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この高校には、文化祭のジンクスがある。制服のボタンを交換した二人は、末永く幸せになるという、いつ誰が言い出したのか分からない噂話。 そんな話信じたわけではない、だけど、勇気を出すきっかけにはなる。 そんなわけで、文化祭の最終日は、ジンクスにかこつけて愛の告白をする男女が多い。彼、三上(みかみ)もその一人だ。 これで駄目なら諦める。絶対引きずったりしない。綺麗さっぱり、出来れば今後も友達で。 「…上手くいくかな、そんな事」 想いを寄せる相手、清里(きよさと)がいる屋上へと続く階段で、三上はぎゅっと自分のボタンを握りしめた。 いや、決めたんだ、今日、告白すると。 意を決して屋上のドアを開けると、正面に清里の背中が見えた。 「き、清里…!」 呼び掛けると、彼が驚いて振り返る。そして、三上は言葉を失った。彼の腕の中に、女子生徒がいたからだ。 その光景に、一瞬何が起きているのか理解出来ず、三上は呆然と清里を見つめた。 清里が、女の子を抱きしめてる。文化祭のジンクスが頭を過り、三上の心臓は、止まってしそうな程に大きな音を立てた。 好きな子がいたんだ。 そう思ったら、清里の前で立ち尽くしてなんていられなかった。 「ご、ごめん!」 「おい、」 三上は青ざめた顔をそのままに、慌てて踵を返し、階段を駆け下りた。 そうして、ドクドクと煩い鼓動を宥めようと、必死に自分に言い聞かせる。 そりゃそうだ、彼女が居たっておかしくない。清里はバレー部のエースで、ヒーローだ。 気持ちを伝えるだけで良いなんて笑ってしまう、恋人の姿を見ただけで傷ついて、初めから相手にされない事くらい分かっていた筈なのに。 勝手に恋して盛り上がって、現実を忘れていた。 自分は男で、女性には敵わない事。 改めて思い知れば、苦しさで頭も心もいっぱいで、今すぐ泣き叫びたくなる。だけど、怖くて足を止められなかった。悲しみに追い付かれそうで、今すぐこの現実を忘れてしまいたい、恋した事、恋した時間も。 好きになんてならなきゃ良かった、そうすれば、こんな思いしなかった。 そんな事を考えていたからだろうか、三上は階段で足を滑らせてしまった。 「わ、」 視界が反転し、世界が回る。体を打ち付ける衝撃を覚悟して、三上は目を閉じた。 手から、握りしめていたたボタンが、転がり落ちていく。 どっと体を打ち付け、三上は呻き声を上げた。 「いってー…」 体を起こそうと床に手をついたが、その感触に違和感を覚えた。校舎の床は平らで硬い筈、だが掌の感触は柔らかかった。掴める何かに目を開ければ、土の上に倒れている事を知った。 「…え、」 驚いて顔を上げると、暗闇の中、パッパッと、スポットライトのように明かりが灯っていく。 所々照らされた場所を見ると、道がある事が分かった。道の脇には、ぐねぐねと器用に曲がりくねった、奇妙な木が並んでいる。 「な、なんだここ…」 戸惑いながら立ち上がる。どんなに目を凝らしても、スポットライトが当たる部分しか見る事が出来ない。それは、ただただ、真っ直ぐに道が続くだけだった。 夢でも見ているのかと思ったが、土の上とはいえ、落下の衝撃で体はあちこち痛い。痛いなら、恐らく夢ではない…と、よく言うが。 でも、夢じゃなきゃ、説明つかないぞ。 混乱しつつも、とりあえず進むしかないと足を踏み出した時、靴先に何かが当たった。 見ると、足元に懐中時計が落ちていた。銀色の表面が傷ついて、秒針が止まっている。 「落とし物か?」 呟いた直後、遠くの方で、パッと明かりが一つ増えた。その先に、駆けていく人影が見える。 「これは奴の落とし物だ、さぁ届けに行こう!」 「え、」 見知らぬ声に振り返ると、いつの間にか足元に少年がいた。五才位だろうか、着物の裾を引き摺っているが、利発そうな顔立ちの子だ。 「何を呆けておる、それ行くぞ」 不思議そうに首を傾げられ、うっかり知り合いかと思ったが、そんな事はない、初対面の筈だと思い直す。 「待ってくれ、えっと…君は?ここがどこか分かる?俺、帰らないといけないんだ」 「何処へ?」 「何処って…」 言い掛けて、三上は困惑した。自分は何処から来たのか、思い出せなくなっている。 「…お、俺は」 ある筈の記憶が途端に薄れていく。自分が何者か分からなくなりそうで、そんな恐怖が突如として押し寄せれば、混乱が増してパニックになっていく。そんな三上に、少年は大丈夫だと、手を握った。 「見つめ直す為に、ここに来たんだ」 「え?」 「ここに立ち止まっていても帰れぬぞ、小生についてこい」 「小生って…」 小さな温もりに、混乱した頭が少し落ち着いたのも束の間、子供らしからぬその言葉使いに、再び違和感を覚えながら彼を見つめていると、その腰元から大きな茶色い尻尾が生えている事に気づいた。 「…あれ?」 頭を見れば、丸みのある茶色い耳がちょこんとついている。そのまま顔をまじまじと見ると、目元も鼻先も茶色くなっていた。少年はいつの間にか、人間でありながら、狸のような姿をしていた。 「…それどうなってるんだ?さっきまで尻尾なんか無かったのに」 「おや」 少年は背後に目をやり、揺れる尻尾を見つめると、溜め息を吐いた。 「ついに人の姿も保てなくなったか…」 「え?」 「気にするな、小生はこういう生き物だ」 「は?」 「ほら、奴が見えなくなってしまった!すぐに追わなくては!小生を早く担ぐんだ!」 「何で」 「小生は足が遅い。しかし、この世界を抜けるには小生が必要だ、だからほれ」 おんぶ、とせがむように両手を伸ばされ、三上は苦い顔を浮かべたが、頑なに意見を譲らない少年と睨めっこをしていても仕方ない。三上は溜め息を吐いて少年を背負った。 「よし!準備は整った!行くのだ!」 元気な少年の声と共に、ふわふわの尻尾が三上の手を擽っていく。 「…分かった、走るぞ」 三上は背中の少年を気遣いながら、スポットライトが照らす道を走った。 気づけば、混乱もパニックも消えていて、三上は夢か現実か分からない世界に、足を踏み入れていた。
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