百度参り

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 雲が月を覆い隠す夜、こっそりと家を抜け出した。  薄手の衣は、夜半の冷気を直接肌に伝えてくる。着物の襟を合わせたところで、袖口や裾から入りこんでくる空気を断つことは難しい。  季節も変わり、冷えるようになってきたが、綿を入れた衣を用意する銭がなかった。寝こんでいる父親に薬を買ってやることだって、苦労しているのだ。くうと鳴く空きっ腹は、井戸水をたんまりと飲んだところで止むものでもない。  今年で七つになったは、辛抱して暮らしている。  町から外れて、人の出入りも少ない場所に、なつの住む家はあった。  今にも壊れてしまいそうなあばら家は、家というよりは小屋だろう。強い風が吹けばガタガタと揺れる戸板からは、ひっきりなしに隙間風がやってくる。  そんな状態では、治るものも治らない。  ――滋養のあるものを食べさせて、ゆっくり身体を休めることだ。  医者はそう言ったけれど、家の惨状を目にして溜息をついていた。  とびきり貧乏で、往診の金すらままならないことを、医者は知っている。なつがもっと幼いころに亡くなった母を診たのも、この男だ。  当時よりも傾いたであろう生活ぶりを見るに、この男が回復する見込みは少ないと察せられた。  しかし、震える手を掻き合わせる少女に対し、それを突きつけるのも残酷だろう。  気休めにしかならぬ、そんなことしか言えない己を、医者は歯がゆく感じた。  なつはといえば、医者の言うことをひたすらに信じるしかない。  きっと父はよくなるはずだと、信じるしかない。  ――だって無理だとは言わなかったもの。なら、望みはあるのだわ。  だからなつは、通い始めた。  家から小半刻ほど歩いた先にあるお(やしろ)へ、百度参りをすることを決めた。
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