「……つまり、二人は両思い、スキ同士やけど、真ちゃんのトラウマやらなんやらのせいで長いこと恋人になれんくって、数年。同棲初めてやっと、正式にお付き合いし始めましたちゅうことか」
俺が一通り話し終ると、それを聞いていた茜屋が長い溜息を吐く。納得したような、しかしいまいち消化しきれていないような複雑な顔だ。
「一年前、拓兎に「真と付き合い始めた」っていわれたときは、こいつ何言っとんねん。お前ずっと真ちゃんと付き合っとったやん。頭湧いたんかって思ったけど、そういうことかいな。真ちゃんも色々大変やったんやな――ん? ちょい待ち、そういえば、それなら拓兎のデビュー当時からしとった恋人いる宣言なんやねん」
「事務所の社長からデビュー前に「恋人や婚約者はいるか」って話になったんだよ。主にスキャンダル対策的な意味で必要な情報だろうなって思ってこの事説明したら「面倒くさいから、もうそれ恋人いるってことで良いじゃん」ってなってな」
「あの人懐広いんか面倒くさがり屋なんかようわからへんな……そいや、話に出てきた「塗り替える」ってあれなんやねん。なんか怖いんやけど」
「……聞きたいか?」
「絶対エッチなやつや。絶対エッチなやつや!」
「トラウマを打ち壊すには、快楽と言葉による刷り込みが一番有効とみたんだ。こう、丁寧に、繰り返し、な?」
「洗脳やん……マインドのコントロールやん! 大丈夫か、真ちゃん! 俺が正気に戻してやるからな! いやでも、それだとまた真ちゃんが傷ついてしまう……俺、どないしたらええねん」
「何もするなよ。というかそろそろ帰れよ」
茜屋に肩を揺さぶられていた俺を彼から引き剥がした拓兎は溜息を吐きながら猫を追い払うように手を振った。
茜屋がうちに来たのは数時間前。近くに寄ったということで、茜屋がギターを背負って、近くの揚げたこ屋のたこ焼きが五パック入ったビニール袋を片手に、俺たちの部屋にやってきた。夜の九時。夕食から少し時間が空き、小腹が空いていた俺たちは、突然の茜屋の訪問を快く受け入れ、彼の手土産にむさぼりついた。思ったより腹が減っていたらしく、追加で俺がバイト先で学んだ簡単おつまみを振る舞うと、つまみを食うなら酒を飲まねば、という謎の考えに至った拓兎が缶ビールを開け、気がついたら完全に自宅飲み会が開催されてしまっていた。
一缶目ではまだ素面だったが、飲む本数が増えるにつれ酔いが回って思考を碌にしていない言葉での会話が繰り返されるようになる。そして、茜屋の口から先ほどの暴露話に繋がるトリガーとなる質問が飛びだした。
「そいや、結局お前等、いつから恋人なん? 俺、てっきり高二の……なんや、二人のラブラブ度合いが偉い増した頃から付き合っとるんやとおもっとったんやけど」
そして今に至る。
すべてを聞いた茜屋は呆れきった顔で新しい酒を開けた。プシュリと気持ちいい音を立てて飲み口が開くと、茜屋は勢いよくそれを呷る。喉を鳴らして天井を仰ぐその姿は見ているだけで爽快な気分にさせてくれた。
そんな彼を見ていると、ゆっくりと脇腹に細い腕が絡みついてきた。生ぬるい腕が蛇のように身体に絡みつき、締め付けてくる。
「アカネに見惚れているのか?」
酒が入っているせいか頬が染まり、潤んだ目をしている拓兎はアルコールの匂いがする息を絡ませながらそう囁く。口元から見えるのは不安でなければ嫉妬でもなく、あからさまな自信だった。こういう文言で尋ねられる彼の質問は、いつでも必ず質問ではなく反語だ。語られていない空白に入る文字は「いや、そんなことはない」。一言一句同じでなくとも、そういうことを彼は言いたいのだ。
「別に、見惚れては、」
「当然だ。お前は俺にベタ惚れだからな。アカネ如きでお前の心が揺らぐはずがない」
「人をいちゃつくためのネタとして使わんといてもらえます?」
「ごめん、そういうつもりじゃ、」
「ううん。真ちゃんに言うとるんやないんよぉ。そこのアホ男に言うとるんよぉ」
「やめろ、真に寄るな! 俺のだぞ!」
ぎりぎりと俺を締め付ける力が強くなる。それが苦しいとは一切思わず、一切思えず、むしろもっと抱きしめて欲しいくらいだ。
可笑しい。人前で「欲しい」と思うことはあまりないはずなのに。二人に比べれば、そうでもないと思っていたが俺もやはり酔っているようだ。
少し唇を噛みながら俯いている俺に気がついたのか、茜屋は溜息とも笑い声ともとれない空気を口の端から溢し、立ち上がった。ふらつくかと思ったその足は思ったよりしっかりと地に着いている。彼はそのままギターケースを背負ってリビングの扉の方へ歩いて行った。
「これ以上、二人の邪魔したら失礼やろうし、俺もう帰るわ」
「茜屋、もう帰るのか?」
「聞きたいこと、知りたい謎は解決したしな。それに、真ちゃん、そいつ、もう我慢できひんって顔してるで。昔話して色々刺激された上に酔ってしもうたせいで理性働かんのやろ。相手してやってぇな。ほなな、拓兎。次のリハの予定立ったらまた連絡してな」
ひらひらと手を振る茜屋はこちらを一切振り返らず、リビングを出て行ってしまった。爪先を蹴って靴を履く音に続いて玄関の扉の開閉音が聞こえた。それがまだ消えきっていないのに俺の視界は急に揺れ、場面が真っ白な天井に切り替わった。まさか、我慢が出来ないという言葉が本当だったとは。目に入った拓兎の顔は楽しそうなのにもかかわらず、何処か苦しそうに歪んでいた。いつもは自信満々に上がっている眉がハの字を書いている。それが彼には全くもって似合っていなくて、笑い声を上げると直ぐにそれを塞がれた。ビールの苦みが舌に染みる。しかし、拓兎の唾液と交ざったそれは酷く甘く感じた。
「……しあわせ」
「それは良かった」
「ありがとな、拓兎。俺、あのままだったら多分――」
茜屋が洗脳といっていた拓兎の「赦し」という名の治療。毎日のように優しく抱きしめられ、唱えられた呪文。それがあの日の赤色を少しずつ剥がしていってくれた。
「例え、世界中がお前の敵になったとしても俺だけは、お前の味方でいてやる」
まるでJ-POPの歌詞みたいなその言葉が除光液になってさらさらとこびりついた記憶を落とし、新しい記憶と快楽を塗り重ねていく。完全に剥がれ落ちも塗りつぶすこともなかったが、それでも首を絞め、鳩尾を殴られ、心臓を刺されるような恐怖と苦痛は少しずつ和らいでいった。
きっと、返そうと思えばいつでも、拓兎の「恋人になろう」に「はい」と返事をすることができただろう。そのはずなのに、俺は、何も言わなかった。何も、言えなかった。それどころか、大学に入る際に同棲を持ちかけてきた拓兎に俺は首を振った。まあ、そうして彼を遠ざけたのも、俺が一年前に倒れた原因の一つになってしまったのだが。
罪を償うほど、自分の気持ちを認めれば認めるほど、拓兎のことを好きになればなるほど、まるで闇に堕ちていくのが怖くて、拓兎を遠ざけた。でもほんとうに怖いのは拓兎が離れることで、拓兎とともに堕ちる闇の中は存外心地よいことに気がついたのが、恋人になってからだった。
「ごめんな、拓兎」
「なにが?」
「いっぱい、待たせちゃって」
俺の言葉に、拓兎は口の片方だけを上げると俺の髪を優しく掻き乱した。拓兎の指が頭皮に触れる度にぞわぞわとした感覚に包まれていく。
こういったスキンシップも、キスも、えっちなことも、恋人というはっきりとした名前で結ばれてからのものの方がそうなる前――曖昧なことにしていたものとは比べものにならないくらいに気持ちが良い。気持ちいいと、快楽とともに流れ込んでくる多幸感も比べものにならなくて。
何が言いたいかというと、今俺達は、自分たちでも疑ってしまうくらいに、幸せで、仕方が無いのだ。
「拓兎」
愛おしい恋人の名を呼べば、何も言わずとも柔らかい口づけがふってきた。ゆっくりと、互いの温度を確かめるように、互いの味を堪能するように熱が絡まり合う。息継ぎの合間に嬌笑を浮かべ、俺は彼にばれないように服の上から彼の背中に深く爪を立てた。
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