4.1000の消しゴム

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4.1000の消しゴム

しかし一体エベレストくらいの大きさの消しゴム1000個で何ができるというのだろうか。 消しゴムなんて所詮は鉛筆などの黒鉛と粘土の合成物で描かれた文字や絵などを消すための道具に過ぎない。そんなものが大きくなったところで消す対象なんて一緒なんだから、夢が広がるどころかかえって邪魔くさく感じるのではないだろうか。 数学の証明にてこずり、間違えるたびに消しゴムで消すとケシカスがどこからともなく現れて、机一帯をエントロピーの法則よろしく占領していく。 このケシカスの量が勉学の量と比例するのならどれだけ良いのだろうか。 しかしただただ定理の意味もよく理解できずに書いたり消したりの社会人顔負けのトライアンドエラーを行っているわけだから、どんなに間違えても一向に「エウレカ!」とはならないものである。 ちなみに僕は先ほどから数学の中間試験の過去問を解いている。 そして全く解けないものだから消しゴムに思いを馳せながら現実逃避している。 机は時間が経てば立つほど汚くなる。 それが今僕の目の前に広がる事実だ。 そしてなぜ中間試験を来週に控えている学生がこんなにも必死に勉強を今さらしているのかというと、お察しの通り全く勉強してこなかったからである。 だからいつもなら数学の自習時間なんぞは本を読んだり本がないときは現代文の教科書に載っている短編小説を読んだりして時間を潰していたのだが、今日は尻に自ら炎を点けている始末である。 勉強、それは全ての学生が逃れることのできない宿命であり、学生生活の全てと行っても過言ではない。 もちろん部活に汗を流し恋に現を抜かすのだって学生生活かもしれないが、それは学生生活ではなく「青春」である。 学生生活に本来青春なんてものは不要なのである。 しかし学生たちはまるで勘違いしている、自分たちの本分が「青春」を謳歌する事であり学生生活の本分である「勉学」ではないと。 それは全くもって幻想である。 学生は勉強しなければいけないのだ。 いい高校に入るのはいい大学に入るため。 いい大学に入るのはいい会社に入るため。 いい会社に入るのはいい老後を送るため。 しかし彼らはいつ死ぬかもわからないのになぜそうやって苦労ばかりするのだろうか? アメリカにはこんな言葉あるらしい。 「死後一番お金持ちなのは日本人である、なぜなら彼らは使わず老後のため老後のためと言って貯金をするからだ」 もちろん皮肉であるが、この言葉にムッとする日本人はどれくらいいるのだろうか。 きっと大多数の人間が激昂するに違いない。 ただ僕はそういう大人たちを見て思ってしまうのだ。 その人生は楽しいのだろうか、と。 別にこき下ろすつもりはないし、彼らの生き方を否定するわけではない。 だが窮屈な電車に揺られ 悪くないのに頭を下げなければならず 部下が使えなくても今の時代きつくいうだけで咎められるから言いたいことも言えず 痴漢痴女の冤罪に怯え お金も奥さんや旦那さんに管理されてるから好きなこともできず 子供は夜中の二時に泣き出すから次の日仕事があっても世話をしなきゃいけなくて テレビで気に食わない奴がいるとチャンネルを変えればいいのにヤジを飛ばして飽き足らずSNSに誹謗中傷その人に宛てて書き 子供の頃やりたいなどと思ったことのない仕事についてるくせに就活する若者たちに大して分かってもない「大人とは」論を偉そうに言ってふんぞりかえり 世間の目ばかり気にしてやりたいこともできず 老後や将来の不安から保守的になって 昔したような自由奔放な恋愛も結婚という契約によってできなくて 運動する暇なんてないから不健康になって腹と愚痴ばかり出てくるのに 自分の惨めさは棚に上げてご近所の人たちの他人の不幸話に花を咲かせる。 たくさんそういう場面に遭遇し、そういうひとたちの隣を通り過ぎてきた。 子供ながら、彼らの気持ちがわかるような気がした時もあった。 でもそんな彼らの顔は疲れていた。 顔は白く、目にはクマを携え、笑っていても目が死んでいた。 もちろん仕事が楽しくて毎日が楽しい人だってごく稀にいるし、結婚にとても満足している人たちも多くいるだろう。 だが彼らは決して大人より勘のいい子供たちから「今楽しいの?」という疑問を投げかけられることはないのだ。 そしてたとえそんな質問をされても「子供にはわからない大人の楽しさがあるよ」などという意味ありげで実は酷く薄っぺらい抽象的な回答などしないものだ。 かつて子供だった大人たちが、子供にわからない楽しさなんて覚えるのだろうか。 そうして子供が疑問をぶつければぶつけるほど大人たちは不機嫌になって、彼らは最終的に不機嫌そうにこういうのである。 「生きていくにはお金を稼がないといけない」と。 そしてそれが究極の真理であるかのような顔をしてこの話題に二度と触れないのだ。 世間の子供たちが言わないのなら僕が言ってやる。 「お前のその命はお金をかけて保つほどの価値があるのか?」と。 最近の「意味論」哲学者の界隈では「意味など始めからない」という動きがトレンドで、仏教はもう何千年も前からその思想にたどり着いてた。 人はなぜ、そんな生に執着するんだろうか。 彼らは、なぜ自分の命がそんな高尚なものであるかのように振る舞うのだろうか。 牛の命も豚の命もゴキブリの命も人の命も、価値なんて変わらないだろうに。 「…えいっ」 もしかしたら僕の使命はそんな傲慢な戯言をいう大人たちをこの世界から一掃することなのかもしれない。 意味などないからこそこの世界では何でもできてしまう。 だったら法律もモラルも飛び越えてしまおう。 「…ムッ…えいっ」 背中に感じるボールペンの先端は気のせいである。 そうだ、消しゴムで消すのは何も鉛筆のあとじゃなくてもいいのだ。 そうやって「大人」を自称する「大人になりきれなかった子供たち」を消すことだってできるのだ。 エベレストよりも大きな大きな消しゴムなら、きっとそういう大人たちを消せるに違いない。 「ムー…えいっ」 もう一度背中にボールペンが当たる感覚を感じながら、僕は大きな決意をする。世界のそうした「無意味な命」を消してやろう、そうして僕は子供たちがちゃんと「大人」になれる世界を、そうしてその大人たちが次の子供達に「大人とは」何かを本当に諭せる世界にしようと。 「ひっ」 そんな無邪気で純粋で邪悪な思想は、首筋の違和感と共に吹き飛んでしまっていた。気づけば証明をする手は止まっていて、ノートいっぱいにそういう大人たちを「消す」方法が展開されていた。 我ながら恐ろしいと思ったが、それよりも恐ろしい雰囲気が後ろから漂ってきていたのでくるりと後ろを振り返ると、そこには頬を冬眠前のリスのように膨らませる人星さんがいた。 ちょっと可愛いとか思ったのはまた別の話である。 「…何で反応してくれないの」 「あ、ごめんごめんちょっと世界に対する証明してて」 「訳わかんない…いいもんっ、私もじゃあ証明問題解いてるか、一人で勝手に証明やってれば?」 そう言ってご機嫌斜めな人星さんは明後日の方向を向いてふてくされ始めた。 え、これ俺が悪いの?という自然な疑問をぐっと堪え、とりあえず宥める作戦をとる。 昔読んだやっすい三流記事で「女の子は男がわからないような理由で怒るからとりあえず謝っておけ」という話を読んだことがあった。それが正しいのかは知らないが、とりあえずそれしか知らないので実践してみる。 「ごめんって、ね、機嫌直してよ、あとで自販機でコンポタ買ってあげるから」 「え、いいの?」 ちょろい、ちょろいぞ人星さん。 多分こういう人が悪い人に「お菓子あげる」とか言って誘拐されたりするのだろう。 そう考えると人星さんはまだまだ子供なのかもしれない。 そうしてパァっと顔を輝かせる彼女の顔を見ていると、ピーターパンじゃないけれど大人にならなくてもいいのかもしれないとも思ってしまった。 子供のままの純粋さを持ち続けることは、大人になるよりも難しいような気がする。 「じゃあ許してあげるえへへっ」 「くっ、可愛い…」 そんな笑顔を見せたら何でも許してしまう。きっと彼女のような娘ができたら僕は何でも許してしまうし買ってあげてしまうのだろう。 そう思うと何だか大人になって結婚して子供と一緒に生活するのは、悪い気もしないものだ。 「?なんか言った?」 「いや何にも」 それにしても何の用だったのかと尋ねてみる。 「あーそうそう見てみて、大人になった音視くん書いてみたの!」 人星さんのノートには、それはそれは抽象化された僕の顔が書かれていたが、メガネをかけていたりスーツを着ていたりと今の僕とは少しかけ離れていた。 これが人星さんの大人の僕のイメージなのかと思うと、どうやら側から見れば僕は先ほどまで悪態ついていたあの大人たちと同じような道を歩むタイプの人間らしい。 「へー大人の僕か」 「うん!音視君はしっかりしてるからおっきな会社に入って美人な奥さんと結婚して幸せな家庭を築くと思うよ!」 ああそうか。 どうやら歪んでいるのは世界だけじゃないらしい。 僕も歪んでいるのだ。 かつて少年ながら僕も結婚したいと夢見て、そんな愛おしい家族のためなら火の中水の中雷の道の中どこでも行けるような気がしていた。 いつからだろう、そういう気持ちを失ってしまったのは。 それは最後に恋をしたときに打ち砕かされたに違いない。 いや、あれは僕が勝手に理想を掲げて、勝手に打ち砕かれただけなのだろう。 黒星…。 なおも人星さんはペンを片手に僕の将来を夢想している。 そうして僕は笑いながら思うのだ。 違う、僕はそんな人間じゃない、と。 そんな幸せはもう僕には掴めないと。 でもきっとそうやってペンひとつでたくさんの楽しいことをする君ならきっときっと誰が隣にいても楽しいのだろう。 大人になっても、君は楽しいのだろう。 そして人星さんの隣にいる人はきっと幸せ者に違いない。 だからどうかそんな人が現れるまで、君のその姿をそばで見せて欲しい。 そう願いながら、僕はようやく閉じていた口を開いた。 「人星さん」 「うん?」 そうして言いにくいことを、残酷な現実を、カッコつけずにありのままいうのだ。 それがきっと、正しいことだから。 「証明は?」 「…」 「人星さん数学得意だっけ」 「…」 「来週中間だよ、勉強し」 「学生生活今しかないから」 「人星さん」 「いいの、今勉強できなくても、未来の私がしてくれるから」 「人星さん」 「勉強できなくて生きてけ」 「人星さん」 「…嫌い」 「俺に言われても…」 「音視くん嫌い」 「ええっ…」 「いいもん、週末がんばるから」 そう言って再び頬を膨らませる人星さんに若干、若干ではあるが見とれつつ、ふと己の思考をよぎった悪魔的思考に震えてしまった。 つくづく僕は無邪気で純粋で邪悪な人間だと思った。 「ねえ人星さん」 「…何」 「週末一緒に勉強しようよ」 消しゴムで面白いことはあまりできないけど、消しゴムのおかげで僕は二人きりで週末勉強することになったのである。 ちなみにその後家に帰って誘ったという事実に恥ずかしくて一人悶えていたのは、また別の話である。
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