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3.伊吹
「里村、にやけてるぞ」
「えっ」
「わかりやすいよな、お前…」
同僚の武田がにやけ顔で覗き込んできた。彼は1-Aの副担任、俺は1-Cの副担任だ。
困った、と思いつつ、この武田がいなければ名波先生に告白出来なかった。
俺は仕方なく小声で答えた。
「…職員室ではやめてくれ」
「大丈夫、俺たちだけだから。で、その顔だと守備良く行ったのか」
「……おかげさまで」
武田の顔がみるみる笑顔になり、いきなりバチーンと背中に手のひらが飛んできた。
「痛った!」
「良かったなあ、里村!お前奥手だから心配してたんだよ!」
「こっ、声が大きい!」
「しかし、名波先生がOKするとはなあ…」
「それは俺も驚いた…」
武田は俺が名波先生を目で追っているのに気づいた唯一の同僚。最初は俺が険しい顔をしているので、てっきり名波先生を敵視しているのだと思ったらしい。
実際、生徒人気が高い名波先生は古株の教師陣に疎まれることも多い。
学生時代からの後輩で名波先生に恩がある武田は、説得しようと彼の良さを俺に説いた。
実際は敵視しているわけではなかったのだが。
「まあでも、俺の勘は当たってたって事だな。あれだけモテる名波先生が独身を貫くには、何か理由があるとは思ってたんだよなー」
「…………」
「あ、あとお前もだけど…」
「だ、誰にも言わないでくれ!」
「言わないって!いいか、俺はお前を応援してんだぞ。男でも惚れるあの名波先生を射止めたんだからな…うまくいって欲しいんだよ」
この武田というのは、赴任当時から俺に親身になってくれるいい友人だった。
こんな不器用で頭の硬い俺の何がいいのか知らないが、困った時はいつも助けてくれる。
俺が同性を好きだと言っても、引くことはなかった。
「で?その後は?」
「その後?」
「告白して、その後だよ。デートとか、食事とか…約束したのか?」
「いや、別に……そもそも男2人でデートなんか…」
「それじゃ告った意味ねーだろ…」
「じゃあ…何するんだ、男同士で」
武田は、えっ、と言って盛大に首を傾げた。
「そりゃあさ…女の子と一緒だろ?食事して、いい雰囲気になって、キスとか」
「キっ………」
もう済んだ、とは言えなかった。
しかし顔が赤いのが見つかって、おやあ?と楽しそうな声を出された。
「悪い悪い、もうしたのか」
「しっ……してない!」
武田はにやにやしながら腕を組んだ。
「里村がいくら奥手って言ったって、女の子とはそれなりに経験あんだろ?そう照れるなって」
「俺と名波先生とは、そんなんじゃないっ」
「そんなんじゃないって……30過ぎの健康な男がプラトニックなお付き合いです…って、そっちの方がやばいぞ」
「だ、だ、だって、男同士でそんなことは……」
「おいおい…」
武田はため息をつきながら、呆れたように言った。
「男同士だろうと、大人の付き合いっていうのはそーゆーことだろ。まさか、ずっと中学生みたいな付き合いを続けるつもりか?」
「え……」
「名波先生はどう思ってるんだ?」
「名波先生は……」
「お前とそういう関係になりたいんじゃないのか?」
「………」
新たな大きな壁にぶつかった。
俺は、名波先生が好きだという気持ちだけで彼に告白してしまった。
その先のことなんか、全く考えていなかったのだ。
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