カジノ編

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千里(チサト)は、目の前の平凡系男子が録音機をじっと見つめているのを恐る恐る見上げていた。 目の前の人は、かの有名な砕烈覇殺学園、生徒会長──の、はず。 勇気と知恵で学園を改革し、人柄と信頼で玉座に座る、界隈──腐界隈ではなく、裏の世界で──ではけっこう有名なひと。 それが、 「…………未知の範囲だな…………」 「すみませんすみませんすみませんすみません」 録音機いっぱいに詰められた、この学園の生徒同士の何気ない掛け合いにたじろいでいた。 千里はもはや謝るしかできない。この生徒会長は、学園の生徒に危害を加えられると烈火の如く怒るのだ。 (ああああ……なんだかんだで一番怖い人に一番怖いものが見つかってしまった……!) 泣きそうだ。郷里の妹たちを思う。借金に追われ両親は失踪し、この辺り、治安の悪い外国に戻り、千里は単身働かなきゃいけなくなった。 先日まで日本にいた、ただの男子高校生だったというのにだ。 平和ボケした千里はここらのチンピラには格好の的で、必死で生きて、ようやくこの客船スタッフに就職。お金持ちの接待をして、やっと妹たちのお腹を満たしてやれると思ったのに…… 「俺は死んでしまうんだ……このあと殺されて海に投げ捨てられて誰にも知られず忘れ去られて藻屑になるんだ……」 「ち、チサトくん?」 「ごめんな秋穂ごめんな美桜……お兄ちゃんが不甲斐ないばっかりに幼い二人だけ残してしまっ」 「チサトくん!」 「ヒィッすみません処刑の時間でしょうか!」 「なんだその時間!? いや、再生終わったから返すけど」 へ? うずくまってガタガタ震えていた千里は、戸惑ったような言葉と共に顔を上げた。 目の前には声色通り困った顔をした青年と、少しずつ集めてきた心の栄養もとい男性同士の掛け合いが収録された録音機。 「い……良いんですか……?」 「何がだ?」 「いやその、俺はあんたの学校の生徒を邪な目で見てて……」 男がパチクリと目を瞬かせる。確か鈴木律と言ったっけ。名前まで平凡だが、その分先程脅してきた姿が脳裏に浮かび反射で震え上がる。 が、当の本人はボケーッと、平凡そうに首を傾げるのみ。 「なんだそのくらい。いくらでも見たら良いんじゃないか? 手は出してないんだし」 「エッ!?!? 砕烈覇殺学園って思想の自由が許されてるんですか!?」 「何だと思ってんだうちの高校を」 そりゃもちろん地獄である。現在の砕烈覇殺学園は腐男子としてはものすごく魅力的なザ・王道学園だが、少し前までそれはそれはひどい学校だったのだ。 裏では昔からその人権を無視した校風は話題であったらしい。 巧妙に隠れていたそれを白日の元に晒し上げ、一度は評判を底辺に貶めた現生徒会長など、関わりたくないに決まってるのだ。 しかしそれを例の生徒会長の眼前でいうわけにもいかない。温情で見逃された命が今度こそかき消えてしまう。 「……うん。そうだな、チサトくん」 「ひゃっはい!? な、ななななんでしょうか!?」 くっくっくっと喉を鳴らすように笑う会長。側から見ればただ男子高校生がウケてるだけなのだが、千里は大変なビビリだったのでそれが悪魔の声にも聞こえとうとうほろほろと涙をこぼす。 ──あぁ……なんか知らないけど……終わった── 「あっはははは!!! きみ、さっきから思ってること全部口に出してるぞ!!!」 「!?!?!?!?!?」 とうとう律は保っていた威厳もかなぐり捨てて爆笑し、千里はそれが怖すぎてびっくりした時のフクロウみたいになった。もう涙腺もダッバダバである。じょばっと涙を流し下半身からはギリで出なかった。 そしてその様があまりにも愉快で、悪いとは思いつつ律はさらに声をあげて笑った。 「なははははは!!! めちゃくちゃ面白いなチサトくん!! あぁごめんごめん、泣くなって。驚かせちゃったか」 律は目線を合わせるようにしゃがみ込み、一定の距離をとって人懐っこく笑いかける。 「別に怒ってないぜ。地獄だったのは事実だしな」 「へっ」 「……俺のやったことも、まぁ、事実だよ」 ひどく、優しい声色。千里が顔を上げると、律は少し眉を下げる。切ないというか、悲しいというか、そういう顔だった。寂しそう、と言うのだろうか。 なんだかすごく申し訳ないことをしてしまった気がして、千里はパクパクと口を開いたり閉じたりする。 「怖がられるのも、分かってる。脅かしちゃったしな。そうでなくとも、きみにとっては地獄の王様。 矢口がごめんな? 俺なんかと組むの、嫌だろ」 「そ──」 そんなことない。と言いたくて、言葉が出なかった。だって本当に地獄の王様だと思ってたし、千里は律が怖い。底知れない。 「……友達になるのも、ダメか?」 (あ──) しゅん、と眉を下げる。寂しさを我慢して悲しそうに笑う顔が、働きに出る自分を見る時の妹にそっくりだった。 「ち、違う……!」 「?」 つい、声をあげていた。 「お、俺が知ってるのは、評判だけの、あんたなので! 友達になれないとか、そんなんじゃないです!! ただちょっと、慣れてなくて。俺が怖がりなだけなので!!」 「うんうん」 「矢口様の指示もありますし!! 誠心誠意!! サポートしますから!!」 「そうか」 ここで、ん? と思った。あまりにも返事が軽い。え、さっきまでしょんぼりしてましたよね? 捨てられた子犬みたいな顔してましたよね?? 千里は混乱する。騙されやすく善良な男であった。 ──そして、そんな騙されやすく善良な男を躊躇いなく騙すのが、鈴木律という男であった。 顔を上げた千里は瞠目する。律はにっこりと笑い、満足そうに首を傾げていた。 「じゃあ馬車馬の如く働こうな♡」 あれっ………… ガシッとしゃがみ込んだ千里の腕を掴み、律はズルズルと歩いていく。それに引き摺られながら、千里は首を傾げた。 「…………もしかして、俺、騙されました?」 「状況判断が遅いなぁきみ!」 律はやっぱり面白そうに笑っていた。
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