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名もなき社だ。
どんな謂れがあるのかも知らないけれど、「願いごとがあるならば、あそこへ」と人のくちに上る場所。
こそこそと囁く声を、なつはよく耳にしていた。
駄賃を稼ぐために川へ入って貝を取ったり、使いっ走りをしたりと、大人たちに紛れることが多いからこそ、様々な噂が入ってくるのだ。
けれど、なつは知らなかった。
幼いがゆえに、知ることはなかった。
大人たちの言う「願いごと」が、よいものばかりではないことを。
どちらかといえば、妬みや嫉みといった感情であり、誰かを呪い、恨み、負の感情をぶつけるための場所であることを知らぬまま、なつはそこへ向かった。
昼間に見るのとは趣が違う。
もとから寂れた場所ではあったが、月明かりの下で見るそれは、幽鬼でも出て来そうな雰囲気だ。脇には彼岸花が咲き乱れ、暗がりの中で揺らめいている。
ぎゅっと小さな手を握りしめ、なつは草鞋を脱いだ。まだらに敷かれた石畳は、足裏から容易く熱を奪ってゆく。
――真冬の川よりはマシだわ
氷の張った水に足をつけることを思えば、これぐらいはどうってことはない。
足を踏み出す。
ぺたり。
進むごとに冷たい石が足裏を冷やす。
ぺたり、ぺたり。
拍子を刻むように歩を進め、なつの足で五十歩にも届かないあたりで、本殿へ辿り着く。それほどに、小さな社だった。
かつては、それなりに詣でる人もいたのか、賽銭箱とおぼしき古ぼけた木箱があり、周辺には小石が散らばっている。
それらを手でどかして場所を作ると、手に持っていた袋の中から、小さな貝殻を取り出してひとつ置いた。
袋はそのまま置いておき、自身は元の場所へ取って返す。
そうしてふたたび、ぺたりぺたりを歩を進め、木箱の下へ到着すると袋から貝をひとつ取り出し、さっきのものの隣へ置く。
――ふたつめ。
みっつ、よっつ、いつつ、やっつ、ここのつ。
往復するたびに貝は増え、十になると今度は大きめの貝を取り出して、小さな物を袋へ仕舞う。そうやって大きな貝が十になれば、百。
貝売りの男から教わった、簡単な数え方だ。
ひっそりと佇む社に、なつは手を合わせる。
どうか、どうか。
おとうちゃんを助けてください。
わたしにできることは、なんでもします。
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