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亘輝の家は郊外の住宅地にあった。自然が多く残っており、のどかな地区だ。そんな住宅地の中でも比較的大きな一軒家、それが亘輝の家だった。
蛍が到着したことをメッセージで告げると、知佳が泣き腫らした目で家の中から出てくる。
「知佳!」
「蛍、どうしよう……」
「知佳、しっかりして。亘輝君は?」
「亘輝、家の中で大暴れした後で飛び出しちゃって……警察にも連絡して、探してもらってる……」
知佳の言葉を聞いた瞬間、蛍の肩からオウルが飛び立つ。おそらく亘輝を探しに行ったのだろう。
「知佳ちゃん、そちらの方々は……?」
玄関扉から顔を出すのは、亘輝の母親だろう。やつれた顔でこちらを見ている。その隣には父親らしき人物も立っていた。こちらを訝しむ顔でジロジロと眺めている。
こんな非常事態に見知らぬ人物、神経が逆立つのもわかる。蛍は両親の不審を少しでも払拭しようと頭を下げる。すると、背後から一歩前に進み出る慧の気配に気付いた。
「はじめまして。私は探偵をやっております、英慧と申します。助手の天羽が知佳さんの友人とのことで、話は聞いております。非常事態ということで、私も何かお役に立てるのではないかと思い、お伺いさせていただきました」
慧の真摯な物言いに、亘輝の母親は一気に泣き崩れ、父親がそれを支える。父親は先ほどとは打って変わった表情で蛍たちを中へと促した。
慧は蛍に目配せし、それに応じる。蛍は小さく頷き、知佳の肩を抱いて慧の後に続いた。
家の中に入って驚いた。あらゆる場所が傷だらけだ。ひっかき傷のようなものが無数にあり、蹴りつけた跡、物を投げつけた跡と様々。穴が開いた箇所まであった。亘輝のような、まだ小学生が暴れた後とは思えなかった。この有様は、数人の大人が一斉に暴れた後だ。
蛍は家の惨状を目の当たりにし、言葉が出てこない。だが慧は、淡々と亘輝の情報を両親から聞き出していた。
「ご両親も、亘輝君の学校でのことは把握されていると」
「はい……。先生も見かければ注意してくださっているようですし、最近は見かけなくなったと聞いていたのですが……」
それは違う。生徒たちは教師の目を盗んでいるだけだ。大人の目の届かないところでまだ揶揄いは続いている。その度に亘輝は傷ついていた。
「苗字で揶揄われるのは、私も子どもの頃に経験をしていますので気持ちはわかります。しかし、それくらい何でもない、気にする必要などないと言い聞かせていたのですが……。知佳ちゃんもそうだったろう?」
父親が知佳に向かってそう言う。知佳はそれに頷きながらも、反論もした。
「それでも傷つく。どうしてこんな変な苗字なんだろうって悩んだこともあった。馬鹿にされる度に腹が立って言い返してたけど、悲しいことに変わりはなかったよ。今はそれほど嫌じゃなくなったけど、高校くらいまでは早く結婚して苗字を変えたいって思ってた」
「知佳……」
知佳がそんな風に思っていたことなど、少しも気付かなかった。高校になっても偶に揶揄われることがあり、それに対して知佳はいつも堂々としていた。
御手洗姓は神社にルーツがあり神聖なものなんだと言い返し、それを聞いた時、蛍もそうなんだと感心したものだ。そしてそんな知佳を尊敬し、かっこいいと思った。
しかし、悲しげな顔で俯く知佳を見て、初めて気付いた。知佳が自分の姓のルーツを意気揚々と語れるのは、それを調べたからだ。自分の姓を好きになれなくて、揶揄いの対象とされるこの姓を憎んで。そして今は嫌じゃなくなったというのは、姓を調べてみてその尊さを知ったから。
「知佳、亘輝君に御手洗姓のルーツ、教えてあげなかったの?」
蛍が尋ねると、知佳はブルブルと首を振った。
「教えたわよ。でも、信じようとしなかった。自分を慰めるためにそんなことを言うんだって。いつも揶揄われる原因、理不尽な気持ち、憎む気持ち、亘輝は自分の姓に対してそんな気持ちでいっぱいなのよ。そんな状態で何を言われても素直に受け取れない。それも……わかるの」
自分の苗字について、亘輝の気持ちは頑なになり、心を閉ざしてしまっている。誰のどんな言葉も耳に入らない。それ故、心の底に澱みを溜めてしまった。
それが爆発してしまったということなのだろうか。だが今日、亘輝の澱みをオウルが吸収したかに見えたのだが……。
蛍が口元に手を遣り考え込んでいると、その間に両親に話を聞き出していた慧が、外に向かって歩き出した。
「慧さん!?」
「亘輝君の居場所がわかった。たぶんあそこだ」
「え……」
蛍は慌てて慧の後をついていく。後ろを振り返ると、亘輝の両親と知佳が心配そうな顔でこちらを見ていた。心配そうな中にも僅かな期待が込められている。
彼らの期待に応えなければ。
蛍は無理やり笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「亘輝君を見つけてきます! 待っていてください!」
三人はくしゃりと表情を崩し、泣きそうな顔になった。
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