4人が本棚に入れています
本棚に追加
―活動Ⅱ 青の島の再上陸―
ただの散歩だと言ったけれど、移し身の白狼で、キリが付いて来てくれた。
ミナたちは、水狼デュッセルデルトに案内を頼み、デュッカの作った浮遊艇で、縁の狭い水場を高めの上空から見下ろしつつ通り過ぎて、深い森の手前の草原に降り立った。
この草原は、端から見たときの境界部分が、人の目に視認できる程度の幅で、帯のように延びて、奥の森を囲むように続いており、そちらの終わりは視認できなかった。
ミナは、通り過ぎた水場に戻って、草原の側から、その奥を覗き込み、なかの動物と目を合わせて、はっと息を呑んだ。
思わず身を引いたけれど、相手は、じっと見ているので、そのまま少し、観察してみた。
人の姿とは、言えないけれど、それはとても人の顔に似た造作をした動物で、頭部の毛は、髪と呼んで良さそうだし、ひらひらと水に漂う、鰭のようなものがありはするけれど、腕の先にあるのは、指の分かれた手に見えるし、胴の下は、見難くはあるが、2本の足であるように見えた。
「声が聞こえるかな。こんにちは」
言うと、相手は、ゆっくりと浮上して、顔を水平にして空気中に出し、やはり鰭のようなものがある耳らしき体の部位までを、水上に出した。
「今、なんと言ったの」
「こんにちはって、挨拶したの」
「ふうん。こんにちは。今頃は、おはようと言うかと思ったわ」
「あっ!そっ、そうだね!おはようの方が良かったね!」
「まあ、いいけど。四色の者。あなたね、ミナ・イエヤ・ハイデル」
そう言うと、相手は、水上に体の大部分を出した。
水の中にある一部は、鰭のようで、ゆらゆらと水中で揺らめいている。
「私は水竜エンディケのセイネーリェ。透虹石の者たちと仲良くしてくれているようね。ありがとう」
「そっ!そんな!こちらこそ!仲良くしてもらっているの!」
「ふうん」
「セイネーリェ!リュカはどうしたの!」
ミナの横まで、素早く移動した桃色の彩石猨を見て、セイネーリェは目を細めた。
「ん。ラーマヤーガ。猨?誰か判らないわね。リュカはどっか行っちゃったわ。人どもを見てくると言っていたけれど、さあ、臆病だから、遠くから覗いているのでしょう」
「チェーリッシよ!桃色のチェーリッシ!」
チェーリッシが遅れて、彩石猨の頭の上に乗った。
「鷦。の、チェーリッシか。桃色…ああ、あの、軟らかい実。ちょっと違わない?」
「桃色は、花の色だからよ!」
「桃…の実の花?ということ?花は見たことがないわ」
「綺麗よ!桜よりも濃いの!」
「ふうん。桜。なんとなく覚えているわ。なるほど、確かに、濃い気がするわ」
その時、激しい水音とともに、水中から飛び上がった影があった。
「セイネーリェ!」
髪の長いセイネーリェに対して、短い髪の、少年…青年と言うには、少し若い印象の、似た動物…たぶん、水竜エンディケだ。
両者とも、身長は15歳のユクトやラフィやカチェット程度には、ありそうだったが、その輪郭は、肉付きが薄く、人であれば現れているはずの性別の違いがない。
「リュカ。鷦は、桃色のチェーリッシですって。紫のは?」
声を掛けられて、紫の彩石狼が進み出た。
「メリダよー。ほかのエンディケはどうしたのー?」
「その辺りに居るわよ。私たち、なかなか終わりが来ないみたい。退屈だし、アルシュファイドに行ってみようかしら」
「いいんじゃないー?ねえ、ミナー、一緒に連れてってもいいでしょー?」
「え?うーん。成人…成体なら、いいんじゃないかな?あっ、でも、船の客室が足りるかは、分かんない」
「平気よー、自分で行けるものー。そうでしょおー」
「まあね。メリクリオは?一緒に来てるんでしょ?」
「メリクリオはー、ウラルと一緒なのー」
「ウラル」
「かわいい子ー」
「やさしい子!」
「やわらかい!」
「きゅうってなるのー」
「きゅうってしたい!」
「きゅってしてやる!」
いつの間にか会話に交ざっているのは、水色の彩石水兎を操るシークェンセスだ。
そこから置いて行かれて、ぽかんと口を開けるリュカに、ミナが話し掛けた。
「あの、エンディケのリュカ?私、彩石判定師のミナ・イエヤ・ハイデルです。えっと…おはよう」
よろしくと、言うのが自然な気がしたし、そうしたかったけれど、同時に、図々しいかという気もしたので、朝の挨拶をしてみた。
「あっ!あのっ…、…っ!…なに、名前、勝手に、知ってんだ!」
途中から、理解した状況への対応を確定したらしく、大きな声で怒りを表す。
ごめんなさいと、急いで謝ろうとすると、鋭い叱責が聞こえた。
「リュカ!私が教えたのに決まってる!文句があるなら私に言いな!」
きちんと教えられた覚えはないが、名を出したこと自体、セイネーリェは、自分で責を負う気持ちがあったのだと、ミナは、その心の有様に、驚き、感動に体の中心が震えた。
弱い者には、けして持てない、どんな小さなことにも、覚悟を持つ、その意志。
なんて、高潔なんだろう。
ほかの誰にも、この澄み切った志は、感じたことがない。
セイネーリェは、少し心配するような顔で、ミナを見る。
「いきなり怒鳴って、ごめんなさい。リュカは、臆病すぎて、時々、反応が、ひとつひとつで過剰なのよ。ラーマヤーガほどには、気を付けなくていいけど、ちょこっとだけ、寛容になってあげて欲しい」
「あっ!うん!大丈夫だよ!ありがとう。謝ってくれて。気持ちが落ち着く」
「そ?」
セイネーリェは、ちょっと笑って見せてから、怖い顔をリュカに向けた。
「ほら、」
くい、と顎を動かして、行動を促し、リュカは、ミナを見て、いきなり怒鳴ってごめんと、言うと、頭をきちんと下げて、顔を上げた。
ミナは、かわいいなあと思いながら、ううん、大丈夫と、笑って、歩み寄りながら、両手を差し出した。
誘われるように近付いたリュカは、その手を取って、軽く握られ、握り返した。
「あ、あの、おはよう…」
「うん!これから、なにかとよろしくね!」
「あ、う、うん…」
おどおどと、視線を下に向けて、さ迷わせる様子が、またかわいい。
自分より、はるかに長く生きているはずなのに、ブドーを思い出して、笑ってしまう。
「それであなたたち、何をしに来たの。調査のようには見えないわね」
セイネーリェに聞かれて、ミナは、そちらに向き直った。
「あっ、うん!調査ではないね。ちょっと、環境に慣れようと思って、歩いてるの。こうして見ると、各島には、それぞれの特徴がありそうだね」
「そうね。形が違うから、住む者も、色々と違っているわ。昔は、あちらこちらに移動することを楽しんでもいたけれど、エンディケは、ここの青色が好きでね、なんとなく集まったわ」
「そうなんだ!もしかして、底の方では、繋がってるの?」
「ええ、分かれているように見えるけれどね。まあ、境目ごとに植物には違いもあるけれど、それほどに環境は変わらないわ」
「そっか!ふうーん…もっとちゃんと、この島全体も見てみたいけど、どうしよう…」
「どうしようって?」
広く陸地を見渡したミナは、首を傾けるセイネーリェに顔を戻すと、話した。
「力を使うには、物事を、自分の中で明確に判別しなくちゃいけない。だから、一部分だけ見て、知った気になるんじゃなくて、ちゃんと知って、判別したいんだけどね。時間がないから、ちょっと難しい。その、短い時間で、できることは何かなって、考えてるの」
「ふうん。…そっか。ありがとうね。カサルシエラのため…私たちのためって、思っていいのかしら?」
ミナは、なんだか、嬉しくなって、うんっ、と頷いた。
でも、押し付けがましくなったかと、ちょっと心配になる。
「なあに?」
表情の変化を見て、不思議そうに聞くセイネーリェに、あっ、うん…、と返しながら、説明の難しさを思う。
「えっと…。あの、押し付けがましく聞こえないといいんだけど…」
結局、あからさまな言い方になってしまい、居心地悪く身を縮めると、セイネーリェは、ちょっと目を大きくして、それから、なんだか、意地悪を思い付いたように笑った。
「あら、あら!それじゃあ、私たちのことを好いてくれているって、思ってはいけないのかしら?」
「いっ、いけなくないよ!いっ、いけなくないけど…その」
にやにや笑う、セイネーリェには、なんだか、やっぱり、意地の悪いことを、されたみたい。
「うもう、意地悪だなあ…」
「うふふ!新たな顔触れは、やっぱり、新鮮ね!懐かしい顔も見たいし!それじゃ、ミナ、帰る時に、声を掛けてよ。私もアルシュファイドに行きたいわ!」
「あ、うん、分かった!その時に!」
「よろしくね。それはそうと、じゃあ、案内してあげる!」
そう言うと、セイネーリェは、下肢を強く打つように撓らせて、飛び上がり、ミナたちの立つ草原に降り立った。
その足は、どうやら、人のそれに似て、足先と、指の形に、人との差異は見られない。
ただ、その肌色は、薄青い水色で、腰の下辺りから、両脇に鰭のような、軽めの布に似た形状の、薄い、ひらひらしたものが付いていて、それが踝の辺りまで掛かり、足下では、その長さは、ほかの部位の2倍ほどあったが、地に付かせることなく、ゆーらゆーらと揺らめかせていた。
髪は、風に靡くが、鰭らしきものは、尻尾のようなものだろうか、意識して動かせるのではと思われた。
足の付け根部分は、腰回りにある、その鰭に覆われて、見えない。
腹部は、引き締まった肌の張りがあるが、胸部は、それよりも柔らかい印象で、区別はできるが、それ以外には特徴の無い、平らな面を見せる。
獣人たちは、人の姿では、それぞれの異能で纏っているらしい布のようなもので服としているようだが、エンディケたちは、鳥獣と同じ感覚なのか、人の姿に似てはいても、布を纏うということは、しないようだ。
「それじゃ、行きましょ。そうだわ。樂果には、会ったのよね、昨日は調査だったのでしょ?」
人のように、2本の足で、セイネーリェは歩き出す。
リュカは、ちょっと時間を置いて、そのあとに続くようだ。
ミナは、突然できた同行者に、嬉しくなる。
「ええ、うん!デュッセルデルトとね。今日も案内を頼んだんだけど…」
「この辺りは、セイネーリェも詳しい。俺は、樂果の所に戻ろう」
そう言って、デュッセルデルトは、あっさりと森の奥に消えた。
その背に慌てて、ありがとうと声を掛けると、振り返りはしなかったが、尻尾を一振りしたのが、応えだったのだろう。
改めて、ミナはセイネーリェに向き直った。
「今日は調査じゃないから、森の中じゃなくて、この周りから見ようと思うんだ。ちょっと低空飛行で回って、で、そんな感じだから、えっと…。それに同行してくれる?椅子みたいのが、ある程度だから、降りたい時に行動を制限しないと思う」
「あら、さっきのね?乗せてちょうだい!」
そういうことで、付近に漂わせていた浮遊艇に再び乗り込んで、デュッカに、先ほどとは椅子の形状を変えてもらい、ミナは、通路を挟んでセイネーリェと隣り合って座った。
ミナの左隣は、長椅子の片側に座るデュッカで、セイネーリェの右隣は、リュカだ。
ほかの顔触れは、適当に同乗して、騎士たちは、浮遊艇の縁に手を掛けて、浮遊板に立つ。
そうすると、浮遊板は、上に立つ者が引っ張られる方向に、同じ速度で動いてくれるのだ。
これは、上に立つ者、すなわち所有者である騎士たちが、浮遊艇と同じ速度で飛行するという望みを受けて、対応する仕組みが動いているのだ。
この仕組みというのは、彩石判定師の働きを助ける役目の者たちすべてに配られた、透虹石に掛けられた術によるもので、特に騎士たちは、突然の他者の持ち物での操作に戸惑わないように、似た仕様を備えている。
「昔よりも、随分と移動が楽そうね。昔は、多く馬たちに乗せてもらっていたものだけれど」
騎士たちを見て、セイネーリェが感心したような声を上げる。
「今でも馬には、お世話になってるよ!これからは、こういう、自立?自動?みたいな乗り物が主流になるのかな…」
ミナの呟きに、デュッカが答えた。
「そうかもしれんが、現在の乗り物を馬に引かせているのは、引く馬を飼育することで、馬の生活する場を保つ目的もある。多くの獣の居場所を奪ったが、移動を助けてくれるという役割もあったから、人は馬とは、そのような関係を築いたんだ。その辺り、何か考えねばならんだろうな…」
風の宮公としても、長く続いたイエヤ家の当主としても、馬の生活の場である馬場の運営と運用は、大きな出資をしているということだけでなく、気に掛かることだ。
「何かするんですか」
「ああ。具体的には浮かばないが、手法の開拓は促さなければなるまい。うむ。あるいは、馬たちの生活の場を、こちらのような浮島に丸ごと移すとかな。その場合は、新たな浮島を作ることになるか。しかし管理者が問題だ。うむ。しかしこのように隠れていいなら、ミナ、隠居は浮島にするか」
「は?隠居のために浮島を作るとか?」
「うむ。別に島でなくてもいいか。浮遊艇で構わんだろう」
「いや、いや、いや、構いますよ。いくらなんでも2人っきりの浮遊艇生活?いや、それはいやです」
はっきりと拒否されて、デュッカは、じろりとミナを見る。
「なんだ、それは」
「え。だって、2人だけって、話すことも何もなくなっちゃうでしょ。困ります」
「俺は困らん。話すことも何もなくなりはせん。お前さえいれば」
「は?いや、なくなりますよ?」
「いや、なくならん。第一に、ほかのことに感け過ぎて、俺のことを見ていることがないだろう。別宅にいても子供のことばかり、話を聞くだけならいいが、そう言えば俺がしたいこと」
「あああちょっ!それは帰ってから!帰ってから聞きますからね!今はやめてください、聞きませんからね!」
「いや、お前は俺のことを蔑ろにし過ぎている」
「いや、それはっ!その、あの、お願い、今はやめて…」
「そういうところはリックにそっくりよね」
段々と、他者の耳には入れられない遣り取りになっていたところ、セイネーリェが割り込んだ。
「ほかのことには気が回るくせ、リーンの心情には疎いのよ。あなたは周りのことなんてどうでもいいのかもしれないけど、ミナは周りが気になるのよ。そんなに彼女が大事だって言うなら、時と場所ぐらい、考えてやったらどう」
口を閉じたデュッカを、ミナ越しに見て、セイネーリェは促す。
「どうなの」
「………。これでも我慢はしているんだ…」
「我慢の仕方を変えればいいのよ。今のだって、今、この場でなければいいわけだし」
「分かるが、しかし」
「機会は、案外、あとに移せるものなのよ。もちろん、今しかないものもあるけど、努力次第というところも大いにあるわ。逃してしまった機会は惜しいけど、あとの楽しみにも変えられる。そうした方が、少なくとも、ミナには、負担が少ないと思うわ。ね、ミナは?どう思う?」
ミナは、考えてみて、大きな感情の波に揺らされはしたけれど、確かに、今の状況の改善にはなりそうだと、認められた。
「う。そ、れは、その、今よりは、いい、かも…」
「ふうん。ま、それなら、いいってこと?」
「う、うん…、たぶん…」
「じゃ!そういうことで、試してみれば!」
「え、ええと…」
試すって、具体的にどうするんだろうと、判らないところもあったけれど。
デュッカを見ると、ちょっと考えたあと、納得したように頷いた。
「分かった。考え直してみる」
その、どこか落ち着く様子を見て、ミナは、あれ、と、気が抜けるのを感じた。
なんだか、追い詰められる感じが、減じた気がする。
「よし!リックよりは素直ね!さあ、それじゃ、張り切っていきましょう!」
セイネーリェの声に、そちらを見て、デュッカを見ると、前を見ていて、ミナの視線に気付くと、このまま進むかと聞いてきた。
「あっ、はい…、お願いします…」
「ん」
前を見る、その横顔を。
なんだか、久し振りに見たなと、そう思う。
いつも、正面から見つめられて、恥ずかしさに、隠れてしまいたくなるけれど。
ほっと、息をついて、ミナは。
同じように前を見て。
そっと、ぎゅっと。
デュッカの服の端を掴んだ。
最初のコメントを投稿しよう!