夜烏

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君はかわいいと 口の中に放り込まれた飴玉 歪んだ女にしか変化できなかったけれど 口紅は神の使いとして黒にしたから 私はかわいいと言われたのだろうか 生まれてくるのなら 鳥のメスとしてではなく 人間の女でありたかった 君は神のようにきれいだと言ってくれたあの男に 一度だけでいいから、抱かれたかった 私は羽を広げ上昇し そして下降する 私の体など 命など 池のずっとずっと底の 奥のほうまで 地獄の闇まで堕ちてしまえばいい 私は烏の掟を破った、神の力を持ってまでして人間の女にならずともよかったのだ、それでも毎日池を見て、私に手を振って笑いかける男の、私の知らない無邪気な横顔を見てしまったから、あの豪雨の夜にアパートまで駆けつけてしまったのだ、喪服を着た女として。抱いてほしいと願ってしまったのだ、一度きりでいい、名前なぞ呼ばれなくてもいいから、私の体を、抱きしめてほしかった、頂点にまで辿り着きたかった。今晩だけでよいのです……一夜だけ、抱いて、ください。男はそっとドアをしめて私を抱きしめ、頬ずりした、君はかわいい、君はかわいい。それだけでよかった、愛してもらえなくてもよかったのだ、害鳥としてあの池に住み続けるわけには、男のためにも世界のためにもいけなかったのだ、それなのに それなのに 私は女としての本能を捨てきれなかった 卵を孕んで産む、私の雛を見たかったのだ いいや違うかもしれない 一度きりでいい 男に、本当に、本当の意味で愛されたかった それなのに 歪んだ人間の女としてしか 変身できなかった 烏は神の力を持つ それゆえ 私は何にでもなれた それでも 私はたった たった一人の人間の男に愛されたかった それがなぜ なぜいけないことなのか! 愛されたかったから あの雨の夜に 泣きじゃくりながら男の胸の上にいた 明日にはいなくなります と言って 男はそっと 私の黒髪をなでると 君はかわいい と言って 下界の飴玉を放りこんだのだ 甘い味が舌の上を這いながら 私は池の闇へと堕ちていく 罪を犯したものとして やがて地獄で 男が翁になってから 男を見上げるのだろうか はは、今度は逆だ 烏であった私が人間を見上げるなど 一度きりの罪だけれど 幸せなあの夜を 私は死んでも忘れないだろう 女になれた幸せを、忘れないだろう
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