お婆さん

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お婆さん

それはそれは酷い有り様だったらしいよ。 夜が明けて。お婆さんのいるはずの部屋に家族の人がやってきて。お婆さんだったモノが部屋中に散乱した様子は。 お婆さんはもう一人では動くことさえ出来なくなっていた。もう、猫たちに餌を与えられなかったんだ。 今まで散々猫たちに餌を与えてきたお婆さん。 もうあげられない。じゃあ、猫たちはどうすればいい。散々期待させといて、もう貰えないなんて。 こいつは悪いひとだ! こいつは悪いひとだ! 猫たちはそう言っただろう。 その瞬間、お婆さんは猫たちにとって用済みになっちゃったんだ。 猫の裁判長が出した判決はただ一つ。 『有罪。よって死刑』 最期の最後にお婆さんが猫たちにできたことは、『自分』を餌にすること。自分の体を猫たちにくれてやること。 お婆さんは、その夜、猫たちに体を喰われて死んでいった。 証拠は何もないんだけどね。 でも、噂だと本当に酷い状態だったらしいから…「人間の仕業じゃない」ってことなんじゃないかな。 家族の人たちは泣き崩れていたそうだよ。悲しくて? それもあるだろうね。でも、何よりこんな最期を身内が迎えてしまったという情けなさで胸が一杯だったんだろうって、僕は思うな。 情けない。恥ずかしい。よりにもよって自分の身内が。こんな不気味な亡くなり方をするなんて。 変な宗教に手を出したばかりに。 野良猫になんて餌をやったばかりに。なにがネコサマだ。恥ずかしい。 人が亡くなって嬉しいと思わなくても、最期にこんな風に思われるのは嫌だね。思うのも、嫌だけど。 でもさ、現実にはそんなことたくさんあるでしょ。 ねえ、もう少しだけ、逝ってしまった人を顧みてあげようよ。 たったひとりで最期を迎えた人たちに、同じ「ひと」として別れの言葉を送ろうよ。 僕は、遠くから形だけのお婆さんの葬列を見て思う。 猫に有罪とされてしまったお婆さん。腹を、腕を、足を、全てを、信じて愛した猫たちに喰い千切られ息を引き取ったお婆さん。 最期はきっと、痛くて、寂しくて、淋しかっただろうお婆さん。 最期は、何を望んだだろう。 神様、お願いです。神様、お願いです。ネコサマ、お願いです。 痛いまま死にたくない。苦しいまま死にたくない。 体を喰っても構いません。ネコサマの一部になれるなら。神様の一部になれるなら。 ですが、痛いのは嫌なんです。苦しいのも辛いのも、嫌なんです。 神様、お願いです。 幸せな夢を見たまま、静かに眠りにつかせてください。 ネコサマの夢を見たまま、眠らせてください。 聞いたこともない、聞こえるはずのない声を聞いた気がする。 神様、お願いです。 お願いです、神様。 神様、神様、ねえ神様。 誰もが一度はしたことのある懇願が、三日月の輝くあの夜に響いただろうか。いいや。そんなの、誰にも聞こえなかった。 だって。だって。お婆さんの最期の夜は罪が裁かれる夜だったんだから。 ネコサマによって、ひとが捌かれる夜だったんだから。 その夜、お婆さんの部屋からは不思議なことに物音一つしなかったらしい。 誰かの悲鳴はもちろん、猫の鳴き声だって聞こえない。 誰だって、最期は苦しいのも辛いのも痛いのも嫌だよ。 それは、有罪無罪なんて関係ない。 生きていれば誰だって、そう思うんだ。生きているからこそ、そう思うんだ。 だからこそ。最期は逃げ切れない死から目を背けて、神様なんてものにすがろうとするんだろうね。 そこんとこ、どうだろう? ねえ? ネコサマ? 「にゃ~お?」
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