ひとひら夏花火

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ひとひら夏花火

 咲いては消える大輪の花が、夜空に一瞬の命を花開く。  夏の夜空を彩る花火は、とても儚いけれど。だからこそ、美しいのだ。    この瞬間を、あなたといられて良かった。 「きれーだな」 「そうだね」  どーんと、大きな音が辺りに響く。その振動はびりびりと身体にまで伝わってくる。最初こそ驚きはしたが、これもまた花火の醍醐味。 「手、のばしたらつかめそうだな」  夜空へと腕を伸ばして、そう言う君はどこか楽しそう。  本気なのか、本気じゃないのか、わからないけど。夜空のきらめきをいっぱいに映したその瞳は真剣そのもの。 「つかんだらやけどするけどね」 「そういう夢のないこと言うなよな」  買ったばかりのりんご飴をひとなめ、わたしは味気ない反応をする。君をからかってみたいのだ。つまらなそうに口をヘの字に曲げて、彼もまた買ったばかりのフランクフルトをひとくち。  夏の暑さも忘れてしまいそうだ。  大きな花火が、何度も何度も花開く。大きな花、小さな花、柳のように空から垂れてくるものもあれば、にっこりと笑顔を浮かべたものまである。 「ハート、さかさま」 「ああいうのって、運だよな。打ち上げたあとにどの方向を向くかって花火師さんでもうまいこと出来ないんだろ?」 「へえ、だからああいう風にさかさまになっちゃうんだ」 「らしいぜ。花火なんて打ち上げたことねえからわかんないけどな」 「あ、今度はちゃんと綺麗にあがった」 「だなー。よかったよかった」  君の瞳は、いまも花火だけを映している。  きらきらと移り変わる空の色をそのまま反射して、小さな夜空がそこにあるみたい。    着慣れない浴衣の裾をにぎって、私はほんの少し唇を尖らせる。  --もっとこう、ロマンティックな出来事とか、期待していたのだけど。  夏休みだというのに、君とはなかなか会う機会がなくて。せっかくの夏の思い出も、君がいないからなんだかあじけなくて。  やっとやっと予定が合って、やっとやっとこうして一緒に居られるのに。 「しかも、花火なのに」 「……なんか言ったか?」 「別にー」  もやもやとした心なんて、花火の音にかき消されてしまえ。  せっかく君と居られるのだ。一人不機嫌なのも馬鹿らしい。どうせなら、君との思い出は楽しいものにしたいから。 「ちょうだい!」  誤魔化すように。彼が付けてたお面を奪う。  子どもに人気の戦隊ヒーロー、赤はやっぱり主人公の色だ。彼らは皆に見守られて戦っているけど、君の戦いは誰にも知られていない。だけど、わたしは知ってる。いつだって、見守ってる。 「おい、ちさ。やらんぞ」 「えー、けち。お面の一つくらいいいじゃな……」  夜空に咲き誇る、大スターマイン。  じゃれ合うわたしたちの上で、無数の大輪が狂おしく花開いてゆく。咲き誇った花は空へと吸い込まれ、それを待たずにまた次の花が艶やかな色を夜空に放つ。百花繚乱。光の乱舞から、目が離せない。 「ちさ。ーーーー」 「え? 何?」  何かを呟いた。その声は花火の音にかき消されて、わたしの元へは届かない。  一体何を言ったのか。聞き返そうと彼を見ると、ちいさく首を横に振って、口元に人差し指を当てるだけ。にやりと微笑む笑顔が、憎らしくもいとおしくて。それがなんだ悔しくて。 「ほら、花火みないと。終わっちまうぞ」  クライマックスを迎えた夜空が、今まで見たことのないような輝きを咲かせている。なんて儚く、なんて美しいのだろう。  少しの余韻を残して、会場のアナウンスが花火の終了を伝える。  夜空には淡い白煙が漂っていて、先程までの鮮りを思い出させる。ほんのすこしのさみしさが、風にさらわれて遠くへと流れていく。 「帰るかー」 「……あっという間に終わっちゃった」 「花火ってのはそういうもんだ」  うんうんと一人うなずいて、彼は立ち上がる。  少し遅れて立ち上がろうとするわたしに、そっと右腕がのびる。 「へ?」 「立ちにくそうだし、ほれ」 「あ、ありがと」  予想していなかった優しさに、心臓がせわしなくなる。  真っ赤になった顔を見られないようにうつむいて、その手を握る。あたたくて、力強くて。それは確かに男の子の手。今までよりもずっと、大きくなった掌。  照れくさくて、すぐに手を離す。  浴衣に付いた砂を払って、心臓が落ち着くのを待つ。  あ、そういえばさ。  思い出したようにこちらを見つめる視線に、胸の高鳴りは落ち着くどころかますます強くなる。 「浴衣、似合ってんじゃん」 「……!」  にんまりと、屈託のない笑顔とともに放たれた言葉は、わたしがとても待ちこがれて、ずっと聞きたかったもの。  もう聞けることはないと思っていたから、あまりに予想外で、あまりに 嬉しくて。  ますます熱くなる顔は、きっと耳まで真っ赤に染まっていて。それをうまく隠してくれる、この夜に感謝して。返す言葉を探して、うまく探せなくて、わたしはただぱくぱくと口を動かすだけ。 「……あったりまえでしょ!」  それでもやっと練りだした言葉は、何とも可愛げのないもので。 「はは! 可愛くねーの」  それを君にまで言われてしまうのだから、なんとも救いようがない。 「う、うるさいなっ。もうお面返さないんだからねっ」  恥ずかしさを隠すように、わたしはずんずんと彼を追い越し歩き出す。遅れて付いてくるのを確かめながら、一つだけ気になることがあった。数歩進んで、振り返る。 「ねえ淳平。さっき、なんて言ったの?」  花火に紛れて聞こえなかった言葉。  それがどうにも気になって、聞かずにはいられない。 「さっき? あー、あれな。秘密!」 「なんで!?」 「聞こえない方が悪い」 「花火の中言う方が悪い!」 「だーめ、教えない」 「けち」 「お面やるからゆるせ」 「やだ!」  悪戯にわらうその表情が胸の奥をくすぐる。  花火に隠されたその言葉に、君が何を乗せたのか。それはついに教えてもらえなかったけれど、素敵な言葉だったらいい。  もうすぐ、夏が終わる。  短い夏の儚い一輪。それを君と見られてよかった。  来年も、また、君と花火を見られますように。
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