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2年目
飽きもせずに、季節は巡る。わたしたちにとって、共に過ごす、二度目の冬がやってきた。
だからって別に劇的に何かが変わるわけでもないのだけど、そういうのがいいのかなあ。バトル漫画の主人公じゃあるまいし、次から次へと無理難題とか強敵に立ち向かわれても、正直言って困るわ。
今日は二人とも授業がない日で、わたしはいつものように、彼の家で眠りから目覚めた。自分の家に帰らなくても困らない程度の必要なモノは既にこの家に置いてあったし、泊まることが先にわかっている日は、鞄の中に、教科書やノートに紛れて諸々を一緒に突っ込んで登校している。
なお、昨日は、後者だった。恋の熱に浮かされてるなあ、という自覚こそあれ、だからなんだよ恋くらい好きにさせろ、という気持ちも確かにある。そういう気持ちを、自分のような面白みのない人間でも持てるようにちゃんとできていた……ということ自体が、すごいなと思う。
「今日の晩、何食べるか」
身体を起き上がらせると、そう声をかけてきた彼は先に起きていて、今はテーブルの上に置いてあるノートパソコンに向かっていた。その画面が限りなく真っ白けに光を放っているところをみると、おそらく、明日が〆切の経営管理論のレポート課題と戦っていたのだろう。勝ったのかは知らない。むしろ、たぶん負けてるわ、あれ。昨日の寝る前と画面いっしょだもん。
「起きて、もう夕食のこと考えてんの」
わたしがけらけらと笑うと、彼は「だって夕食のメニューって、大事じゃん」と言いつつも、少し照れたように、唇を笑みのかたちに曲げる。なんだか、こういうなんでもない会話でも、彼とならとても楽しいし、うれしい。箸が転がっても笑える……みたいな話だけど、それと同じような感覚だった。
ベッドの横のカーテンを開けてみると、抜けるような青い空の下、真っ白な雪が陽の光をはね返している。天然のレフ板みたいだった。隣の家の前で、車に積もった雪を、スノーブラシで下ろしていた。どうやら、また夜中に結構な量の雪が降ったらしい。
「晴れてるから、寒そうだね。外」
「だよなあ。起きた時、部屋ん中やばかったもん。外より寒かった気がする」
彼の向こう側で、部屋の隅のストーブが元気にあたたかい風を吐き出している。布団を抜け出して人差し指でボタンを押すだけとはいえ、その一歩を踏み出すには相当の勇気と決断が必要だったに違いない。まあそれなら寝る前にタイマーつけろよ、とは思うけど。
このままだと、まただらだら時間だけが過ぎていっちゃいそうだ。それは、もったいない。学生は勉強が本分なんてどいつもこいつも簡単に言ってくれるけど、あとで思い返したときにそれだけで埋まった思い出なんて、美しいわけがない。
それに、わたしだって少しくらいは、彼のことを独占したい。彼がわたしのことしか見つめない時間がほしい。訳のわかんないレポートなんぞに、いつまでも邪魔されてたまるか。
少しだけ考えをめぐらせてから、わたしは言った。
「提案します。……寒いし、夜は鍋なんていかがでしょうか」
「採用します。でも、味は?」
「キムチしか勝たないと思うのですが」
「ほーん。でも鶏白湯なんてのも捨てがたくはないかな」
「じゃあ、こうしようよ。先に経営管理論のレポート書き上げた方が決める権利を得る……ってことで」
「えー」
わざとらしく、彼は頭を抱えた。彼は名だたる文豪ですら舌を巻くほどの遅筆だ。試験の成績はそれほど悪くないのに、そのことが足を引っ張っていそうな気がする。
こう言えば、そんな彼でもちゃんと集中してレポートを書き上げてくれるかな……と思ったのが、理由の一つ。あとは、競争にすれば彼も早く終わらせようとしてくれるし、そしたら多少は二人でべたべたできる時間ができるだろう……と思ったのだ。
わたしは、ずるい。
彼は唇を尖らせながら、ぶつぶつと言った。
「レポート書くのだったら、絶対、真綾のほうが早いじゃん。いつもそうだし」
「だいじょぶ、だいじょぶ。わたし、まだ一文字も書いてないもん。ってかそれ、どれくらい書けたの?」
「三分の一くらいかな」
よし。
今晩はキムチ鍋だ。
内心で勝利を確信したわたしは、そろりと言った。
「いいよ。それと、わたしがこれから起きて準備する時間がハンデってことにしよう」
「わかった。なら、遠慮なく先に行かせてもらうぞ。はっはっは」
「はいはい」
ぱちぱちと、彼は自分の頬を叩いて、気合を入れているようだった。かさかさしてきたし、ついでに化粧水を少し分けてあげればよかったかな……と思いつつ、わたしはバスルームへ向かった。
***
近所のスーパーからの帰り道。陽はすっかり傾き、季節限定で一日の多数派を占める、夜の時間が始まった頃合いだった。
わたしと彼が一歩、また一歩と踏み出すたび、踏んだ雪が鳴く。今日は寒すぎて固まらない、さらさらとした雪が積もっている。きゅ、きゅ、とかわいらしい音が耳にやさしかった。
「結局、負けちゃったなあ。いいんだけどさ、キムチ鍋も好きだし」
白い息を吐きながら、彼は買い物袋を持った右手を、ぶらんぶらんと揺らす。赤い色の目立つスープのパックが、半透明の袋の向こう側にのぞいていた。それと野菜や肉、お酒の缶。入学した頃はびくびくしながらレジに持っていったものだが、今では涼しい顔をして会計ができる。
わたしは笑い飛ばした。
「なら、いいじゃん。……よし、次はきみが決める権利をあげよう」
「いつの間にそんな権利を分け与える地位を得たのか」
「あはは。……でも、それでいいよ。ちゃんとお互いに納得できるかどうか、っていうのが一番大事なんだよ」
「……前から思ってたけど」
「うん?」
「真綾って、大人だよな。というか、悟りきってる」
「あん?」
「なんでもないです」
他愛もない話をしながら、手を繋いで、小雪の舞う帰り道を辿る。
二人で歩いた道を、また二人で帰れることが嬉しかった。
わたしは、買い物に向かう時にきざまれた彼の足跡に、少しずつ、自分の足跡を重ねながら歩いた。
たぶん、彼は気づいていなかったと思う。
いや、むしろ気づかないでいいです。バレたら恥ずかしいんで。
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