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シロツメクサの約束
僕は猫にゃ。野良猫にゃ。シロツメクサが一面に生える川原を縄張りにしているにゃ。最近、女の子が僕の縄張りでよく絵を描いてるにゃ。後ろから近づいてみたけど、シロツメクサを描いているみたいだったにゃ。近づくと、
「こっちにおいで」
と言われるから、何かくれると思って近づいたにゃ。何もくれなかったけど、大きな手で僕の顎を撫でてくれたにゃ。優しい手だったにゃ。女の子は毎日来たにゃ。一人でもくもくと絵を描いていたにゃ。僕は忙しいから、縄張りの見回りとご飯の確保が終わってから、毎日女の子のそばに居たにゃ。一度、飼われ猫に恋をしたことがあったにゃ。白くて、手入れのされたその子の体は、とても綺麗で、僕には釣り合わないくらい美人さんだったにゃ。僕は諦めたにゃ。僕のこの柄じゃ、彼女には釣り合わなかったにゃ。想いを伝えることも迷惑だと思ったにゃ。人間はいつも、綺麗な猫を好むのにゃ。ご飯を貰うには、毛繕いも欠かせないにゃ。喧嘩した後の血の出た体では近づいても逃げられるにゃ。綺麗で、体に傷のない、風邪をひいていない猫を好むにゃ。人間は勝手にゃ。僕には飼い主というものがいたことはないけど、野良猫の世界じゃ捨て猫は珍しくないにゃ。人間は、綺麗な猫を好むはずなのにゃ。
ある日、縄張りに新入りが入ってきていたので、追い出したにゃ。喧嘩になって、耳を噛まれたにゃ。生ぬるいものが流れてきたにゃ。それでもめげずに、僕はそいつに勝ったにゃ。喧嘩に勝った優越感でいつもよりご機嫌な僕は、いつも通りに見回りを終えて、女の子のそばに近づいたにゃ。でも、今近づいても嫌われることがわかってたから、ちょっと遠くにいたにゃ。女の子に撫でてもらうために、止まれ、止まれと思いながら、噛まれたところを毛繕いしたにゃ。僕の白かった手は、血で汚れてしまったにゃ。後で手を毛繕いすれば大丈夫と思って、止まれ、止まれと思いながら毛繕いを続けたにゃ。血はなかなか止まらなかったにゃ。噛んだやつに若干の怒りを覚えながらも、僕も噛んだのでお互い様、と思いながら、舐めて止めようとしたにゃ。止まらなかったにゃ。頑張っているうちに、絵を描いていた女の子がこちらを向いていた。
「怪我、してるの?」
見ないで、怖がられるのは嫌にゃ。
「こっち、おいで。」
伸ばされたその子の手は、よく見ると傷だらけだった。どうしたの?喧嘩したの?心配で、女の子に近づく。
「捕まえたっ。ちょっと痛いかもだけど、少し我慢してね。」
そう言って、何やら長い筒をくるくる回して、その中のものを…僕の傷にかけたにゃ、痛いにゃ、何するにゃ!精一杯の力で逃げようとするも、抑えられて逃げられなかったにゃ。
「あっ、待って、待って、痛いよね、ごめんね。でも、先に菌とかあるかもしれないから流さなきゃ。大丈夫、私の水筒には天然水が入ってたの。」
女の子はそう言って、綺麗なピンクのタオルで僕の頭を拭き始めたにゃ。タオルは優しい香りがして、僕も、何か意味があってやってるんだとわかったから、大人しくしといてあげたにゃ。
「よしっ、洗えたから…消毒…は流石に逃げちゃうかなぁ…。ごめんね、ちょっと痛いけど、私の事嫌ってもいいから、消毒まで頑張ろうね。」
そう言って女の子は鞄から小さなボトルを出した。きっとあれも痛いんだろう、そう思ったけど、僕は逃げなかったにゃ。だって、女の子の手が温かかったから。今まで、怪我した僕に近づこうとする人間はいなかったから。どんな痛みも我慢しようと思ったにゃ。
「いくよっ、ごめんね、ごめんね」
そう言いながら、女の子は何か冷たいものをかけてくる。痛かった。さっきのお水よりも痛かった。我慢したにゃ、耐えたにゃ。
「えらいね、よく頑張ったね。これで、早くよくなるよ。」
そう言って女の子は、ぎゅーっと、綺麗じゃない僕の体を抱きしめたにゃ。人間は、綺麗な、怪我をしてない猫が好きなはずにゃのに。
「喧嘩したの?痛かったよね、あんなに血が出て。虐められた…?でも、傷がお顔に近いし、逃げなかったんだよね、猫さんは。えらいね。」
そう言って、女の子はまた、ぎゅーっと僕を抱きしめた。女の子の腕の中は、温かくて、気持ちが良かった。
「私ね、美術部なんだけど、部活内でいじめられてるんだ。だからね、楽しくなくて毎日ここに来てたの。猫さんはいっつも私の傍に来てくれたよね。嬉しかったよ。本当は、家に連れて帰りたいけど、猫さんは多分、ここが好きだろうから。飼い猫になることを好まないだろうから。でも、猫さんも頑張ったんだし、私も少し、頑張ってみようかな。」
何を言っているかは、ずっとわからないままだけど、女の子の傷ついた手に抱きしめられ、無意識にゴロゴロとのどが鳴るにゃ。この瞬間が、ずっと続けばいいのにゃ。永遠に、死ぬまでずっと、女の子の温かい腕の中にいたいにゃ。
「応援してくれてるのかな?ありがとう。猫さんも、頑張ってね。」
夕陽が落ちて、女の子は
「そろそろ、帰らなきゃ。ごめんね、下ろすね。」
そう言って、僕は膝から下ろされ、ゆっくりと女の子の手で地面に下ろされる。また明日も、会えるにゃ?なんとなく、もう会えないような気がして、そう聞きたかった。
「猫さん、私、頑張るね。」
そう言って、女の子は帰って行った。
次の日から、女の子は来なくなった。寂しかったにゃ。でも、前の日常に戻っただけにゃ。女の子の傷も、舐めてあげればよかったにゃ。僕の傷は、いつもよりずっと早く治ったにゃ。女の子のおかげにゃ。次に女の子が僕の縄張りに来たら、僕が女の子を舐めてあげるにゃ。いつも通りの日常をしばらく過ごして、僕は川原の縄張り戦争に負けたにゃ。歳をとったにゃ。若い猫に、勝てなくなったにゃ。とぼとぼと、他の猫の縄張りに入らないように歩いたにゃ。ちょっと休憩しようと思って、優しそうな猫に声をかけて、ちょっとだけ休ませて欲しい、すぐに出ていくと伝えると、許可を貰えたので、少し、その子の縄張り内で休むことにしたにゃ。寝て、しばらくすると、小さい人間が同じような鞄を背負って楽しそうに道を通るようになったにゃ。それでも僕はまだ眠たくて、声を無視して寝たにゃ。夕陽も暮れ、そろそろ出ていかないと行けないかな、そんなことを考え始めた時だったにゃ。
「猫さん?」
顔を上げると、あの時の女の子がいた。少し雰囲気は変わっていたけど、目に変なガラスをつけていたけど、優しそうなところは変わってなかったにゃ。
「猫さんだよね?どうしたの?あなたの縄張りはシロツメクサが綺麗な川原でしょう?」
何を言ってるかは相変わらず分からなかったけど、僕は鳴いたにゃ。負けたにゃ、追い出されたにゃ、怪我はしなかったけど、あの川原にはもう行けないにゃ。
「猫さん、覚えてるかな…眼鏡外せば分かるかな…?ほら、私だよ。いつ出ていってもいいから、うちにおいで。一人暮らししてるから大丈夫。」
女の子は目のガラスを外して、顔を見せてくれたにゃ。やっぱりあの時の女の子にゃ。女の子に抱えられ、僕は人間の家に初めて入ったにゃ。女の子の家の入口には、あの時描いていたシロツメクサの絵が飾られていたにゃ。
「体力ないかもだけど、お風呂だけ、入ろうね。」
そう言われて、温かい水で洗われたにゃ。僕は、じっとしていたにゃ。
「お利口さんだね」
と言って、濡れた毛を乾かして、女の子はまた僕の頭を撫でてくれたにゃ。久しぶりで、嬉しかったにゃ。
「私ね、猫さんに勇気をもらって、美術部辞めたんだ。図書館の本を見て自分で絵の勉強して、今は美大入れるくらい上達したんだよ〜」
女の子の言っていることはわからなかったけど、嬉しそうに話すから僕も嬉しかったにゃ。ぎゅーっと抱きしめられて、また、この時間がずっと続けばいいのにと思ったにゃ。永遠に、ずっと、女の子と一緒にいたいにゃ。女の子がまた怪我をしたら、僕が舐めてあげるから。
そうやって僕は、野良猫から飼われ猫になったにゃ。毎日、女の子と、言葉は分からないけど会話して、抱きしめられて、幸せな毎日だったにゃ。ある日、体が動かなくなったにゃ。段々、食べることも出来なくなっていったにゃ。女の子は心配してくれて、ご褒美にくれていたチュルチュルを毎日くれるようになったにゃ。それも食べれなくなった頃、僕はもう、自分はダメだと思ったにゃ。限界が来たんだと。その日は、女の子は珍しく、外に行かなかったにゃ。いつも、行ってらっしゃいって鳴くのに、今日は泣けそうにないにゃ。女の子が泣きそうな顔をしてるにゃ。泣かないで、どうしたにゃ?どこか痛いにゃ?僕が舐めてあげるにゃ。そう考えてるうちに、僕は自分が自分を見ていることに気づいたにゃ。女の子の上から、僕の体を抱いて泣く女の子を見ていたにゃ。わかったにゃ、僕はもう、女の子と一緒にはいれないんだ。女の子の腕の中で最期を迎えられて幸せだったにゃ。僕は女の子が好きにゃ。十年でも、百年でも、千年でも、君のことを見守っているにゃ。君が笑っていられるように、君がずっと温かいままでいられるように、ずっと、見守っているにゃ。愛してるにゃ。
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