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「サロンF」には絵美さんと同じ日に通えるようわたしは先生に頼んだ。絵美さんのレッスン時間は待合室でゆっくりしていれば良い。待合室と呼ぶには広くアンティーク家具をしつらえた素敵な場所だ。30脚ほどの椅子を並べ、ときどきコンサートが開かれる。先生は年に数回このサロンで演奏する機会を与えてくれる。生徒同士の交流の場にもなっていて、それが楽しみで参加する人もいる。  そのようなひとりに、家が近く幼い頃から知り合いの(たかし)も含まれるが、半年ほど間が開いていた。大学の2年生の彼は交換留学のために海外に出ていたからである。期間を終えての帰国はもうすぐで、ピアノも戻り次第復活すると伝えてきた。ピアノ大好き昂くんと絵美さんが親しくなるのはたやすいにちがいない。ふたりが仲良くなったら、3人でおしゃべりをいっぱいしよう。あちこち出かけよう。そんなことを頭に思い描くと黙ってはいられない。唐突に絵美さんに言った。 「もうすぐ昂くんというピアノ男子が戻ってくるから、絵美さんに紹介するね。彼は大学生だから絵美さんのほうが年も近いし、音楽愛がすごいからきっと話が合うわ」 「音楽愛……それ、ちょっとひくタイプかも」 「なぜ?」 「なぜって……えっとね、そうそう。音楽愛強すぎる身内がいて、蘊蓄(うんちく)を聞かされて疲れるのね」  しみじみ言うので、昂はそういう人じゃないと返したかったが、ちょうど径の分かれ目に来てしまった。 「またね」  彼女は去り、わたしは頭のなかで呟くしかなかった。  彼は蘊蓄垂れじゃないのに。ピアノで語れる人だよ。たしかにテクニックはわたしのほうが上かもしれないけど。うまいのと語れるのは違う。そう思ったのは彼の演奏を聴いてからだ。  それからも絵美さんに、昂のことを伝えようとするのだけど、彼女は何か過去にピアノ男子と何かあったのだろうか、聞きたくないという顔になる。というより、男子がダメなのかもしれない。  なぜ通信制高校を選んだかいう話になった。わたしが一般受験せず最初から通信を選んだことについて「それ大正解だよ」としみじみ絵美さんは言った。 進学校をやめる決心したのは、ある男子部員の暴言がきっかけだとため息交じりで言った。吹奏楽部内のトラブルに巻き込まれた形だ。通信制に変わってゆるやかな日々を送るようになり癒えてきた、とムリっぽい笑みを浮かべたのは出会った頃のこと。それからかなり時間が経っている。
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