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星の約束
「ケイ、少しは理性で感情を抑えるとかできないか?
今月の学校からの呼び出し、三回目だぞ。」
学校からの帰り道、父さんが口を開く。
「無理」
そんなの、無理だ。抑えがきかないから力で解決してるのに。
「その手の早さじゃ社会に出られないぞ」
余計なお世話だ。お前は…
「…父さんは…俺の気持ち、考えたことあんのかよ。」
「え?」
聞こえてない、あるいは意味がわからなかったのだろうか。
「だから、父さんに俺の気持ちなんてわかんねぇって言ってんだよ!」
もう一度、大きな声で言う。
「それじゃあ、その気持ちとやらをちゃんと、言葉で表現してもらおうか。」
出た、こういう所がむかつくんだ。いつも理性的で、冷たくて、論理で解決しようとして。そんなだから母さんに逃げられるんだ。
「それくらい考えろよ!親だろ!?」
本当はわかってる、父さんに言い返したところで無駄だって。
「あのな、親でも全てがわかるわけじゃないんだぞ?」
そんなこと、わかってる。わかってるけど、言い方がいちいちむかつく。やり場のない怒りが、体の中でどうしようも無くなって、父さんとこれ以上一緒にいたくなくて、父さんを置いて、一人、夜道を走り出す。
「あ、おいこら、待て!」
父さんの言うことなんて聞かない。聞こえないふりをして、俺は走り続けた。寒い、息が白く煙る。どこか遠くへ行きたくて、商店街まで走った。
ふと、足を止めて周りを見てみる。来たことはあるけど、見たことは無い光景だ。周りの人はイルミネーションを観たりや買い物を楽しんでいる。非日常的なその光景が、いつもと、また、自分と遠く離れた景色に見えて、不思議な気分になる。あぁ、そうか、そろそろ…楽しいはずのイベントが来るんだ。まぁうちは多分、今年もきっと、父さんは仕事でいないだろうし。ポケットには三百円、それと家の鍵とスマホ。
「三百円かぁ…、こんなん満喫代にもなんねーじゃん。」
周りを見渡しても、当然三百円で泊まれるところなどない。
「おい、そこの少年!」
背中から声が聞こえた。間違ってたら恥ずかしいから振り向かない。
「止まれ!そこの少年。」
一応立ち止まって、振り向いてみる。
「そう、そこの少年。…ラーメン食べんか?」
ラーメン屋のおじいさんが笑顔で手招きしている。
「俺、金ないっすよ。」
「うちは安いから大丈夫。」
「いくら?」
「二百九十九円」
「…食う」
五分ほどで白い湯気を立てたとんこつラーメンが出てきた。ふわぁっと、食欲をそそられる博多ラーメン独特の香りが鼻をついた瞬間、俺はサッと箸をとり、黙ってすすって食べた。空腹は最高のスパイス、というが、本当に美味しかった。こんな屋台ラーメン、聞いたこともないのに。
「ごちそうさまでした」
「はーい、餃子一丁!」
おじいさんとは思えぬ声量で、頼んでもない餃子が出てきた。
「いやだから、俺、お金持ってないんすよ。食べれません。注文してませんからね!」
そう言って、三百円を置いて店を去ろうとした俺を
「サービスだから!うちは全員に焼いてるんだよ!」
とおじいさんが引き止める。そういうことなら…と餃子も食べた。こちらも、聞いたこともない無名店なのに美味しい。…なんか悔しい。
「なぁ、少年。今夜、行く場所はあるのか?」
おじいさんが聞いてくる。これが、優しい人を装った臓器売買の人だったりしたら…と小説めいたことを考えながらも、答えるだけならと
「ありませんけど、どうにかします」
と答え、店を後にしようとする。
「うちに泊まって行かんか?」
ほら、やっぱり。でも、そんないい人なんているわけないじゃん。人間は対価がないと動かないんだ。うちの父さんみたいに。
「お金、ないんです。」
「知っとる。」
「なんで泊めようとしてんすか」
「うちの馬鹿息子に似ている気がしたから。」
「…俺が馬鹿って言いたいんですか。」
「少し違うな。うちの馬鹿息子も、俺と喧嘩した後に出ていっちまってなぁ…。戻ってこなかったんだ。カミさんにはえらい叱られたよ…。でも、息子は帰ってこなかった。でも逆に、訃報を聞くこともなかったんだ。あいつが一人でやって行けるわけがないと思うとな?誰かがあいつを助けたんだと思うんだよ。そう思うとな、息子が出ていった歳に近い少年のことはほっとけん。」
「危険じゃないという保証は。」
親切心で言ったのにこれを言われては腹を立てるだろう、と、あえて言ってみる。
「家の玄関は開けとくから、いつ出ていってもいい。部屋は、息子の部屋を使うといい。」
この提案が本気だとしたら、これ程ありがたいことは無い。お金ももうないし、父さんのところには戻りたくないし。
「あなたにメリットがないですが…」
「言っただろ、人間、助け合いだから。…ほら、店をもうすぐ閉めるから手伝ってくれ。それが家に泊めてやる宿泊費っつうことで。」
なんとなく、信じていい気がした。もしも危なかったら、すぐに逃げればいい。俺は強いんだから。
「わかりました。」
店を片付けるのを手伝って、おじいさんの後についていく。夜空を見上げて、おじいさんが言う。
「少年、見てみろ、オリオン座が見えるぞ。」
星座とか、詳しくなさそうなのにおじいさんが言う。
「綺麗ですね」
とだけ言って、会話を終わらせる。しばらく歩いて、古民家の前でおじいさんが止まった。
「ただいま、帰ったぞ〜」
家の中に向かっておじいさんが言う。
「おかえりなさい」
奥から、優しそうな声で女性の声が返ってくる。
「あら、その子は?」
おばあさんが玄関まで出てきて、おじいさんの荷物を受け取りながら尋ねてくる。
「今夜泊まるところがないって言ってたから連れてきた。」
とおじいさんがいい、俺はと言うと、少し会釈をして、おばあさんの方を見た。おばあさんは、
「いらっしゃい、晩ご飯は、多分この人のラーメンを食べたのでしょう?外は寒いから、中にお上がり。寝る時は、二階の突き当たりに息子の部屋があるから、そこを使いなさい。」
もう一度、軽く会釈をして
「お邪魔します」
と言って上がらせてもらう。おばあさんの後をついて息子さんの部屋に案内してもらい、おばあさんが
「ゆっくりしていってね」
と言ってドアを閉めたと同時に、布団にダイブした。疲れた。寒い中走って、足はパンパンだった。そのまま、俺は直ぐに眠りについてしまった。なぜか、暖かくて、懐かしい匂いがした。
「だから──って言っているでしょう!」
「君のそれは、論理的に説明ができるかい?怒ってないで、ちゃんとした意見を言ってくれ。」
「もうあなたとはやっていけない、──しましょう。」
「やっていけない、という言葉の意味を理解しかねるが、──というのには賛成だ。この場合、性格の不一致、ということになるのかな。」
「そんなことどうでもいいわ。ケイは私が連れていきますからね。」
「いや、────」
「ぼうや、ぼうや、朝ですよ。ご飯が出来ましたよ。」
長らく開けていなかっただろうカーテンを開けながらおばあさんが言う。
「おはよう…ございます…」
知ってる、あの夢は、母さんが僕を置いていった時の夢だ。父さんのあの性格に嫌気がさして、母さんは出ていった。…嫌なことを思い出した。
「どうかしましたか?」
心配そうにおばあさんが俺の顔を覗き込む。
なんでもない、と答えて、おばあさんと一緒に居間に降りる。昔ながらのちゃぶ台に、綺麗にご飯が用意されていた。まともな朝ごはんなんて、母さんが出ていったっきり食べてない。
「さぁさ、若い人のお口に合うかはわかりませんが、たんとお食べなさい。この人のラーメンじゃ栄養が偏りますからね。」
新聞を読んでいたおじいさんが心外だ、とでも言うようにおばあさんをキッと睨みつける。おばあさんは気にしてなさそうだったけど。
「いただきます」
温かいご飯、味噌汁、焼き鮭、お漬物、久しぶりだった。一気に食べて、お腹がいっぱいになる。
「美味しかったです、ごちそうさまでした。」
「お粗末さまでした。」
これからどうしよう。所持金はないし、スマホのバッテリーももうすぐ切れる。家には…帰りたくない。どうせ、心配してすらいないだろう。おじいさんとおばあさんの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい。
「少年、これからどうするんだ。」
「…街をふらふらします」
「今夜もここにいたらどうだ。」
「これ以上ご好意に甘えることはできません」
「じゃあ…一晩だけ、息子になってくれ。」
「?」
「いやな、息子とした約束、果たせなかったんだよ。一晩泊めたし、予定もないなら、それくらいいいだろう?」
「えぇ…まぁ…」
「夕方まで、ゆっくりしておいで。夜になったら、息子になってもらう。」
「わかりました。」
街をブラブラと散策する。赤と緑の装飾に、キラキラ光る看板。久しく見てない世界だった。ずっと、学校で喧嘩してきた。俺は一匹狼でいいんだ。一人でいい。母さんに逃げられたことで、嫌な奴が変なことを抜かすから、喧嘩をしてきた。父さんが情けないやつだなんて、そんなこと、あるわけないのに。考えながら、はた、と気づく。今俺、何を考えた?は?父さんのために喧嘩をしていた?ありえないだろ。あんなやつのために喧嘩なんて、ありえない。スマホが、電池残量十五パーセントを切ったことを告げるバイブを鳴らす。ちょうど、夕方五時の音楽が街に響き出す。シャッターを閉め始める店もちらほらと出てきた。そろそろ、帰るか。
「ただいま戻りました。」
「あら、ぼうや、おかえりなさい。あの人は今、息子の部屋にいるわ。」
「わかりました。」
部屋から、ゴソゴソと物音が聞こえる。
「おじいさん、入りますよ。」
と言って、ドアを開ける。おじいさんは、押し入れの高いところにある大きな箱を取ろうとしていた。慌てて俺は、
「息子がいるんだから、頼ってください。そんなもの、俺が取りますから。」
とおじいさんに駆け寄る。おじいさんは驚いたようにこちらを見ながら、箱を取るために場所を譲ってくれた。大きな箱を持って、静かに床に下ろす。箱の中身は、大きな望遠鏡だった。
「今からな、星を見に行くぞ。オリオン座だけ、息子に教えてもらったんだ。」
そう言って、おじいさんは懐かしそうに、切なそうに望遠鏡を見ていた。
街で一番高い丘に上った。望遠鏡は俺が持って、出来ればおじいさんをおんぶして上れれば良かったんだけど、流石にそれは無理で、歩いてもらった。歩調をおじいさんに合わせて、ゆっくり歩く。スマホが電池残量五パーセントを切ったことを知らせるバイブを鳴らす。スマホなんて、なくてもやっていける。友達はいないし、父さんとも連絡を取らないんだから。
丘を上ったところは、街が一望できる場所で、夜景が綺麗だった。望遠鏡を組み立てながら、おじいさんと話す。
「息子さんは、どんな人だったんですか。」
「そうだなぁ、少年のようなやつだったよ。」
望遠鏡に写真が挟まっていた。拾い上げて、見ようとする。暗くてなかなか見えない。スマホで灯りを付けようと端末を起動させると、電池残量は五パーセントじゃなく、代わりに大量の着信履歴があった。全部…父さん。知らない、あんなやつ。少しモヤモヤしながらも心に封じ込める。写真に灯りを照らすと、そこには…おじいさんらしき人と、俺に似た誰かが写っていた。大して興味も湧かず、おじいさんに写真を渡して、望遠鏡を組み立てる作業に戻る。遠くから車の音が聞こえる。丘を上ってきているようだった。俺はと言うと、望遠鏡を組み立て終わって、位置を整えていた。車の光に照らされて見にくい…方角は確かこっちで合ってるからこの辺りにあるはず…
「あ、おじいさん、ありましたよ。オリオン座です。」
「んー、……やっぱり見えんな、老眼は困ったもんだ…、あの時行っておけば見えたのかもしれんな。」
「ケイ!!!」
車の方から聞き覚えのある声が聞こえる。振り向く俺とおじいさん。
「「父さん…?」」
父さんと、声が被った。父さんの視線の先には…おじいさん。全て繋がった。けど、混乱した。
「とりあえずお前が無事でよかった!」
父さんが駆け寄ってきて、俺を抱きしめる。いつもなら、気持ち悪いと言って振り払うが、混乱していた。
「なんで…探しに来たの…?」
「心配だったからに決まってるだろ。」
おじいさんは、俺達の会話を頷きながら聞いていた。
「その気配りがあれば母さんに逃げられずに済んだのに。」
「母さんとは意見が合わなかっただけだ。」
「でも俺、覚えてるよ。母さんは一度、俺を引き取ろうとしたんだ。なのになんで父さんに…」
「母さんはな、中学を卒業したらお前を出稼ぎに出すつもりだったんだ。父さんは反対だった。大学はケイが決めるとして、せめて高校くらいは出してやろうと思ってた。」
「仕事ばっかりで母さんのこと見てなかったから捨てられたんじゃなかったん?」
「仕事はまぁ…ケイの学費とか色々考えて、働いてるのは父さんだけだったし多かったかもしれない。ただ、別れたのは教育方針が違ったからだよ。」
「そんなこと、教えてくれればよかったのに。」
「?聞かなかったじゃないか。」
やっぱり父さんは父さんだった。
「とりあえず、ケイは帰ったら説教だからな。」
父さんがおじいさんに向き直る。
「父さん、息子を保護してくれてありがとう。」
「いやいや…お前が元気そうでよかったよ。でも、聞いてる限り、あの時の俺と同じことをしていないか?仕事の忙しさにかまけて、星を見に行く約束を破ったこと、あんなに怒っていたじゃないか。少年も、そうやって不満を溜め込んでいるんじゃないか?」
「…」
「とりあえず、みんなで星を見よう。まぁ、俺は見えないんだが。見終わったら、みんなでうちに帰ろう。ばあさんが手料理作って待っとるぞ。」
「帰ったぞ〜」
「はいはい、おかえりなさい。あなたとぼうやと……」
「ただいま、母さん。」
「え…」
「えーとな、こいつは俺達の馬鹿息子で、少年は馬鹿息子の馬鹿息子だったらしいんだ。」
状況を理解したおばあさんの目から涙が溢れる。
「よかった、生きててくれてよかった…」
そう言って、泣き崩れてしまった。
「ごめん、母さん。あの時、あんな理由で出て行ってしまって。今度、また話に来るよ。だから、久々に母さんの手料理食べさせてくれないかな?」
うん、うんと頷きながらおばあさんは嬉しそうに泣いた。
その晩は、四人で食卓を囲んだ。
「ぼうやがいっぱい食べるかと思って、今日はたくさん作ったの。いっぱいお食べなさい。」
おばあさんの作るご飯は、やっぱり温かくて、どこか懐かしくて、美味しかった。
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