1.彼女はパンクロッカー

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1.彼女はパンクロッカー

「世界ってさ、お菓子でできてた方が幸せじゃない?」 そう言って笑った彼女を、僕は見つめることしかできなかった。 突拍子もないような、懐かしい映画のような、一介の高校生がおもいつかないような、そんな発想。 人星(ひとぼし)さんはそんなことを考える僕をよそに、窓の隙間から吹く風に髪を靡かせていた。 「…おかし?」 「うん、そうしたら働かなくていいし、お菓子おいしいし、みんな幸せだよ!」 「ええっ...」 しかし人星さんは、どうして最近、休み時間になると僕に話しかけてくるのだろうか。 隣の席の人間ならまだわかる。なんなら隣の席は人星さんの親友の二灰さんなのだから、昼休みの時のように二人で談笑しているはずなのだ。 しかしなぜ前の席の人間の肩を叩いて、わざわざ後ろに振り向かせるのだろう。 そもそも僕はそんなに彼女と親しかっただろうか。 でも一番後ろの席の窓側の一番端っこは酷く退屈なのだろう。そう思ったらなんとなく学校生活の退屈を紛らわせるには僕はちょうどいい存在なのだろうと勝手に結論付けた。 二灰さんがお気に入りのお店のラーメンなら、僕はたまに気分転換にかけるラー油のような存在なのだろうか。 変な例えだとは思うが僕自身一番しっくりくる例えだ。 「えーなんで、音視(おとし)くんはお菓子嫌い?」 「いや、好きだけど」 「どのお菓子が一番好き?」 「お菓子」、それは通常食以外の嗜好品。そしてそれはすべての子供達を虜にする魅惑の食べ物。 甘いものからしょっぱいものまで幅広い品揃えが度々人間達の間に戦争に近い愚かな分断を起こすのだが、決して裏切られない真実がある。 それは「お菓子が嫌いな人などいない」ということだ。 だからお菓子は何が一番好きかという質問は、名前を尋ねられるが如く答えることができて当たり前の質問なのだ。 「うーん、ハリボーかな」 「あーグミいいよね」 「いや、グミじゃない、ハリボーだハリボー」 「…一緒じゃん」 「は?ハリボーのあの可愛らしいフォルムと噛みごたえある食感を他のグミと一緒にしないでくれる?」 一ハリボーファンとして、今の発言は看過できない。ついかっとなって早口になってしまう。 「…ええっ…」 そんな得意げな僕を人星さんは冷たい眼差しで見つめてくる。 思わず氷漬けにされそうな冷たさに、昔見たアニメを思い出す。 敵の女将軍の能力が氷で、時も止められるとか、そんなやつ。 「じゃあ人星さんは何が一番好きなの?」 少ししゃべりすぎたことを反省して、話題を逸らす。 「うーんとね、チョコも好きだし、クッキーも好きだし、あ、セブンイレブンのチョコチップクッキーに最近ハマっててねー、あーでもポテチも美味しいしうーん」 幸せそうな顔で自分の好きなお菓子を一つづつあげていく彼女の顔を見ていると、こちらも幸せになってくる。 こうやって誰かの顔をちゃんと見たのは、いつ以来だっただろうか。 そうしてふと、僕はあの子のことを思い出す。 どんな顔をしていたっけ。 どんな風に笑っていたっけ。 どんな会話をしていたっけ。 どんな... 「あーやっぱり決められない、全部好き!」 でもそんな昔懐かしい回想は、彼女のひまわりのような大きな笑顔によってかき消されていく。 綺麗だ。 それは通学途中にあるお花屋さんの前を通り過ぎる時に感じるあの気持ちと一緒だった。 丁寧に丁寧に並べてあるたくさんの花束のなんと盛大なことか。 なんと美しいことか。 なんと魅惑的なことか。 その花束は学校にはないけど、僕は自分の後ろの席の人に、確かに同じ気持ちを抱いていた。 「あ、チャイムなっちゃった」 そうして彼女は机の下から教科書を出し、授業の準備を始めたから僕も前を向いて教科書を広げる。 今日はもう、彼女と喋る事はないのだろう。 放課後になって、彼女は友達と帰って、僕は部活に出るだろう。 そうして明日も朝会っても挨拶くらいしかせず、こうして休み時間に一、二回言葉を交わす程度にコミュニケーションを取るのだろう。 緩やかな繰り返し、穏やかな日常。 でもなぜだかそんなたわいもない瞬間を楽しいと純粋に感じていた。 そして同時に、そんな綺麗なものに心を動かされた僕のモーメントを記録しておきたくなった。 今まで僕は日記とかそう言う私的な文章を書くやつを小馬鹿にしていた。 まあなんとおセンチなことかと。 でも生まれて初めて僕は今実感しているのだ。 形にして残さなければならない、そしてそれはできることならなるべく丁寧で美しい言葉として残さなければならない、と。 義務感に近い、もはや強制的なそれはしかし、僕の確固たる意志から生まれていた。 もし書き終わったら、僕と彼女との穏やかで緩やかな、なんの面白味もない交流の回顧録のようになるのだろう。 青春ラブコメのようなドラマチックな事は起きないだろうし、少女漫画のようなロマンチックな結末になることなどないだろう。 でもなぜだか大切に思えるから、僕はこうして文字に残したいのだと思う。 いろんなことを忘れて大人になってしまっても、人星さんの顔が思い出せなくなっても、彼女との思い出は、きっと僕を助けてくれるだろうから。 この気持ちは、きっと大事に大事にしていかないといけないから。 そんなことを考えながら、僕は授業のノートの後ろに、始まりの文章をゆっくりと書きだす。 「そうして僕たちは、緩やかなエンドロールへと歩いていく」 窓から入る隙間風は、そんなカッコつけた意味もないような文章を書く僕を笑っているかのようだった。
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