どうしてヴァンパイアハンターになったの?

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「パパはどうしてヴァンパイアハンターになったの?」 久しぶりの我が家のソファで風呂上がりに寛いでいると、次女がそんなことを言ってきた。 理由、そんなものは決まっている。 「何でそんなことを聞くんだ?」 次女がソファの隣に腰を下ろし、俺の顔をじいっと覗き込む。 珍しい。 十二歳になる長女にはマンションの扉の前でぼうっと立っていると、さっさと入ったらと絶対零度の瞳で睨まれたし、八歳と六歳の息子二人はお帰りなさいと言った切り二人でゲームをしていて近づいても来ない。 年に数日しかいない父親など恐らく他人と同じだろう。 嫌、他人の方が邪魔にならないだけましか。 会うたび人間から遠ざかっていくやたらとでかい血の繋がった父親など、不気味に違いない。 「あのね、学校の宿題なの。将来なりたい職業を書きなさいって」 「お前がなりたいものを書けばいいじゃないか」 「それがわからないから聞いてるの。ママは専業主婦だから働いてるのお家じゃパパだけでしょ」 「ママは働いている。五人の子を育てるのは大変なことだ」 「そうね、ママはシングルマザーと一緒だもんね」 長女の横やりが入る。 台所で妻と二人焼きそばを焼いていて、そちらに顔を向けると目を思い切り逸らされた。 「それは、悪い、と思っている」 「本当に悪いなんて思ってないでしょ。パパ、そもそもパパ私達の名前全員憶えてる?」 「当たり前だろう」 「生年月日言える?」 「皐月。2225年5月27日生まれ」 「私は?」 「葉月。2227年8月24日生まれ」 「桐。2229年7月30日生まれ」 名前を呼ばれたからか、長男がこちらを見たので目が合った。 次男も不思議そうに目の色が違う己の父親を見ている。 「涼。2231年7月19日生まれ」 「この子は?」 皐月がベビーベッドで眠っている赤ん坊の傍までいき、心底気に喰わないといった顔をしてみせる。 大きくなったなぁと思う。 こんな鮮明な表情の記憶が今までなかった。 「秋、だろ?」 仕事に行く前、妻の腹は膨れてなかった。 今はもう跡形もないくらいぺっしゃんこだ。 自分は妻の出産に一度も立ち会ったことはない。 久しぶりに帰ると妻はいつも子供を産んでいる。 今回もそうだった。 俺を迎えた妻は玄関で、十月に生まれたの、男の子よ。 秋っていうの、秋は季節の秋よと言っただけで、お風呂に入ってきたらと言ってくれた。 いつもそうだった。 「お誕生日は?」 「悪い、いつだ?」 「十月一日。何で聞かないの?」 「悪い」 「皐月。パパ帰って来たばかりなのよ。しょうがないでしょ」 「でもいつだっていないじゃない。家はお祖父ちゃんもお祖母ちゃんだっていないのに、いつだってママ一人で」 「パパのお仕事は大変なお仕事なの。ママ達がヴァンパイアに怯えずに暮らせるのはパパ達ヴァンパイアハンターが一生懸命戦ってくれてるからなのよ」 「わかってるけど」 「嫌、皐月の言う通りだ。いつも悪い」 「何言ってるんだか、いいのよ。食べましょ」 妻が用意してくれた焼きそばとグラタンとカレーを食べると葉月が俺のスウェットの袖を引っ張り、さっきのと言った。 息子たちは又ゲームをしている。 「パパがヴァンパイアハンターになった理由か?」 「うん」 「抗体が欲しかったからだ」 「こうたい?」 「ヴァンパイアに噛まれるとヴァンパイアウィルスに感染して死んでしまうだろう?」 「うん。学校で習った」 「死なない為には抗体を打ってもらうしかないんだが、パパのお家は余り裕福じゃなくてな、抗体を買うお金がなかったんだ。 ヴァンパイアハンターになると契約として抗体を打ってもらえるから」 「それでヴァンパイアハンターになったの?」 「ああ、そうだ」 「つまらない理由ね」 皐月はドラマを見ていたのだが、冷めた目でチャンネルを変えた。 テレビを見るのは久しぶりだ。 「抗体欲しさなんてつまらない理由ね。結局自分が助かりたいからじゃない」 「その通りだな」 「何それ、誰かがしなきゃならないなら自分がしなきゃって思ったわけじゃないんだ?」 「そんな風には思えないな」 「純粋な正義感でなったわけじゃないんだ」 「そんなんじゃない」 「他の仕事しようと思わないの?」 「他の仕事なんてできない」 ヴァンパイアハンターの契約は契約者の死まで続く。 有り得ないくらいの大金を貰い、超高層マンションの最上階に住むんだ、当然だろう。 本来得られるはずがなかったものを得るというのはそういうことだ。 「やってみなくちゃわからないじゃない」 「わかる。パパは不器用だし、他に何もできない」 「まだ三十にもなってないんだから何とかなるんじゃないの?」 「無理だ」 「皐月、葉月とお風呂入っちゃいなさい」 「ママは黙ってて」 「パパ疲れてるのよ。休ませてあげて」 「だって」 「お願い」 妻が胸の前で手を合わせた。 その仕草は見たことが何度もあった。 だがどんな場面で、相手が自分だったかさえ思い出せたりはしなかった。 「貴方」 ベッドに横になりうとうとしてると妻が潜り込んできた。 「悪い」 「いっつもそればっかり。皐月はね、あれよ、思春期だから」 「そうだろうな」 俺には女の兄弟はいないためわからないが、女の子というのは大変だろうと思う。 ましてや俺のような父親。 そういえば俺は自分の父親さえまともに知らない。 知っているのはいつも俺を「何でいるのよ」みたい目で見ていた母親と隣で困ったように笑う妻だけだ。 「あの子だって本当はわかってるの。貴方が一生懸命戦っているのは、世界中の人が抗体を打てるようになるようにだって、でも辛いのよ。貴方が自分達から遠く離れた所で痛い思いをしてると思うと、どうしたって辛いの。家族なのに心配することしかできなくて、何もしてあげられないのが苦しいのよ」 俺の目はいつの間にか赤く染まり、髪はもう真っ白だった。 そのくせ身体中の骨が折れても簡単に治ってしまう。 人間からどんどん遠ざかっていく。 「もう帰ってこない方がいいか?」 「やめて。どんな姿になっても帰って来て。桐と涼もね、本当は貴方のことが大好きなの。あの子達がやってるゲームね、ヴァンパイアハンターのゲームなんだけど、貴方によく似た額に傷のある黒髪のイケメンキャラがいるの。あの子達ねいつもその貴方によく似たイケメンを使ってるのよ。かっこい装備拵えるためにアイテム集めて一生懸命なの」 「もう黒髪キャラじゃないけどな。額に傷は、そのうちつくかもしれないが」 妻が俺の心臓に頬を摺り寄せる。 俺は泥のように一つに溶け合っていくのを感じて、その心地よさに目を閉じる。 この暖かさはどうしたって手放せない。 今も昔も本当に欲しかったのはきっとこれだけだった。 「本当のこと言ってくれて良かったのに」 「何がだ?」 「貴方がヴァンパイアハンターになった理由」 「言えるか」 「恥ずかしいの?」 「当たり前だろ、一生言うか」 「私はすっごく嬉しかった。久しぶりに会った貴方は背が高くなって、信じられないくらいかっこよくなって、高嶺の花って感じで、正直ときめきが止まらなかったわ」 「嘘つけ。もう寝る。お前も寝ろ」 「えー。せっかくだから、もっといっぱいお喋りして、イチャイチャしましょうよー」 「眠い。寝る」 「六人目、作りましょうよー」 「それは作ってもいい」 本当の理由なんて絶対言えるか。 墓場まで持っていく。 骨が残るかすらわからないが。 ヴァンパイアが突如この世界に現れたのは二百年ほど前らしい。 本当はずっといたのかもしれないが、表舞台の主役に躍り出たのは二百年前だ。 それから人類はずっと戦っている。 多大な犠牲の果てにヴァンパイアウィルスの抗体ができた。 だがそれは上級ヴァンパイアの体液を使って作るとても希少なもので、大量生産できるような代物じゃなかった。 結果富める者だけが抗体を得ることができ、空を飛べないヴァンパイアのため人類は天へ天へと住処を伸ばしていった。 父親は知らない。 母のこともあまり覚えていない。 気が付けばいなくなっていた。 優しい色彩を伴い記憶に溢れるのはいつも一人の女だけだった。 女は同じ施設にいた。 可愛らしい顔立ちをしていた。 いつもにこにこと薄紫色の花のように笑っていた。 特に何かを話したわけではなかったが、両親をヴァンパイアに殺されたと教えてくれた。 その時生れて初めて俺は他人を可哀想だと思った。 何故だかわからなかったが、いつも視界のどこにでも女はいて、優しく暖かく柔らかく風のように微笑んでいた。 女はいつしか子供のいない夫婦に引き取られ施設からいなくなった。 義務教育を終える頃、ヴァンパイアハンターの話を施設の職員から聞いた。 試験は簡単な体力テストだけと聞き、これしかないと思った。 「ヴァンパイアハンターになった。ハンターの家族も抗体を打ってもらえる。これに名前を書け」 数年ぶりに会った男に女は目をぱちくりとさせ、困惑の表情を浮かべていた。 それはそうだろう。 開け放たれたドアから飛び出して来た色づいた世界に俺自身も驚いていた。 想像以上に女は美しくなっていた。 離れていた時間を恨みがましく思うほどに、その髪に瞳に胸が締め付けられた。 「他に言うこと、ある、でしょ?」 「何がだ?」 「何って・・・・」 「さっさと書け」 女は俺から白い紙を受け取り、苦笑した。 「翼君、私のこと好き、だったの?」 「知らん」 「知らんって」 「家族も打ってもらえるって聞いた時、真っ先にお前が浮かんだ」 「どうして私?あれから一度も会ってなかったのに」 「わからん。書け。抗体打ってもらえるぞ」 「こういうのって、もっと段階踏むんじゃないの?」 「段階?」 「デートとか、ハグとか」 「別にいい。それより抗体だ」 「ねえ、もっと話すことない?」 「ない。書け」 「そもそも翼君、私の名前憶えてる?」 「佐藤菖蒲」 「憶えてるんだ」 「当たり前だろ。忘れるわけあるか。書け」 「貴方の名前・・・」 「俺のはもう書いてある」 「うん、書いてるね。夫となる人遠野翼」 俺は内心気が気でなかった。 どんな手を使ってでも女に名前を書かさなくてはならない。 正直ハンター試験よりよっぽど緊張した。 「ホントに私でいいの?後悔しない?」 「他に思いつかない。さっさと書け」 「でもさ、翼君。ヴァンパイアハンターってすっごくお金持ちになるんでしょ?これからいくらでも綺麗な人と出逢えるかもしれないのに、私で妥協しちゃっていいの?」 「出逢えない。書け」 「嫌、出逢えるよ。翼君、背も高いし、凄い筋肉だし、顔だってかっこいいし、お金持ちになったら女の子がほっとかないよ」 「ほっとくだろ、あぶく銭だ」 「あぶく銭じゃないでしょ。翼君が一生懸命頑張って働いたお金でしょ」 「まだ金も貰ってない。抗体を打ってもらえる許可が下りただけだ」 「私達まだ十六だし、そんなに早く決めなくてもいいと思うんだけど」 これほど渋ると言うことはもう既に女は抗体を打ってもらえる当てがあると言うことだろうか。 俺は焦り、嫉妬した。 女が誰かの物になるのは嫌だった。 女が俺以外の誰かに寄って安心を得ると言うのが嫌だった。 俺以外の誰かが女を安全にするのが堪らなく嫌だった。 それこそ血が沸騰しそうなほどに。 「お前、抗体欲しくないのか?」 「欲しいよ。何処でヴァンパイアに遭遇するかわからないし。死んじゃうのは嫌だよ。死にたくないよ」 「じゃあいいだろ。書け」 「でも、でも」 「書け」 俺は何も言わず女を見た。 女はため息をつき、観念したのか名前を書いた。 「不束者ですが末永くよろしくお願いします」 女は深々と頭を下げた。 「そういうのはいい」 「そうだね。初夜にとっておこうね」 女が顔を上げる。 目に涙を一杯溜めていた。 その顔を見たのが二度目だと思い出す。 そうだ、女は施設から出て行くとき、翼君元気でねと言って、そんな顔をしていた。 今の今まで忘れていた。 記憶の女はいつも澄み切って美しく、眩しかった。 大切にしまいすぎて忘れていた。 そうだ、女は笑うけど、泣くのだった。 これからずっとこの女を独り占めだ。 信じられないくらい清々とした気分だ。 俺にもこんな気持ちあったんだな。 「ごめんね、上がって。お茶淹れるよ」 「嫌、これを出しに行くからいい」 「今から?」 「ああ。お前の気が変わらないうちにな」 「そんな簡単に変わらないよ」 「人の気持ちは変わる」 「翼君は二分後にはもう私と結婚したくないってこと?」 「そんあわけあるか。死んだってない」 女は笑い俺の手を取った。 その眩暈がするような温かさに、自分がずっと伸ばした手の先にあったのがこれだったと気づいた。 もうこれを離さなくてもいいのだと、諦めなくてもいいのだとわかった。 どうしてパパはヴァンパイアハンターになったの? お前のママと結婚したかったからだ。 そんなの恥ずかしくて絶対に言えない。 言うか。 絶対。 俺はお前のママに好きすら言えていないんだから。 それに嘘は言っていない。 抗体が欲しかった。 試験が簡単な体力テストというのは嘘だった。 死にかけるを本当に身をもって知った。 そのたびに女を思い出した。 まだ見ぬ幻の抗体は女と何度も重なった。 今も仕事で痛みを感じるたびに思い出す。 でももう思い出すのは施設にいた花のような可憐な少女一人ではなく、娘や息子達、思い出せる顔はどんどん増えていった。 今日の不機嫌な皐月も、袖を引っ張る葉月も、焼きそばを頬張る桐も,カレーをよそう時人参だけ避けていた涼も、俺の人差し指を握りしめ満足そうだった秋も、俺は思い出せるんだ。 「次帰ってきたら、きっと生まれちゃってるわ。ねえ、名前、たまには貴方がつけて。男の子と女の子両方考えて」 「お前に任せる。俺はそういうセンスはない」 「もう。ねえ、お正月までいてくれたりしない?」 「呼び出しがなかったらな」 「ホント?」 「ああ」 「私すっごく幸せ」 「亭主の見た目がこんなになってもか?」 「かっこいいわよ。白い髪も赤い目も」 「これじゃスーパーも行けないな」 「行きたいの?」 「別に」 妻がくすくすと笑う。 顔は見えないが、体温が心地いい。 離れたくないと思う。 もう仕事に行きたくないとも思う。 死にたくないと思う。 俺が死んだら国からかなりの額の見舞金が出るから、死んだ後の心配をしなくてもいいのは有り難い。 ヴァンパイアハンターになって良かった。 それは確かだ。 ずっと思い詰めていた女を妻にすることができたのだから。 俺にとってはこれ以上はない。 どうしてパパはヴァンパイアハンターになったの? お前のママと結婚したかったからだ。   あとは、プロポーズの言葉が他に思いつかなかったからだ。
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