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左手のぬくもりに安心する。
仄はそのぬくもりを逃がさないように強く握りしめた。
「父さん」
ゆっくりと瞼を上げる。
しかし見えたのは唯一の肉親ではなく、
仙寺の横顔だった。
自分の部屋、電気もつけずドアからこぼれる光がうっすらと辺りを照らしている。
左向きで自分の布団に寝ている仄に、
床に横になり天井を見上げながら仙寺は
目だけを傾けてた。
「...なんで」
「お前、バイト先で倒れたんだって?」
「..え?」
質問とは相反した言葉に仄は聞き返した。
頭がぼうとしてよく思い出せない。
トイレ掃除して、水被って着替えて、それで
記憶を辿っていて自分が仙寺の手を握っていることに気がついた。
しかも左手で。
「私、手!」
慌てて手を放し、腕を引くとそれを今度は仙寺が捕まえた。
「...バイト辞めろよ」
左手を躊躇もなく掴む仙寺に驚き、
更にその言葉で動きを止める。
なんでそんなことを言うのか
なぜここに仙寺がいて、私の手を掴むのか
理解できずに戸惑う。
呆然とただ見つめ返してくる仄に、
仙寺は天井を見上げて呟いた。
「何で言わなかったんだよ」
天井を見上げたまま、仙寺は言う。
「何でって...」
仙寺は勿論、硯も祠も今日まで嫌がらせの件を知らなかったのだ。
仙寺は膝を立て、ごろりと寝転んだ形のまま
仄の手を掴んだまま、天井を睨んだ。
こんなに近くにいるのに、何も知らなかった自分に腹が立つ。
無論仄が何も言わないのだから、知らなくて当然なのだが。やはりそれに腹が立つ。
「そんなに頼りねぇか」
「そんなんじゃない」
手を振り払うのも忘れて仄は言った。
悲しくない訳じゃない、腹が立つ事だって勿論あるけど どうしてか 昔より平気だと思えた。
だって、私には帰る場所があって、笑いかけてくれる人もいる。
「...仙は知らないから」
暖かい場所にいるこいつには
分からないだろう。
人に恐れられ、避けられ、蔑まれる孤独感も
自分が周りとは違うのだと見えない壁がいつもあった、息がつまりそうなあの閉塞感。
むしろ、私は同じ人のように扱われた分
幸せなのだと感じていた。
恐ろしい「死神」ではなく、ただ気に入らない「人間」と扱われることに。
「皆がいるから平気。
それに、お前が言った」
「俺が?」
訝しげに見つめる仙寺に、仄は少し照れくさくなってはにかみながら頷いた。
「ちょっとずつでいいから逃げるなって、」
今みたいに左手を握りしめて。
「平気、ああいうことには慣れてるから」
仄の言葉に仙寺は寝返りを打つように体の向きを変えると仄の頭に空いた手を伸ばし、抱きよせた。
「慣れるな、ばかもん」
頭を包む仙寺の体温に目を伏せる。
まただ。
父さん以外に知らない温もり、
もう二度と与えられることがないと
思っていたものをこいつはくれる。
なんの躊躇も無く、それが当たり前のように
「だから、続けさせて」
だからだろうか、まるで親に頼みごとをするように仄は言った。
「楽しいことばかりじゃないけど、
やりたいの」
仙寺は抱いた頭に自分の顎を乗せ、溜め息をつく。
自分がどうこう言う立場じゃないのは
わかってる。
知るか、好きにしたらいいだろ
前の俺ならきっとそう言った。
けれど今は言えない。
仙寺は握りしめる手と抱えた頭の温もりを感じながら目を伏せた。
「これ以上心配かけさせんな」
ただ、可もなく不可もなくそう答えた。
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