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男の声が聞こえなくなり、襖を開けてよいものか仄は正座したまま迷っていた。
隣で食事をしていた板さんはカウンターに戻ってしまって、座敷には自分一人。
「...バチが当たったのかな」
思わず呟く。
帰る家があって、
お帰りって言ってくれる人達が出来て、
友達も、仕事も仲間も出来て。
こんな幸せ自分には来ないと思ってた。
絶対に手に入れることは出来ないと。
私にも 普通の生活 が出来るなんて思っちゃいけなかったんだ。
私は ━━━━━━━ 死神なんだから。
「何やってる」
信也の声が降ってきて顔を上げる。
目の前に信也が立っていた。
襖が開いたことも気付かなかった。
「洗いもんは」
「...あ..」
我に返って慌てて立ち上がると頭頂部に
いつもの痛み。
「返事」
「....。」
「一つ聞いておく。」
返事もしない仄の頭に手を置いたまま、信也は聞いた。
「舞ってのはお前の名か?」
仄は首を横に振った。
「なら、胸を張れ」
信也が頭から手を離すと、その手で背中を押した。そのままの勢いで仄は厨房に入って行った。
「仄ちゃん遅い」
拓海が洗い物を片付けながら声をかける。
「あ、すみません」
慌てて駆けつけゴム手袋をはめる。
「最近の酔っぱらいは達が悪くてさ、
気にしない気にしない」
そう言うと拓海は自分の持ち場に戻っていった。
せっせと洗い物を片付けていると不意に背後から声をかけられる。
晶が何やら口を あーん と開ける。
それにつられると口の中に何かを放り込んだ。
舌で転がすととても甘い。キャラメルだった
晶は にっこり と笑うと仕事に戻っていった。
更にその後、背後に気配を感じ振り向こうとすると肩から手が伸び優子が抱きしめた。
「泣きたい時はいつでも胸貸すからね」
「オレも借りたいなぁ」
優子の隣で甲斐が言った。
「あんたはただヤりたいだけでしょ」
「ひどいっ、それはあんまりだよ」
甲斐が叫ぶと真後ろに信也が仁王門立ちしていた。無言の圧力で二人を持ち場に戻すと、信也は何事も無かったかのように調理を始める。
暖かい場所だな なんて冷たい水を触りながら思う。晶がくれたキャラメルを舐めながら思わず微笑んだ。
微かにざわめくひそひそ声も軽蔑の視線も、その時はまだ感じずに、暖かいぬくもりに甘えた。
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