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調査3日目、巡り合わせ
―朝Ⅰ 水の宮の面々―
バレリア・ルナ・ユヅリは、海面を踊るように歩く。
名のある舞踊師の1人として長くを過ごした彼女は、近年は時折、港町で優雅な踊りを見せては、酔客を楽しませている。
舞を乱さぬように距離を置いて、同じく海面を歩く、連れ合いのヴァド・ジーリス・ユヅリは、娘カルトラ・ナ・ユヅリに水の宮公を任せて以来、バレリアの舞台を整える仕事に務めていた。
港町を渡り歩くようになってからは、練習して、いくつかの楽器を奏でることもできるようになったけれど、力不足は否めない。
音の連なりが拙くても、観客を楽しませられるのは、彼女の手腕でしかない。
もっと何かで、自分にしかできない手助けがしたいのだけれど、彼女の舞台生活は、あとどれほど続けられるかと思うと、焦りと不甲斐ない思いが襲う。
「シェヘラータ!あなたは歌わないの?」
突然に声を掛けられて驚いたが、この場の状況を思えば、慌てることでもない。
声の方に目をやると、毛の無い大きな頭が海面から首を伸ばして上げられる。
「シェヘラータ?」
聞き返すと、別の方から声がした。
「舞姫を指す言葉よ。かつての舞姫の名でもある」
見上げると、人とは違う、けれどとてもよく似た姿の者が、高いところに持ち上げた水の上に腰掛けていた。
「シェヘラータは、名をなんと言うの?」
「あら、まあ。舞姫ですって?私ごとき、恥ずかしいわ」
バレリアが、心底、恥ずかしく思って頬を染める。
本当に若い頃は、希代の舞姫と称えられても、にっこり笑って応えていたものだが、あのリィナ・レジェックを知ってから、目指す頂を得たように、舞に向き合っていた。
もう、若くはないけれど、だからこそ、今の自分にできる舞を、追い続ける彼女を、自分もどこまでも追ってしまう。
人に似た者は、バレリアとヴァドに目線を近くにするためだろう、高い位置から下りてくると、名乗った。
「私は水竜エンディケのセイネーリェよ。あなたは女性ね。名を聞かせて」
「私はバレリア。バレリア・ルナ・ユヅリと言います」
「あなたは?」
「ヴァド・ジーリス・ユヅリ」
「水の者たち。カリに、とっても似ているわ」
「あの子は私たちの孫娘よ」
「なるほどね。あそこ、セスティオ・グォードと言ったかしら。あちらに行くの?」
「ええ、そのつもり」
「一緒に行くわ。そうそう、そちらの竜は、水竜ウルートルリア。質問に答えてあげて」
「あ、ええと、ああ、ええ、私は、歌わないのよ」
「ヴァドも歌わないの?」
セイネーリェに聞かれて、ヴァドは、意表を突かれた気になった。
そう言えば、多くの楽器を手にしたけれど、歌ったことはなかった。
「あ。ああ、私も歌わない…」
「ふうん?奏での道具がないのなら、手拍子でもあった方が、楽しいわ!」
そう言うと、ぱん!ぱぱん!と、手拍子を始めた。
それに合わせて、ウルートルリアが尻尾の先で海面を叩き、飛沫が朝の光に舞い、薄い色の違いを見せた。
「上陸するまで、あとちょっと、試してみましょ!」
セイネーリェが言いながら、縦に横に、泳ぐように、くるりるりと回る。
「ええ、そうね!」
バレリアが、嬉しそうに駆け出す。
アルシュファイドの民は、100歳を越えるまで、衰えという意味での変化は少ない。
繰り返し刻まれる皺が深くなり、陽や風に晒される肌に色が現れ、水気が減るのは、体が自然に戻る以上に、負荷の積み重ねが大きいためで、回復機能の低下ではないのだ。
騎士たちのように、鍛練すれば、回復機能の向上などがあるので、若いうちは、それ以外の者より身体能力は上がるが、比例して負荷の掛かった体は、その引き上げられた分の身体能力の維持を難しくする。
そのため、騎士は、定められた期間を待たずして、自ら退役することが多いのだ。
負荷を大きくしたという点で、バレリアにも回復機能の追い付かないところはあるが、身に付けた動きの洗練は、年を重ねるごとに形を変えながらも、美しさを損なわせない。
確かに舞姫リィナ・レジェックの美しさは、比ぶべくもない至宝だけれど。
だからとバレリアの美しさに否など認めさせはしない。
ヴァドは、高い手拍子を意識して、水の塊を空中に飛び出させると、その表面を鞭で打った。
最初のうちこそ、表面が叩かれる、ぴしりぴしりという軽い音が勝ったけれど、次第に鞭の工夫をして、重く低い音を響かせ始めた。
「バレリア。舞姫の素晴らしさを称えながらも、私はお前を追い求める。分不相応と言うならば、舞娜(まいな)の冠を捧げることを許してはくれまいか」
言うと、バレリアは、ふわりと立ち止まって、マイナ、と呟いた。
ヴァドは頷いて、バレリアをまっすぐに見つめた。
「そう。たおやかな舞。お前のしなやかな美しい舞に相応しい」
「舞娜」
「マイナ・バレリア。シェヘラータとは違う舞の美女。良いんじゃない、響きが素敵」
セイネーリェが言うと、ウルートルリアが長い首を振り回して、海水を空に撒いた。
「マイナバレリア、麗しき舞人。シェヘラータに並ぶ姿を夢に見る」
流れる抑揚が風に巻いて、セイネーリェが応えた。
「花々の共演のように水を彩る」
「風を巻く」
「土を叩いて」
「火を踊らせる」
「いつかきっと連れて来て」
「あなたに並べるシェヘラータたち」
「マイナたち」
「きっと、きっとよ…」
歌のような声を残して、ウルートルリアは泳ぎ去った。
それこそ、夢のような煌めきが去ると、ヴァドとバレリアは目を瞬かせた。
「さあ、到着よ!今日はこれから、何をするの?」
楽しそうなセイネーリェの声が耳を打ち、2人は我に返った。
「あ、ああ、今日はここに、水場を作るんだ」
「手伝うわ!さあ!どこから始めましょうか!」
ヴァドは、ふと目を合わせた妻と、どちらからともなく笑い合った。
「ああ!思い切って、ど真ん中から始めるか!」
「いいわね!素敵!」
「うふふふふ!」
3者の声のあと、大きな水の塊がセスティオ・グォードの上空に出現した。
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