。たとえ女子高生のささやかな拘りを傷つけて喜ぶような小さな男だと他人に思われようと、俺はこの焼きそばパンを棚に並べ直す。
そんな強い決意を胸に振り返ると、どこから入り込んだのか一匹の野良猫が焼きそばパンの袋を破って中身を貪っていた。
残念ながらこいつを売り物にするのは、俺にも無理だった。
猫よ、それ、塩分高いからな。体壊すぞ。
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