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3.言の葉に憧れて
「ねえねえ音視くん、この映画見たことある?」
僕の顔に近づいてきた人星さんの携帯画面には、ネットフリックスの動画概要が表示されていた。
「あーこれ、うん、あの監督のちょっと古いやつだよね」
「そうそう、この間新しい映画が出たじゃん?あれみんなで見にいった時に感動しちゃってさー、他の作品も見てみたいなーなんて思ったらネトフリに載ってたんだよねー超嬉しい」
「もう見た?」
「ううん、見つけただけ」
「見ないの?」
すると人星さんは少しバツの悪そうな顔をした。
「いやーなんていうかさ、そのー、映画って一人で見たくないんだよねぇ」
確かに小学校や中学校の時を振り返っても、映画館で映画を一人で見た記憶もなければテレビでやってる再放送も家族で見た思い出しかない。
自然と映画は「誰かと見るもの」という認識をしていることに、僕は人星さんの言葉ではたと気づかされた。
「あーわかるわかる、何かちょっと一人で見るのって勇気いるよね」
すると僕の同意がよほど嬉しかったのか、人星さんは効果音が聞こえてきそうなくらい顔をぱあっと輝かせた。
「そうなの!そうだよね、よかったー仲間がいたー」
「仲間?」
「うん、この間ライハにこの話したら『映画なんて一人で楽しむものでしょ』とか言われちゃったから、みんなそうなのかなーって」
ライハとは二灰さんのことである。
しかし二灰さんが映画を一人で見るとはなかなか意外だった。
「へー二灰さん友達多そうだから、結構映画とかいくのかと思ってた」
「あたし何千回もライハと遊んでるけど、言われてみれば映画だけは一緒に行ったことないの、何回誘っても『えー映画はやだ』って絶対言われるの」
不思議な人だ、そう言って僕は後ろ斜めの空席を見つめる。
きっと二灰さんは飲み物を買いに行ってるのだろう。
僕は二灰さんとは挨拶を交わす程度である。だからこれをきっかけに喋れたりしないかと純粋な期待を胸に秘め、少し「孤独の映画」についての哲学を聞いてみたかったので残念だった。
ちなみに二灰さんは目を見張るほどの美人であり、スタイルもよく、それでいてズバズバ物事を言うものだから男性陣だけでなく女性陣からの人気は絶大だった。
「あー、今ライハと仲良くなるチャンスだったのにとか思ったでしょ」
「え、ううん、全然、いや、全く、ハハッ」
「もー音視くんわかりやすいなぁ、まあでもライハ可愛いよね、あれでいて彼氏いないんだよ、って言うか恋愛とか全然興味ないからあの子」
あのプロポーションであの出立で恋愛に興味がないと言う事実から、ある日クラスの冴えない男子に対して突然恋心が芽生え、そこから徐々に惹かれ合っていく最近流行のインキャ慰め専用ラブコメに近い展開を頭の中で繰り広げるのにそう時間はかからなかった。
いや、あのキャラクターならもっと普通のラブコメ体質主人公の第一ヒロインの座も夢ではない。
誰かの彼女と幼なじみが修羅場なら、彼女は確実に偽物の彼女役になる。
「へー意外だね、きっと今まで告白されても全部断って男性陣の心をへし折ってきたんだろうね」
「ねーあたしも何度『これ、二灰さんに渡してくれる?』とかいって男子からラブレターもらったかわかんないよ、あたし宛のやつはもらったことないのに」
ハハッと乾いた笑いに僕はどう言葉をかけたらいいかわからなかった。
ドンマイ?あまりにも軽いだろうか。
大丈夫だよ?何が大丈夫なのだろう。
そのうちもらえるさ?これがいい。
「大丈夫、人星さんならそのうちもらえるでしょ」
それは根拠も自身も本気も何一つない言葉だったのに、口にした後に実感する。
だいぶ恥ずかしい。
言葉一つひとつは、単語一つ一つは何一つ恥ずかしくないのに、一文にして目の前の女の子にいうと恥ずかしい。
何故だろう。
それは宇宙の果てがどこかという謎よりも、何故人は生きるのかという謎よりも謎めいていて、それでいて疑いようのない「恥ずかしい」という感情が真実として僕を襲う。
ああ、恥ずかしい。
「えーだといいね、誰がくれるかな?」
そんな僕の杞憂なぞどこ吹く風という感じで悪戯っぽく笑って頬杖を着きながら少し上を見つめ、そう遠くない未来に想いを馳せる人星さんのその笑顔は、文字通り夢見る少女であった。
いつか誰かが本当にラブレターを人星さん宛に渡したら、どんな顔をするのだろうか。
「あ、そうだ!」
そうして何かを思いついたように、人星さんはとんでもない提案を僕にするのだった。
「あたし宛にラブレター書いてよ!」
「は?」
「いやほら、あたしこれでもライハ宛のラブレターは何度も読んできたんだけど」
「うん」
「音視君はどんなラブレター書くのかなって」
「は?」
「えー書いたことないの?」
何も考えずにこんなことを言い出すものだから毎度毎度度肝を抜かれる。
いや、それ以前に羞恥心というものはないのだろうか。
「いや、ないことは、ない、と、思うような、気がする」
あれがラブレターだったのか、僕にとってはただの手紙だったような気がするが、兎にも角にも昔の話である。
あの子はまだ、その手紙を持っているだろうか。
それとももう捨ててしまっているだろうか。
どうか捨てておいて欲しい。
でも、捨てられたって知ったら、少し寂しいとも思った。
「じゃあいいじゃん!じゃあ次の時間どうせ自習だから書いといてね!厳しく添削してあげるからさ!」
「あ、いやちょ」
そうして無慈悲なチャイムは会話を断ち切り、楽しそうにこの間一緒に聴いたロックンロールのメロディを口ずさむ彼女を背に、僕はため息をつきつつも、「だったら驚くようなやつを書いてやる」と何故だか対抗心を燃やしていたのだった。
そうやって意気込んでいたのは、ついぞ50分前のことである。
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『他の子には、どうか優しい言葉をかけてあげてね』
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はたと目を覚ますと、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。
夢の中で、あの時彼女に言われたときの光景を再びみていたようだった。
そうして僕はあの最後の言葉を小さな声で呪文のように反復した。
優しい言葉、僕はきっとその言葉の意味を本当にわかる時など来ないのだろう。
あれほど彼女を傷つけたのに、それでも微笑をたたえた顔で僕にはっきりと、しかし寂しそうにそんなことを言われたら、僕はもう何も言えなかった。
言葉には、確かに「言霊」とかいう霊がついて回っているらしい。
そして彼女の言葉は、いつまでも僕の後ろにとりついてた。
本当は、僕が自分でかけた呪いなのに。
彼女は、何一つ悪くないのに。
「できたー?」
後ろからかけられる、明るすぎる声に意識を現実に戻され、僕は後ろを振り向く。
「…どしたの?怖い顔してるけど」
「…ううん、なんでもない、なんでもないんだ」
「ならいいんだけどさ、それよりどれどれ、見せてみそ」
正直にいうと何を書こうか迷っているうちにうっかり寝てしまったため、何もかけなかった。
それほどまでに自習時間は退屈で、お昼ご飯はお腹いっぱいになる程美味しかったのだ。
でももし目が冴えていて頭が絶好調で働いていたとしても、僕は多分、今と同じで何一つかけやしかなっただろう。
優しい言葉を、僕はまだ知らないから。
「はい、どうぞ」
だから僕はノートを破って、白紙のまま彼女に渡す。
「…何も書いてないじゃん、もーせっかく楽しみにしていたのに」
「ごめん、今は書けないや、というか今までかけたことなんてないんだよ、本当は」
「えーさっき書いたことあるっていってたじゃん」
「いや、そうじゃないんだ」
そうじゃないんだ。女の子宛に手紙を書いたというならそれは事実だ。そしてそれはラブロマンスの部類にも入るかもしれない内容だった。
でもそこに気持ちはどこにもなくて、言葉の霊は書くたびにその場からするりと抜けていってしまっていて、まるでパソコンのように言葉はスラスラ出てくるのだけど書いている僕はどこにもいなくて、そうして一定の長さまで書いたら「この長さでちょうどいいや」と書きたいことよりも体裁を気にしてしまっていたから、僕は、どうやら本当のラブレターを書いたことがないのだろう。
「そうじゃない?」
だから不満そうな顔で検事のように問い詰めてくる人星さんに向かって、僕は正直な気持ちを証人のように打ち明ける他なかったのだ。
「嘘や虚構のラブレターなんて、多分僕にはかけないんだ、というより、書いちゃいけないんだ。その人のことをちゃんと思って、その人のことをちゃんとみて、その人のことを理解しようとするから、数ある中から丁寧に丁寧に言葉を選んで、何かを伝えようとするんだ。そうじゃなきゃラブレターじゃない。そうじゃなきゃ手紙じゃない」
だから、だからなんなのだろう。
書けない、ごめん、そうやって謝ればよかった。
でも僕の口をついて出たのは、僕自身も思いもよらない言葉だった。
「だからいつか、今じゃないけどそのうちさ、人星さんにちゃんと書くよ。恋愛とか友情とかそういうのは分からないけど、多分これから仲良くなって、思い出が増えて、いろんなことを思って、いろんなことを感じて、それで、それで偽物でもちゃんと手紙が書けるだろうからさ」
なんでそんな長々と、しかも文章に起こして他人が見たら「何語ってるんだこいつ」と嘲笑を超えて苛立ちさえ覚えるようなことを口走ったのだろうか。
ああ、顔を直視できない。きっと彼女は引いているだろう。
でもそうして恥ずかしさから窓の方へ顔を向けていたからどんな顔をしているかは分からなかったけど、確かな声で、彼女はこういったのだった。
「そっか、じゃあ待ってるね」
でもあんまり気負いすぎちゃダメだよ。
そうして再びチャイムが鳴って、今日最後の授業が始まる。その日はもう彼女と言葉を交わすことはなかったけれど、人星さんの言葉、ずっとずっと耳に残っていた。
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