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旅の顔触れ
―Ⅰ―
浮沈集合島カサルシエラ調査団。
名付けるならば、そんなところとなる、この調査団の責任者は、アルシュファイド王国最高位の騎士である彩石騎士の一、緑嵐騎士ジュールズ・デボア。
彼が主と仰ぐのは、アルシュファイド王国の国主に相当する双王ではなく、国格彩石判定師ミナ・イエヤ・ハイデルだ。
国格とは、この世界のすべての国に於いて、国主ですら敬意を持って接するべき人物だと、示す称号となっている。
自らが持つ、多くの事柄への造詣を見せ、実感させることで、国の主導者へも、実利ある助言を多く為した国格教示師が、広く知られた存在として挙げられる。
彩石、というものは、この世界の人すべてがそれぞれに、それぞれの分量で持つ、土、風、水、火の力、異能と呼ぶ能力を扱う際に、助けてくれる石だ。
ミナは公式には、その石の、完全体と不完全体を見分ける、判定師だ。
「申し訳ないが、どうも納得できる説明とは言えない」
前代の双王の同志であった前代の彩石騎士の1人である、素激騎士ヘリオット・エリオットが、そう言って、ミナは、ちょっと笑った。
うやむやにしようと思っているわけではなく、未だに、納得してもらえる説明を捻り出せないことに、情けない気持ちなのだ。
「ええ、でも、それが全てです。私が判じ定めることは、彩石に限る。そのほかのことは、言ってしまえば、職能の範囲外。私はただ、自分が知ったことが、必要かどうか、周囲に尋ねているだけです。何にでも、なぜ、何と尋ねる幼子に似ています。その発言の先に負えるものはない。幼子も、聞くことすべて、覚えたくて聞いているわけではありません。今、知りたいだけで、ずっと覚えて役立てようなんて、思わない。ただ、私が、それと同じようにするのでは、あまりにも、立場に不相応だから。ある程度は、形を作って、提示する必要は、あります」
「心根は買うけど、自分でも言ってるじゃないか。職能の範囲外だって。ジュールズに任せなよ」
へらへら笑って、ネイが言う。
ミナは、仕方ないと言うように笑った。
「ええ。存分に、甘えさせてもらっていますよ」
「甘え…」
呟く、ミナの夫、デュッセネ・イエヤ、通称デュッカが、ちろりと妻を睨む。
「俺には甘えないくせに…」
「そんなことないですけど…」
「ある。だいたい、伉儷なのになんで別室なんだ」
「ああ、それは俺も不本意だ」
ネイの夫、彩石騎士筆頭である白剱騎士として前代で務めたジェド・クィン・エメワリゼも、表情乏しく同意する。
「うるっさいね、細かいこと言う男は嫌われるよ。て言うか嫌いだ」
ネイが容赦なく切り捨てる。
「細かくない」
デュッカとジェドの声が重なるけれど、誰も取り合わない。
「君に知ることができることとは、具体的に?」
ヘリオットが話を戻し、ミナは、机の上で両手を組んだ。
目の前にある茶は、まだ温かいだろうか。
「基本的には、彩石のことですね。今回、確認して知りましたが、透虹石(とうこうせき)の獣たちを私に探せたのは、そこに、彩石の力があったからですね。透虹石そのものは、力を持たない彩石ですが、4属性を扱える存在があります。私はたぶん、それを感じたのです。実際に、彼らを、人のように、生物だとは認識できませんでした。人の多くは、4属性のどれかの力を所持していますからね。その力の揺らぎは、彩石とは違うし、力の質とか、精査していけば、知人を識別することぐらいはできます。その点、透虹石の人も、身内に力がなければ、そういう探し方はできません。そうですね、私には、彩石の存在を正確に判別し、定めるだけの識別能力がある。4属性の力を判別する力は、その延長でしかないのです。彩石を、判別するための能力なのですね。それは、力が大きいほど見付けやすい。最も力の小さな鷦たちは、まあ、それほど苦労せず探せる、線上と言うところですか。パリスやユクトやラフィは、知人だから、探せるかな、というところ。離れていると、その分、探し難くなってきます」
男騎士パリス・ボルドウィン、彩石選別師の少年ユクト・レノンツェ、見習い騎士の少年ラフトフル・シア・スーン、通称ラフィの3人は、透虹石と同じ力を持つ者たちだ。
透虹石と言う彩石は、彩石のうち、サイセキと分類される石だ。
彩石は、異能を助ける3種の働きを持つ石で、そのなかでもサイセキは、土、風、水、火のいずれかの力を、個々の制限分量で内包するものだ。
透虹石自体は、それら4属性の力を持たないが、それらを吸い取り、保持する能力がある。
透虹石と言う意思持たぬ存在であれば、そこにあるだけでは、同じサイセキからの力を吸収しないが、相手が生物となると、その生物が排除したがっている、体の不調をもたらす余分な力を、生物の自己防衛本能と言うべき意識しない意思から影響を受けて、吸い取ってしまう。
透虹石の生物は、そこに意思があるため、彼らの意思に従って、周囲の人やサイセキから、土、風、水、火の力を吸い取り、それを個々の制限分量だけ保持し、吸い取ったその力を発することができる。
そこに力がない、ということでなら、同じ彩石のうち、異能を減少させる働きを持つサイジャクも、異能を増大させる働きを持つサイゴクも変わらない。
ミナが、彩石のことしか判らない、と言うのは、正しい。
彼女は正しく、彩石のことだけを、この世界から知覚しているのだ。
たったひとつの大陸しかない、閉じられたこの世界すべてから。
人の身には広大過ぎるこの世界全体から。
彼女は、彩石と言う存在を感じ、知ることができる。
「ん…。つまり、出掛けに、あの雲の中に浮遊島が存在すると断言したのは、そこに彩石のある、島と呼べる地面があると、判別したということ?」
アークが、見送りのあの時、受けていたのは、正しく、そのことを知ることによって、打たれたような衝撃だったのだ。
アルシュファイド王国の南の玄関口であるエラ島を出て間もない、現在でも、この船から視認することができるが、王都レグノリア上空には、巨大な灰色の雲が浮かんでいて、ミナの感知する所では、その中には、浮遊するもの…、多くの彩石を含み、また、載せてもいる、大地が存在していた。
大陸と言うほどではない、島が。
「ええ、その通りです。その中に、透虹石の生物の存在は判別できなかったので、それ以上のことは、判りません」
「なるほど」
そこで、あの場で、強大な風の力を持つジュールズが軽く探ったところ、多くの動植物が存在したのだった。
「海上を浮遊する島だけでなく、空中を浮遊する島まであったとはね」
ジュールズと同じく、いや、正確には少し違うのだが、強大な風の力を持つネイは、自分の迂闊さに溜め息が出る。
この世界の、風のある所すべてを知ることができる、つまり、この世界で探れないところは、とてもとても少ない自分だというのに、あんな巨大な雲が隠す島の存在を見逃していたのだから、実を言えばその衝撃は、アークの比ではない。
雲は、高い上空にあって、圧迫感はないのだけれど、探ったところ、アルシュファイド王国の南端にある大陸最大の湖、レテ湖並みの大きさだった。
「すみません。透虹石の獣を探した時、近くにあるなとは気付いたんですけど、何しろ、その時は彼らを探していたので、余計な情報と切り捨てて、そのまま忘れてしまって。でも、そうですよね。私にとっては、幼い頃から知っている、当たり前のことで、誰も言わないのは、当たり前にある存在…つまり、誰もが認識済みの存在だと思い込んでいたんですけど、それならそれで、人々の口に上らないことに、少しは疑念を持つべきでした…少なくとも、その存在を記した書物を全く見なかったということには、気付けたはずなのに…」
「いや、いや!さすがにそういう思い違いは、他人に指摘されなきゃ分かんないよ!認識の違いってのは、ちゃんと確認しなくちゃさあ…」
言いながら、その途方もない食い違いに、ネイもさすがに頭を押さえる。
さすがにもう、これ以上の認識違いはないと思うけれど、細かいことを確認すれば、きっと際限はないのだろう。
「とにかく、あっちはあっちで、アークとルークとライに任せときゃいいよ。オズネルだっているんだしさ。私たちは、こっちはこっちで、冒険を楽しもうぜ!」
早くも立ち直ったネイは、笑顔でそう言う。
双王の1人、自分の愛息子でもある祭王ルシェルト・クィン・レグナ、通称ルークは、同じ話を聞いて、衝撃で、ミナたちへの見送りの言葉すら掛けられない有様だった。
今頃には、ネイが新たに責任者として役目に就いた、原初生物対応機関の実務統轄をさせられている前代彩石騎士の1人、緑瀑騎士ライラネル・オコナー、通称ライも、同じ話を聞いて頭を抱えていると思うと、楽しさが込み上げる。
知己が動揺する姿は、ネイの大好物だ。
そのネイの様子に、仕方ないなと笑いながら、ミナは、デュッカの実父、すなわち、ミナの義父に当たる前代風の宮公オズネル・イエヤの反応を想像して、義母のマトレイ・イエヤと共に楽しんでもらえていそうだなと、思って笑い声が漏れた。
風の宮公、と言うのは、祭王ルークの管轄する四の宮…土の宮、風の宮、水の宮、火の宮のうち、風の宮の責任者を示す名称だ。
四の宮公とは、代々、4属性のうち1種が特に強大な者たちに継がれてきた名称で、風の宮公ならば、風の力が、世界最大級の持ち主と言える。
現代の役目に就いているのは、ミナの夫のデュッカ。
ネイは、保持力だけ見れば、デュッカやオズネルに並び、また、ジュールズも同等の風の力を持っている。
ジュールズが風の宮公でないのは、その名称を持つ者を2人以上までは求めなかったため。
当人は彩石騎士となることを選んだし、イエヤ家当主が風の宮公を多く務めた家系ということもあり、現代のイエヤ家当主デュッカが継ぐことは、当時の自然の成り行きだった。
彩石騎士は、有事の際に、双王の代行も務める騎士だ。
保持する異能の強大さが、これに就く条件のひとつで、ジュールズのように風の力ひとつで風の宮公に並べば、不足はない。
ヘリオットは、水の力が強大なことを特徴とする騎士だが、その力は、水の宮公には、やや劣ると言わなければならない。
ただ、それでも、その力は、一般騎士を大きく超えるものだし、双王の代行を務めるのに不足はないと、誰もが認めて、その地位にあったのだ。
ライの場合は、風と水の力を持つが、これはどちらも、四の宮公に遠く及ばない。
ただし、それぞれが、一般騎士よりも遥かに強大で、それだけあれば、双王の代行も可能と認められ、彩石騎士に名を連ねた。
双王は、その異能を以て、国土と国民を守る存在であることを求められている。
政王は、普段は国政に務め、有事の際には剣を取り、打って出る。
異能の属性は問わず、前代のネイは風の力の保持力が風の宮公と並ぶが、現代のアークは、水の力の保持力が水の宮公と並んでいる。
双王を輩出するクィン家とローグ家の特徴なのか、政王は代々、風か水の属性だった。
祭王は、普段は、アルシュファイド王国の国土全体を他国より隔てる、絶縁結界と言う不可視の保護膜の維持を行い、有事の際、現在ある絶縁結界が消失などした場合に、国土と国民を守る保護膜を新たに出現させる。
異能の属性は、例外なく、土の宮公以上の強大さを保持する土の力でなければならない。
騎士という性質上、彩石騎士は多く政王の代行を見込まれており、四の宮公は、有事の際に、自分たちの異能を最大限使って、土の強大な力を持つ祭王が打ち立てることのできる保護膜に、相当する保護膜を出現させ、国土と国民を守ってくれる存在だ。
そのため、四の宮公は必ず、それぞれの属性の世界最大級の保持者であることを求められている。
それはさておき、今回の旅の目的だ。
先日、この世界には、海上から海底まで、隠された浮島が多数存在していることが発覚した。
浮島は、大陸と同じく、黒土から成ると考えられており、海上で確認されているものも複数あるのだが、今回見付かったのは、15の密接した島を合わせて、レテ湖よりも大きな集合島、カサルシエラだ。
ほかは取り敢えず置いておき、まずは確認できたものから調査に行こうと、編成されたのが、今回の調査団というわけだ。
このカサルシエラ、隠されている上に、分割された15の島ごとに、順に浮き沈みを繰り返しており、通常ならば、浮いているのは、そのうちの1島で、ほかの14の島は、海底に沈んでいるのだろうと予想されている。
この島を確認に行くことになったのは、島を隠すために、何らかの術が掛けられているのだろうと、考えられたからだ。
術を固定するには、多くの場合、力を内包するサイセキが使われ、通常であれば、そのサイセキは、使われるだけの力を失っていき、やがて消滅する。
島を隠している術も、いずれ、使われている彩石が尽き、効力がなくなり、島が姿を現すことになるはずだ。
さらに、このカサルシエラの場合は、隠されているだけでなく、浮沈を繰り返している。
術に使われているサイセキが尽きれば、恐らくは、順繰りの浮沈が止まり、島のすべてが、海上に浮くことになる。
それ自体は、生物の命を脅かすほどではないだろうと考えられたが、大なり小なり影響はあるはずで、島の環境は、急激にか、緩慢にか、いずれにせよ変わることになる。
変化があれば、新たに生まれたり、失われる何かも、きっとある。
時の経過は止められないのだから、それは仕方ないのだと受け入れるべきなのだろうけれど、問題は、もうひとつある。
これまで隠されていた存在が、姿を現す。
それを見付けた人々は、どうするだろうか。
互いに知覚できるようになったら。
互いの交流が、友好的に紡がれればいいけれど。
人同士でも、諍いはある。
立場の違い、その時の状況で、良いこともあれば、悪いこともある。
ミナたちは、まず、この先、島に掛けられた術が消え、現状が変わるかどうかを探りに来た。
その後の選択は、正直、どうなるか判らないが、現時点では、術の維持の継続が望ましいとの判断だ。
そのため、実際に、継続できるのかどうか、知らなければならない。
「しかし、その術がどのようなものか、なぜ君に判るのだろうか…」
「そこは、総合的に判断しているところです。彩石自体の現状もありますし、過去から現在までに失われた彩石の力、その方向。私にはたぶん、力が流れた跡が判るのでしょうね。ただ4属性の力を感じ取るだけならば、私の力量では、それほど遠距離を探れるはずはありません。私の力の捉え方は、彩石の識別能力を取り入れながら行っているものなのでしょう。意識して分けている場合もありますが、難しい…、それこそ術の読み取りの時は、そのような余裕はないので、申し訳ないですが、判別をしたくないと、思っています。もちろん、その時々で、必要な場合は、判別し、お知らせしなければなりませんが」
「ふむ…」
それは、捨て置いて良いことではなかったけれど、現時点で、どうすればよいとは、思い付かないし、まず、何がよいことであると言えるのか、ヘリオットにも、判断するには、情報が足りないし、理解が及ばない。
「すべて任せるとは言えないが、しかしこちらとしても、何らかの理解が必要そうだな…。何か、俺たちでも出来ることがないだろうか」
「私の知覚を、ある程度は共有できると思います。それこそ、皆さんには、その属性に限られた、力の流れを読む、という形ですね。その点、ユクトは、4属性を扱えるので、ええ、こうなると、透虹石の彩石選別師養成が急務ということになるかもしれません…」
彩石選別師は、自分の持つ属性に限り、彩石の属性と、3種の働きと、内包する力の量、透虹石なら制限容量、サイジャクとサイゴクなら対応容量となる、カロンという単位で表す力量が、どのくらいであるかということの見分けを行える者だ。
アルシュファイド王国の現在の国家資格では、それに加えて、完全体と不完全体の見分けも行うことを求められる。
そこまですると、ミナの存在意義を問われそうなものだが、誰よりも当の選別師たちが、自分たちと判定師の違いを実感している。
確かに、完全体と不完全体の選別ぐらいはできるけれど、はっきりとした違いを説明することは難しい。
なんかこっちの方が使いやすそう、とか、こっちの方はなんか変な感じ、などという主観で説明して、実感を持つことで納得してもらえても、相手の共感に頼った判別を、己の定めたところなどと、恥ずかしくてとても言えはしない。
自分たちが行っているのは、ただの、選別。
間違っても判定などではない。
回数を重ねるごとに、その思いは深まっていくのだ。
「でも、たぶん、存在自体が多くない。そして、その特異性を示すことは、彼らを危険に追い込むのではないでしょうか…」
透虹石の人は、彼らの外見的特徴である、その瞳と髪に宿す色彩を見れば、そういうものなのだろうと、多くの者が判断するだろう。
下手な情報を流すと、透虹石の人狩り、などという事態にだってなりかねないし、もしかして、ただ色彩が似通っているだけの者があれば、その者たちにも何らかの危害が及ぶ場合も充分に考えられる。
「ふむ…」
アルシュファイド王国に存在しないとは言っても、世界を見れば、特定の人々を虐げることは、組織的にだってあるほどだ。
一般的な教養しか持たないミナが知っている程度には、その存在は周知され、個人で対処することは難しい危険として認識されている。
けれど、どうだろう。
だから、何もしないのか。
知らせないことで守ることは。
できることなのか。
いや。
気付いた今、取り掛かるべきこと。
これは、そういう事柄なのではないのか。
ミナは、組んだ両手に力を込めた。
「ファルセット。ジュールズを呼んで」
「っ!はい!」
様子の違うミナに気付き、ジュールズの従者である若い騎士、ファルセット・ミノトは、少し緊張して、自分たちのいる喫茶室に、ジュールズを呼んだ。
ミナにも呼べるけれど、緊急事態だと思わせたくなかったし、気持ちの乱れた自分が呼ぶより、いいかとも思ってのことだが、そのことはひとまず置いておき、彼女は考えをまとめるよう努めた。
ジュールズは、キリュウと居たはずだが、ちょうど離れていたか、置いてきたのだろう、レイネムとともに、ふたりで来た。
「ミナ?直接呼んだらいいのに」
「あ、ごめん。ちょっと考えに夢中で。あのね。もう1人の透虹石の人に、協力を頼んでほしいの」
もう1人の透虹石の、人。
ここにいる以外では、新たに立ち上げた機関の構成員となってくれた、フウラム・カザロ、通称ラムと言う、70代に手が届こうという男がいるけれど、ジュールズは、その瞬間、正しく察したと思った。
「まさか、ゼフスの」
ゼフス刑務所は、アルシュファイド王国ただひとつの刑務作業所で、3年ほど前か、ミナを勾引かそうとした者たちが、今も与えられた刑務作業を行っているはずだ。
なかには、いくらか行動の制限など受けながら、刑務所の外での作業を行っている者もいる。
ジュールズは、現代の彩石騎士として活動を始めたときに、彼らの現状を確認していた。
「うん、そう。彼に、してもらいたい。現実の苦しい場所を、知っている人なら、適任だと思うから」
ミナの指す人物は、ジュールズが確認した時点で、確か、刑務所外での作業を割り当てられていた。
「任せられるのか」
「任せるというのとは違うね。ちょっと聞いてくれる?」
ミナはジュールズに椅子を勧めて、同じ机を囲んだ。
「透虹石の人たちを探してほしいの。でも、彼らの能力をあからさまにしてでは、危険でしょ。だから、血族を探している、という名目で、探したらどうかなと思うの。そしたら、ある程度は見た目で、探すことができるし、探す者の見た目が、説得力を持つと思うの」
息を継いで、ミナは続けた。
「透虹石の者たちは、普通には力を使えない。そのために、力のない者として、不当に扱われていた場合。制御できない激情が、誰かの命を失わせることは充分考えられる。でも、それって、異能を持つ限り、それがどれだけ小さくたって、あることなの。そう考えたらね。世界には、不当に扱われている人が、たくさんいて、その恐れは、彼らの数だけ、あると思うの」
異能の制御不能。
それは、力量によって規模に差は出るけれど、ひとたび起これば、本人を中心に、大きな被害が出る。
それを承知で虐げるのだから、異能は、封じられているのだ。
多くの人は、為す術もなく、無体な仕打ちに耐え、やがては息絶えるのかもしれない。
けれど、だからいい、なんてことは、ない。
息をつく、ミナを見て、ジュールズは、その行き着くところを知った。
「まさか。それ、全部…」
この世界で、不当に扱われている人々。
そのすべてに、正当な生を、取り戻す…。
「うん。最終目的はそこ。透虹石の人を探す過程で、世界の暗い部分を避けては通れないはず。そのとき、助ける人を選ぶなんて、させてはいけない。そうであるならば、事前の準備をしなくてはいけない。そして、動くからには、なんのための準備かを、定めなければならない。最初から、最終目的に向けて準備していては、時間が掛かり過ぎるから、広範囲に網を張ることはしない。探すのは、彼1人、手掛ける事柄は、ひとつ。その1ヵ所から、丁寧に対応していく形。アルシュファイド王国としてはね」
「ミナ」
固い声に、ミナは、口中の唾液を呑み込む。
強い瞳をジュールズの瞳に当てて、言った。
「そのほかの国に、積極的に働き掛けるわけではないけど。ひとたび活動を始めるなら、彼らの足下で、行うことは、事前でも事後でもいい。隠すことではないと思う。私は」
努めて、気持ちを静めた。
「私は、国格彩石判定師として、世界に建議する。人は人を虐げてはならないのだと」
「ミナ」
呼ぶ声に万感がこもる。
その前で、震える息を吐いて、呑み込む。
ミナは続けた。
「だからと、負えることが私にあるとは、思わない。それでも、負うべきことを見極めて、努めようと思うの。だって、ジュールズ」
どうしようもなく、息が震える。
「わたしにしかできないことだから」
ちゃんとした声にならない。
吐く息を、ジュールズは、それでも聞き取った。
ミナは、唇を固く引き結んで、開け、何度か呼吸を繰り返すと、言った。
「状況を見極めて、動きたい。順序としては、彼に役目に就いてもらうこと。もちろん、監督する人物と、実動する人物が必要だと思うから、その人選もある。もし、彼が断るなら、そこは、ラムに頼むしかないと思う。アルシュファイド王国としては、危機対策のうちだからね。今すぐには取り掛かれなくても、対策事項のひとつとして、挙げてもらう」
それから、具体的な行動を順を追って話した。
「最初は、国内から。他国と反応は違うと思うけど、ある程度、様子見はできる。活動の手順とか、確認しながら、動いてもらいたいんだ。それが終わったら、国外に出る。その時の状況によるけど、最初から、危ないとこに入って行ってもらおうと言うのじゃないんだ。その国、その地域での、一般的な反応とか見ながら、それって、どこでも同じではないと思うから、様子を見ながら、最善を探して、できれば地域ごとに探してもらいたい。そのなかで、どうしても、危険な場所とかがあれば、後回しにするなり、ほかの状況と考え合わせて、動いてもらえたらいいと思う。そのとき、必要があるなら、為政者に協力を申し出て、私の建議を伝えて欲しい。場合によっては、私が出向いて、直接話す。そんな感じでどうかなと思うんだ。どうかな?」
「意図は理解したと思う。ちょっと待って」
ジュールズはそう言って、思案することに時間を割いた。
「ミナ。なんで、自分がしなきゃいけないと思ってるんだ」
確認の声。
ミナは、考えをまとめて、そして、言うべきことを決めた。
「ジュールズ。私は、国格彩石判定師として、私の知ることから、世界に必要と思われる情報を開示すべきと思っているの。透虹石の者が、その力を知らずに行使することは、国の枠組みを越えて対処すべき危険なこと。力の弱い者たちでも、異能の制御不能があれば、これもまた、国の枠組みを越えて対処すべき危険なこと。そして、ジュールズ。いつの日か、あの地に御座す方々がお目覚めの時、与えられたこの世界で、どんな生き方をしているのか、
人々が顔を上げて、奏上できるようにしたいと思うの」
この世界は、男女の双子神によって造られた。
そして今、二柱は、大陸にある山中の地下で、深い眠りの中にある。
目覚めの時がいつかは判らないけれど、二柱を直接知る者たちの言葉から、その性質が好むものは、やさしさのある世界なのだと、ミナは思うのだ。
「誇れとは言わない。でも、恥ずかしくない生き方をしているのだって。示すことが、人々のこの先に、安心を与えてくれると、思ってる。あの地の現状維持をする活動と、同じことだよ、ジュールズ。畏れを持って対するのではなく、自己を持って対することが、私には、大切だと思えるから。そのようにすべきだと、建議するの」
「君の考えを支持する、ミナ」
レイネム…透虹石の竜である、ジュールズの相棒が、そう言葉を発した。
発声器官を持たないので、言葉を紡いだのは、机の上にちょこんと立つ、小さな、彩石で作られた鳥だ。
「私も支持する。不当に扱われているというのは、キリュウやチェインや、サキやエオがいたような環境なのだろう。子供にあんな顔をさせるような生き方を強いるのは、私はいやだ」
デュッカの肩に乗る透虹石の鵬シュティンベルクが同意を示す。
こちらも、発声するのは、ミナの肩に乗る、小型化された彩石鵬だ。
「レイネム、シュティンベルク」
シュティンベルクは、ぴょんと跳んで、ミナの肩に飛び移った。
気持ちの良い、頭にある羽毛をミナの頬に擦り寄せてくれる。
「そんなに思い詰めるな。お前の味方はたくさんいる」
「シュティンベルク。ありがと」
そのやさしさに、そんな場合ではないと思うのに、涙が出る。
ジュールズが、ミナの頭に手を置いて、しばらくすると離し、言った。
「分かった。彩石騎士として、ミナの騎士として、意向の実現に努める。そいつには、俺が会っときたいから、手法の取り決めは、それからだ」
「うん。頼むね。ありがと、ジュールズ」
「よそよそしいなあ!抱き付いてくれていいのよ?」
「来い、ミナ」
デュッカが、椅子に座るミナの腰を持ち上げるので、立ち上がってしまい、そのまま、腿の辺りを抱えられて、移動させられる。
「ちょっ!デュッカ!」
「あとのことは任せる。休ませる」
「ほんとに休ませんのかよお、デュッカよお…」
そんな、ジュールズのぼやきを聞きながら、ミナは、半分は体を安定させるため、半分は、感情の求めるままに、夫にしがみついた。
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