父の愛人を殺したい

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雲ひとつない空、有名カフェのゼリーポンチ、小吉と吉と大吉のおみくじ。 おみくじを持つ写真は、わざと全員の手首までを写した。 『中間テスト頑張ったご褒美〜♪家族で京都!おみくじパパだけ大吉だった』 三枚の写真にテキストを添えて、SNSの投稿ボタンを押す。 父が持つ大吉のおみくじ。 手首には、いつもの腕時計。 見て。 これが幸せな家族の姿。 三崎結芽の日課は、朝、アラームを止めたそのままの手で、SNSをチェックすること。 昨夜の投稿に、いいねが数十個ついている。 いいねしたアカウントの一覧を見ると、カフェの店名でタグをつけたせいか、知らないアカウントがいくつもあった。 その中に、いつものアイコンを見つけて指が止まる。 ダークブラウンのストレートヘアを斜め後ろから撮ったアイコンの写真に、顔は写っていない。 アカウント名はaki。 結芽は知っている。 この人は、父親の愛人。 制服に着替えて階段を降りると、ダイニングからいつもの匂いがする。 「おはよう結芽」 母親がいつものように、トーストとカフェオレと茹で卵を用意していた。 愛知県出身の母親は、朝ごはんといえばこの組み合わせだと思っている。 「おはよう。お父さんは?」 「もう出かけたわ、昨日遅かったのに大変よ」 「ごめんね、わがまま言って」 「何言ってるの。学年5位のご褒美でしょ」 期末テストで高順位が取れたご褒美にと、結芽は両親に日帰り京都旅行をリクエストした。 カフェオレを飲みながら、昨日撮った写真を見返す。 行ってみたいカフェがある、学業の神様にお参りがしたい、ここ最近家族でどこにも行ってない、と理由を並べる結芽に、父親は案外すんなりと、わかったわかったと言ってくれた。 (京都はこの間行ったばかり、なんて、言えないもんね) 茹で卵の殻を破る手に力が入って、白身が崩れた。 結芽はSNSのアプリを立ち上げて、アカウントを切り替える。 投稿を非公開にしている裏アカウント。 フォロワーはゼロ、フォローしているのはaki一人。 監視用に作ったものだけど、時々、人に見られたくない愚痴を書き込んだりしている。 akiは昨夜、友達と食事している様子を投稿していた。 少し指を滑らせると、二週間前に投稿された京都旅行の写真が現れる。 抹茶スイーツや昔ながらの街並み、雰囲気のある旅館。 (…こんな旅館、連れて行ってくれたことないのにな) この時akiの隣にいたのが、父親だということを、結芽は知っている。 気がついたのは偶然だった。 テレビやSNSで可愛いと話題になっているカフェをタグ検索していたら、見慣れたモスグリーンのセーターの袖口と腕時計が写っている投稿を見つけた。 明らかに、意図して写り込ませているアングル。 評判のパフェよりも、そのセーターの袖口を、腕時計を見せたがっている。 結芽は震える指で、その投稿をしたアカウントの投稿全部をチェックした。 投稿の内容は特段珍しくない。 新作ドリンク、コスメ、洋服。 食事を前にした写真もいくつもある。 その中に、同じ腕時計の左腕や、結芽の家の玄関にあるはずの革靴、休日に必ず持ち歩いている鞄が映り込んでいた。 腕時計だけだったら、偶然だと思えたのに。 アカウント開設は一年前。 結芽がわかる範囲で、初めて父親らしき姿が登場するようになった日付は半年前。 半年前、結芽は受験生で、母親はそんな結芽にかかりきりだった。 結芽は自分のことに必死で、その頃の父親が何をしていたかなんて、まるで覚えていない。 だけど、結芽が塾で遅くまで勉強していたその日、akiの投稿には、水族館の床に映り込む見慣れた革靴があって、出張のはずの夜、夜景の見える店で自撮りするakiの隣に、母親がクリーニングに出したばかりのスーツの腕があった。 怒りでも悲しみでもなく、ただただ愕然とした。 不安だった。 怖くて仕方なかった。 家族を捨ててこの人のところに行ってしまうかもしれない。 その気持ちは、今も消えていない。 ざくざくと、トーストを咀嚼する顎に力が入る。 自分のアカウントに戻ると、昨夜の投稿に、友達からのコメントがついていた。 『いいなぁ京都。ユメの家族仲良いね』 しおりんというアカウントは、クラスメイトで仲良くなったばかりの詩織。 まだ家族の話は何もしていない。 (お父さん、不倫してるんだな、これが) 我ながら、やっていることがバカバカしくて悲しくなる。 ゆめ、と名前だけだったSNSのアカウント名をミサキユメに変えたのは、誰の娘かわかるようにというakiへの当て付けだった。 その目論見は成功して、結芽が一度だけ新作コスメの投稿にいいねをつけて以来、akiは定期的に結芽のアカウントを見に来ている。 そして、父親が映り込んでいる写真にだけ、いいねをつけていく。 結芽も意図的に、両親ではなく父親だけが映り込んだ写真だけを投稿する。 三つ並んだゼリーポンチの向こうに、両親が並んで座っている写真を投稿したりしない。 結芽は、akiを傷つけたいわけでなく、身を引いて欲しいだけ。 三崎家の家族仲は悪くはないと、気がついて目を覚まして欲しい。 この家族を壊すことはできないと思って欲しい。 そう祈るように、遠回しに家族アピールをしてきた。 娘がいることも家族で旅行に行ったりすることも承知の上で不倫を続けても、その先にakiの幸せはない。 カフェオレとトーストと茹で卵を食べ終わると、リュックを背負った。 「いってきます」 「いってらっしゃい。お母さん、今日少し遅いかも」 「ん、わかった」 結芽が高校に合格して、母親はパートを始めた。 近所のスーパーのレジ打ち。 結婚してすぐに結芽が生まれて、それから15年ずっと専業主婦だった母親と、高校一年生の結芽では、父親を奪われてしまってはやっていけない。 (…早く別れればいいのに) 冷たくなっていく心を誤魔化すように、スマホをポケットに突っ込んで、結芽は駅に向かって走り出した。 『職場でいただきました』 そう書かれたSNSの投稿に、ソファーに寝転んでいた結芽は思わずスマホを顔面に落としそうになった。 京都限定の抹茶のお菓子。 結芽が、友達に配る用にと買ったものと同じ。 値段が手頃で個包装なのが良いと、両親も同じものを買っていた。 ということは、akiは父親と同じ職場なのだろうか。 (職場不倫って、ダサすぎない?) スマホアプリの広告に出てくる不倫漫画じみていて、嫌悪感が沸いた。 (バレたら地獄じゃん) 結芽はまだ、会社で働いたことはない。 でも、職場に不倫がバレたらどうなるのかくらい知っている。 スマホで不倫の小説や漫画や体験談を読んでも、だいたいどちらかが辞めることになるし、それは女の人であることが多い。 結婚式で神様に誓った相手を裏切るような相手に恋をしたところで、上手くいかないに決まっている。 ところが、いざ当事者になると、自分だけは幸せになれると、恋愛の最中には思ってしまうらしい。 でも、父親とakiの幸せは結芽を踏みにじって手に入れるものだ。 (そんなこと、神様が許しても、私は許さない) アカウントを切り替える。 昨日投稿した京都旅行の写真に、またいいねがついていた。 アイドルの自撮りやファッション情報の間に、漫画アプリの広告が挟まる。 また不倫漫画かと一瞬身構えた。 (…違った) いじめられっ子が復讐するシーンがパラパラと展開される。 それを無視して、友達の自撮りに義務的ないいねを押す。 (もしも) 結芽の人差し指ひとつで、広告も綺麗な風景も可愛い女の子の写真も流れていく。 (もしお父さんとお母さんが離婚して、私が復讐するとしたら、お父さんとaki、どっちかな)
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