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「さあ、明日も早いしもう寝ようか、真」
「何で滅茶苦茶自然に俺の家に泊まろうとしてるんだよお前」
風呂に入り、俺のスウェットを着て俺の部屋に入ってきた拓兎にそういうと同時に、リビングの方から笑い声が聞こえた。
両家の夕食後。突然俺の父親が部屋から俺と拓兎の小さい頃の様子を記録した映像が入ったDVDを持って来て、かと思えば母さんが俺のアルバムを持って来て、さらに何故か拓兎の母さん――真理亜さんも持ってきていた紙袋の中から拓兎のアルバムを取り出し、拓兎の父さん――理人さんがDVDデッキの電源を入れ、リビングはあっという間に俺と拓兎の思い出に浸る会特別会場と化してしまった。幼少期の懐かしくも恥ずかしい映像やら写真やらを見せられ、顔を真っ赤にしていた俺をからかっていた拓兎まで母さんと真理亜さんの集中攻撃に頬を赤くし無言になってしまったところで、俺達は「明日の打ち合わせをするから」「明日早いから風呂に入って早く寝たいし」と言ってリビングから出てきた。
一応、何かしら話があるかと思い身構えていたが、母二人からは「もう拓兎のメジャーデビューの時と真が倒れたときと二人のお付き合い発表で話し尽くしちゃった」と言われ、父二人からは淡々とこう語られた。
「……幸せになれよ」
「何かあったら直ぐ連絡しろ」
「拓兎くん、真を頼んだよ。知ってるとは思うけどこの子は中々弱音を吐かずにため込むから」
「真くんも拓兎のことを頼む。こいつは一生懸命になりすぎると休むことも忘れて突っ走る癖があるから」
「理人みたいだな」
「そっちこそ晴彦そっくりじゃないか」
「親子だな」
そう言って笑い合う二人につられ俺達も笑い合いながら「ありがとう」とそう告げて会話は終了した。
ドラマやマンガで見た結婚前夜のような風景を思い浮かべたためこんなものかと若干の寂しさはあったが、話をしているうちに大号泣してしまう可能性を断たれたのは少し有り難かった。
またリビングから笑い声が聞こえる。かなり盛上がっているようだ。いったいどんな写真、もしくは映像を見ているのだろう。想像すると少しだけ肝が冷えた。
「下は賑やかだが、眠れそうか」
「如何だろう……」
「眠れなければ子守歌を歌ってやろう。好きだろう? 俺の歌声」
「うん……」
風呂に入った後だからだろうか。なんだか体が温かくてふわふわする。思い返せば、今日は明日のことを気にしてずっと気を張りっぱなしだった。それが今、ほどけてきているのだろう。予想より直ぐに眠りの国へと行けそうだ。
「真の部屋で一緒に寝るの久しぶりだな。中学以来……いや、高校の時に何回かあったか。兎に角それ以来だ」
「うん」
「ほら、ベッドまで抱っこしてあげるからちゃんと腕回せ」
言われるがまま拓兎に腕を伸ばす。拓兎の体を抱きしめればいともたやすく体が宙に浮いた。最近、鍛え始めたんだけどなぁ。そんなことを思い悔しがっているとあっという間に俺の身体はベッドの上へと下ろされた。
直ぐに拓兎がベッドに潜り込み、部屋の電気が消される。そのまま背後から抱きしめられると自然と瞼が重くなっていった。
「なんだかこの態勢、高校時代を思い出すな」
「そう、だな」
「真、」
拓兎の手が俺の身体を弄る。服の下へと潜り込むことは無いその優しい指先から与えられる刺激はほどよい心地よさと微睡みを与えてくれた。
「愛しているよ」
とろとろと甘い蜜が注がれるようにその言葉が全身へと染みこんでいく。何度聞いても胸がキュッとなって、温かくて切なくて嬉しくて堪らなくなる言葉だ。俺はその言葉への返事を返す。それと同時に意識が闇に飲まれてしまった。果たして俺はちゃんと返答できただろうか。それすらもわからない。でも、全てが真っ暗になる前に体を強く抱きしめられたような気がした。
深い闇は優しく体を包む。眠りの世界に誘われてどのくらい経ったかわからないが、俺は気が付くとぼんやりとした頭の中でとても懐かしい場所に立ち尽くしていた。
これは夢だ。そうはっきりわかる。だって、この夢を見るのは決して初めてでは無いから。
夕暮れの美術室。沢山の画材が混ざり合った臭い。その中でも一際強く香る油絵の具の臭い。そして、目の前にいる真っ赤な絵の具で顔を塗りつぶされた少年。
あの日犯した罪と、自分への咎めを全て塗り込んだ、小さな「かみさま」。
呪詛を吐くでも無く、危害を加えてくるわけでも無い。ただ、彼がじっと俺の方を見つめてくる。顔が塗りつぶされているため本当に目がこちらを向いているのかはわからない。だが、じっと見られている。そう思うほどの圧迫感は確かにあった。
前に一度か二度、この夢を見たときには、夢が早く覚めてくれるようにと、祈り続け目が覚めるまで彼と見つめ合い続けていた。だが、今日はこの夢を見られたことに感謝している自分がいた。
外から笛を吹くような風の音が聞こえる。それに体を震わせ、俺は歩み出す。不思議と全く緊張して無くて、正直近所のスーパーへ買い物に行くためのはじめの一歩の方が緊張しているのでは無いかと思うほど穏やかな気持ちで彼の方へと歩を進めた。
「俺を愛するのと同じくらい、真に愛して欲しい人がいる」
拓兎の言葉を思い出す。思い出しながら、俺は目の前にいる少年を抱きしめた。
表情が変わったか否か。それさえもわからない。だが、少年が僅かに息を呑むような声は耳にはっきりと聞こえた。
冷たい体だ。震えているのがわかる。彼を温めるように強く腕を絡め、背をさすりながら俺は喉から声を絞り出した。
「ごめん、今までいっぱい傷つけて」
心臓がドクドクと鳴る。
「多分、これからも、お前を傷つけると思う。許せなくて責めるときもいっぱいあると思う」
鼻の頭がじんじんと痛み始める。
「それでも、俺は、」
目を閉じる。後から俺の身体を抱きしめる腕の優しさを。低く甘い声が何度も注いだ言葉を思い出しながら、俺は掠れた声を上げ腕の力を強めた。
「俺は、お前のことを愛しているよ」
目の前が霞む。頬を熱い水が伝う。それを拭いながら彼から僅かに体を離す。脇目も振らず、大声を上げて涙を流す彼の顔をのぞき込む。
そこにいたのはあの赤く顔を塗られた小さな「かみさま」なんかではなくて、中学生の、あの日あの時の俺自身だった。
まだ背も小さくて、幼い俺は涙で顔をぐちゃぐちゃにして俺の身体に抱きつく。強く激しく欲するように。力一杯抱きしめる。俺も泣きじゃくる自分を同じように泣きじゃくりながら抱きしめ頭を激しく掻き撫でた。
昔。遠い昔、拓兎が言った「償い」という言葉を思い出す。どれだけ自分を自分で赦したつもりになっていても、どれだけ拓兎に愛の言葉を告げても、拭いきれなかったあの日の赤い絵の具が洗い流され、拭き取られていくような心地がする。
俺は、自分自身を愛したかったのだ。普通では無いからと、ずっと嫌っていた自分を。ずっと。拓兎に愛され、父母に、友人に、職場の人たちに、多くの人々に愛されている自分自身のことを、愛していると自分に伝えたかったのだ。
やっとちゃんと伝えることが出来た。一体何年、俺は俺を待たせてしまったのだろう。精一杯の「ごめん」と「愛してる」を何度も何度も俺は叫び続けた。
美術室だった場所が崩れる。全てが白い光に飲まれていく。
その間際、かつて俺が世界で一番嫌いだったその人は、愛おしい程の笑顔をこちらに向けた。
「おはよう」
上から聞き慣れた大好きな声が振ってくる。ゆるゆると瞼を開けばキラキラとした朝日をバックに笑う拓兎の姿が目に映った。その笑顔がなんだか昨日より輝いて見えて、俺は「おはよう」と返しながら拓兎に飛びつく。
もう、油絵の具の臭いはどこからも漂ってこなかった。
「なぁ、拓兎。俺のネクタイ歪んでないか?」
「大丈夫だって。真は心配性だな」
「だって、さっきチラッて見たけどマジで会場いっぱいに人がいるんだもん……」
「それだけ沢山の人たちが俺達のことを祝福してくれているって事だ。ほら、そろそろ入場だが大丈夫か?」
「う、うん……あ、あのさ! ステップってどっちの足を先に前に出すんだっけ?!」
「右だよ」
「そうだった。なぁ、髪変になってたり――」
「大丈夫。いつも通り可愛いよ」
教会の前。俺達は真っ白なタキシード服を着て、腕を組んで並んでいる。中からは司会の人が開会を告げるアナウンスが聞こえてきて、燃え上がるほど顔が熱くなり心臓が元気に飛び跳ねた。手汗が滲むというより溢れ出てくる。不安でいっぱいになっていると、拓兎が俺の腕をぎゅっと引き寄せた。
「自分の幸せな姿を皆様に見せびらかすつもりで堂々と歩けばいい。大丈夫、この俺様がついているからな」
「……清々しいほどに今日も自信満々だな」
「ありがとう」
「そういう所にいっぱい救われてきたんだよな」
「俺も真にいつも救われてるよ」
その言葉に体が固まる。結局顔が真っ赤なままで教会の扉が開かれた。奥からはオルガンの音が聞こえる。テレビドラマで何度も聞いたことがある馴染みの行進曲。まさか自分がその音楽をバックにバージンロードを、他でもない拓兎と一緒に歩く日が来るとは思わなかった。
ゆっくりと、ゆっくりと祭壇の方へと向かう。右、左、右、左……真っ白なバージンロードを踏みしめる毎に緊張は薄れていった。
祭壇の前までつくと、懐かしい顔が笑顔で出迎える。あの頃に比べお年を召した牧師様は俺達を交互に見ると小さく頷いた。
俺は、拓兎の聖歌隊の練習を覗きに行く度、牧師様に見つかっては一緒になって練習を覗いていたあの日を思い出す。妙な照れくささを覚えている俺を半ば置き去りにしながら司会の案内にしたがって式は進んで行く。そして、あっという間に神に誓いを立てる瞬間が来てしまった。
病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも。読み上げられる一つ一つ、全ての場面が浮かぶ。そして、そのどの時も拓兎は俺を愛してくれていたし、俺も拓兎を愛していた。敬いも慈しみもそこにはずっとあって、その生活が神への誓いのもとこれからも永遠に続けたれる。その為の誓いを立てるための質問に「いいえ」等という言葉が出てくるわけが無かった。教会に響く声は自分でも驚くくらいに凛と、はっきりとしていた。
式は進み、拓兎がプレゼントしてくれた指輪を交換し合う。あの時と同じように互いの指に指輪をはめ込むと、誰かが鼻をすする音が会場の何処かから聞こえた。その誰かが誰なのかを理解すると同時に俺も目頭が熱くなる。
入場前に「この俺様がついているから」とふんぞり返っていたのはどこのどいつだったか。白雪の肌を薔薇色に染めながら目を潤ませる拓兎の姿に俺はあの人同じ胸の高鳴りを感じた。
「それでは、誓いの口付けを」
司会のその言葉に俺は拓兎の口元へ目をやった。
赤い唇。よく熟れた林檎のような艶やかな唇。誘われるような、惑わされるような不思議な心地で俺は拓兎の顔へ自分の顔を近づけた。
この口付けで、この誓いで俺達の今までの関係が終わり、新たな関係が始まる。その先に待ち受けるのは楽園か否か。それはわからないけれど、拓兎とならばどんな地獄でも生きていけるとそう強く確信できた。
互いの口が重なる間際、俺は拓兎の涙でにじむ眼をじっと見つめながら口を動かす。音の無い言葉に彼は満足そうな笑顔をこぼすと、俺の唇に自分の唇を優しく重ね合わせた。
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