2.ブルースの列車

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2.ブルースの列車

「ロックンロールって何?」 今日はまた一段と突拍子もない話題を振ってくる、そんなことを思いながら僕は英語の教科書を机の下にしまった。 「ロックは石でしょ?でロールは転がる。nはまあ何のnだかわかんないけど、でも直訳としたら転がる石じゃん。転がる石って何?」 「nはandの省略系だよ」 「あーじゃあ石と転がるだね、どっちみち意味わかんないけど」 「しかしなぜいきなりロックンロール?」 「あーさっきね、授業中暇だったから英語の教科書パラパラめくってたら後ろのほうに『僕はロックンロールが好きです』を訳す問題があったから気になって」 授業中に暇とかないんだよなぁと苦笑しつつ、僕は体の向きを変えて背もたれの上で腕を組む。 そうして生まれた人星さんとの距離に内心戸惑ってしまう。 「…何でそっぽ向いてるの?」 「いや、何でもないんだ、ちょっとね」 この間はあんなにも見惚れていた顔を、近くで見るなんて何だか罪悪感を感じる。 思春期の少年はみんなこういう優しくて気持ち悪い罪を背負っているのだろうか。 「で、ロックンロールって何?あ、あいみょんもうたってるよね『君はロックンロールを聴かない』って、私も聞かないからあいみょんと仲間だ!」 「いやあいみょんはロックンロール聴くからああいう歌詞がかけるんじゃない…?」 「あ、そっか…うーん難しい、携帯で調べてもウィキペディア先生全然具体的な説明してくれないし…あっそうだ!」 そう言うと彼女はポケットからあのリンゴ社の最新のワイヤレスのイヤホンを取り出した。 流行に敏感なんだなぁと意外な一面に驚きつつ、何をするのか見守っていると、彼女が片方を差し出してきた。 「音視くんが『これだ!』って思うロックンロール聞かせてよ、休み時間後5分あるから一曲くらいは聴けるよ!」 無邪気に笑う子供みたいな顔を直視できずに、僕は再び顔を背ける。 どうしてこうも気恥ずかしくなってしまうのだろうか。 それは友達と寄ったコンビニで店奥の飲み物コーナーに向かう途中に通り過ぎる雑誌コーナーでグラビア本を、友達の手前堂々とは見れないからちらっと盗み見るときに感じるあのなんとも言えないもどかしさと似ている。 エロさ、だろうか。 いや、人星さんは制服をしっかりと着ているし、僕の好きなタイプの顔をしているわけではない。 でもだったらなぜ、あのグラビアモデルを見るときのような気持ちになってしまったのだろうか。 それとも、グラビアモデルじゃなくて… 「音視くん?」 「グラビアッ」 「へっ?」 「ああごめん何でもない、いいよ、僕の携帯にイヤホン繋ぐね」 思わずボーッとしていたせいでとんでもないことを口走ったような気がしたがなんとか誤魔化しながら携帯にイヤホンを接続する。 「少女漫画とかだとさ、有線のイヤホンを二人でシェアする場面とかあるよねー」 「えー意外、そう言うの読むんだ」 「むー失礼な、私これでも乙女だからね?」 普段の発想が乙女じゃないんだよなぁと思ったが、その思いはそっと胸をしまっておく。 いつかもう少し仲良くなったら言ってみよう。 そのとき彼女はどんな反応をするだろうか。 怒るだろうか。 悲しむだろうか。 笑われるだろうか。 そんな楽しい未来予想をしながら、僕はライブラリから大好きなロックンロールバンドを探す。 「どっちがいい?右耳と左耳?」 「じゃあ俺右」 「じゃあ私左」 そう言って装着して、僕はこれだと思ったロックンロールを流す。 その音がイヤホンから響き渡れば、僕らのブルースは、加速していく。 「あーこの歌知ってる、CMとか甲子園の応援歌でも使われてたよね!」 「うん、これこそザ・ロックンロールって感じだよ」 「なんか、元気が出るね!変な歌詞だけど。あ、そうだ」 人星さんは徐に右手で僕の携帯を手に取ると、歌詞を表示させ、もう一方の手で僕の袖を引っ張った。 「一緒に歌詞見ようよ!」 そうして僕らは画面の中を一緒に覗き込む。 先ほど振り向いた時よりもずっとずっと近い距離と漂ってくる僕以外の匂いにグラビア以上の悶々とした気持ちにさせられる。 興奮しているわけでもドキドキしているわけでもないのに、この気持ちがよくわからない。 そしてそれは、あの子とこうしてイヤホンを共有して音楽を聴いている時ともまた違った、不思議な、しかしどこか安心してしまう心地良さだった。 「これって歌詞だと『走ってゆけ』だけど声だけ聞くと『走ってゆく』に聞こえるね」 「そうだね、永遠の疑問だね」 僕は少し微笑みながら、もう直ぐ終わってしまうロックンローラーたちの力強い歌声に感じたことのない寂しさを覚えた。 違う、きっと歌が終わることが寂しいんじゃない。 この瞬間が終わってしまうことが寂しんだ。 そうしてはたと気づく。 僕がグラビア本を横目に見ていた時の気持ちと、人星さんの顔を近くで眺めていた時の気持ちがなんで似ているか。 それは背徳感に似ていて、人様の目を気にしていて、でも心のずっと奥の方で否定することのできない、そう言う正直な気持ちだったのだ。 理性と本能が葛藤するときに生まれる、矛盾を抱えた、汚らわしくて最低な気持ち。 でもその気持ちが向かう先は、いつもいつも心を奪われてしまう綺麗なものだった。 「…どこまでもー」 そんな世界の真実に気付いてしまった僕をよそに、人星さんは僕なんか初めからいなかったかのように、小さな声で歌を口ずさんでいた。 もう僕の目が携帯の画面を見ていなかったことに、ようやくこのとき気づいた。 目を離せないのだ、彼女から。 だから歌が終わったのに気づかずに彼女に声をかけられるまで、僕はずっと彼女のことを見ていたに違いない。 「…どしたの?私の顔になんかついてる?」 「ううん、それよりどうだった?ロックンロール?」 「元気が出るね!私も疲れた時に聴きたくなったから、プレイリスト共有してよ」 「いいよ、ちょっと待っててね、あ、後イヤホン返すね」 「うんありがとう、でも、不思議な気分だよね、誰かとイヤホン使うのって」 何だかドキドキするね! そうしてチャイムが僕らの交流を断ち切って、またお互い別々の世界に戻ってもなお、その最後に言われた台詞は、僕の頭の中でずっとエコーしていた。 僕も世界をもっとそう言うふうにシンプルに見れたらいいのにな。 胸のドキドキはさっきのロックンロールの歌詞せいだと自分に言い聞かせながら、僕はノートの後ろに、今日も今日とて記録するのだった。 こんなんじゃ世界平和、守れないや。
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