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◆◆◆
それからさらに二週間が過ぎ、すこし心配していたころに久須木さんからメールが届いた。内容は、『どうやらきみの言うとおり、だいぶヤバイことになってしまったみたいだ。頼みたいことがあるからウチまで来てくれ』というものだった。
あのあと久須木さんの身になにが起こったのか想像するだけで怖くてしょうがなかったけど、見捨てるわけにもいかず、わたしは久須木さんの部屋をふたたび訪れた。
インターフォンを鳴らし、しばらく待ってみたけど、久須木さんは出てこない。だけど前のときとはちがって、ここで帰るわけにはいかない。
覚悟を決めてゆっくりとドアノブを回してみると、ドアはなんの抵抗もなく開いた。
「久須木さん、いますかー?」
返事がないのをなんとなく予想しながら呼びかけてみたけど、前に来た時よりもさらに生臭くなった薄暗い室内は、静かなままだった。
「……お邪魔しまーす」
もう引き返せなくなっていたわたしは、生唾を飲み込んで部屋へあがった。
前よりも汚くなった部屋に、人の気配はない。
ひとつ咳き込んでちゃぶ台を見ると、空いたビール缶で押さえられた一枚の紙があった。よく見えるよう近づいてみると、それはどうやら手紙らしかった。
わたしはちゃぶ台の前に座り、それを読み始めた。
◆◆◆
『民谷さんへ
この手紙を君がよんでいるということは、おれはもう人ではなくなっているのだろう。
きみが言ったとおり、ぜんぜん大丈夫じゃなかった。
神様がフリマアプリでウロコを売れば幸せになれるなんて、そんなこと言うはずもないことは、よく考えなくても分かるはずなのにな(笑)
きみが来てくれたあの日を境に、ウロコが生えてくるスピードが速くなっていった。
きみの言うとおり、おれは魚になろうとしているのだ。
直感で分かる。
そこで、ふと気がついたんだ。
あの蛭子がおれに言った『汝を不幸から解放しよう』という言葉の本当の意味を。
幸せだとか不幸せだとかってのは、人間がなんとなく考えている観念みたいなもので、それ以外の動物や鳥や魚、木々や花々はそんな幸不幸のそとがわにいるんだってね。
つまり、『汝を不幸から解放しよう』というのは、言わずもがな『幸不幸という観念を持たない存在にしてやろう』という意味だったのだ。
おれは、魚になる。
果たしてそれは不幸なことなのだろうか?
否、おれは幸不幸の鎖から解き放たれるのだ。
おれは人間としての最後のときを、水を張った浴槽で過ごそうと思う。
君がもし浴槽で魚を見つけたならば、それはおれだ。
君への想いを伝えられないまま魚になってしまうのだけが心残りではあるが、それもいまさらどうしようもないことだ。
きみへのお願いはひとつ。
おれを海へと還してほしい』
手紙を読み終えたわたしは、ゆっくりと立ち上がり、風呂場へ向かった。
浴槽には、一匹の魚が泳いでいた。思っていたよりも小さくて、それがほんとうに久須木さんなのかどうかは分からなかった。
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