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―朝Ⅱ 火の者―
「…っ!おー…。水のは、誰だったか…覚えてるか?ギィ」
手摺りから身を乗り出して、片割れが水の塊の出現を教えた。
「覚えてないわねえー…ジス。それにしても、朝食を摂ったのかしら?食べないのかしら?」
「さあな。あ、おい、お前、船員か。食事は今から摂れるか」
通り掛かった接客係の青年騎士は、はい、ご用意できますと即座に答えた。
「食堂では、きちんとした内容もご用意できますし、喫茶室なら、食べやすい簡素な内容です」
「ほう。俺はたくさん食べたいな!」
「私は軽くでいいわ」
「では、食堂でなら、ご一緒でも不都合は少ないでしょう。どうぞ、こちらです」
「おう!昨日、行ったけどな!」
「確か、そこから入ってすぐよね」
「ええ、こちらの区画は、迷うほどに部屋はありません。どうぞ、お先に」
暴露甲板から船首楼に入り込む扉を開けて、青年は2人の高年の男女を先に通すと、あとに続いた。
「お時間が少し早めですから、騎士を含め、皆さん鍛練中などで、今頃は、あまり人はいません」
そう話しながら、食堂の入口から2人を中に促して、ごゆっくりと声を掛けると、近くの給仕に、先ほど聞いた2人の望みを伝えて去った。
2人は、はっきりと高年齢と判る外見をしてはいたが、100歳をちょっと越えたぐらいでは、足腰に不安はないし、気力に衰えなどあるわけもない、一般的なアルシュファイド王国の者だ。
女は、名をカヌン・カグリーディズィト、通称をギィとする者で、男は、カヌン・シリジィ、通称をジスとしている。
火の宮公を輩出するカヌン家の双子だが、どちらも四の宮を負えるほどではなく、長いこと、それぞれの生を謳歌してきたが、連れ合いを亡くしてしばらく、行き来しているうちに、ともに住むかと、レグノリア郊外に居を構え、のんびり暮らしていた。
先日、近くに住んでいた姪のカヌン・フェイティスから家の留守を預かって、どうやら何かが起こっているらしいと、そわそわしていると、前代の政王ネイから声が掛かって、このカサルシエラに来たというわけだ。
現在、火の宮公カヌン・ファラは身重の上、大切な時期で、前代の火の宮公カヌン・シュエラは、火の宮公を負えるほどに力を持つ幼子がレグノリア区に居ること、エラ島の近く、上空に浮遊する浮島があることなどから、動かさないほうがよいだろうと判断された。
前々代火の宮公が、近年付き合いの深い姪のフェイティス、通称フェイなのだが、彼女は現在国外に居り、前々々代火の宮公が、彼ら2人の父で、フェイと入れ替わるために出国した直後ということだった。
ギィとジスの2人のことは、高齢ではあるものの、身体に不自由の無い世代ではあることと、力量がそれなりに大きいことから、近い内に設立する火の院という機関に所属することも考えに入れて、手伝いを依頼したのだった。
室内に踏み入れた2人は、食堂を見回すまでもなく、1人で机に向かう娘に目を付けると、頷き合って、さっと同席した。
「おはよう、お嬢さん。私はカヌン家の者よ。ギィと呼んで」
「俺はジス」
「お嬢さん、こちらにはどういう用件で来ているの?」
ギィが言い終える頃、給仕が来て、朝の献立表を渡して去った。
同席している娘、ラグラが持っているのと同じものだ。
ラグラは、突然のことに、しばらくは驚いて固まっていたが、すぐに状況を知って、朝の挨拶に相応しい笑みを浮かべた。
「おはようございます、侍女のラグラです。彩石判定師様の供で参りました」
「ああ、あの子ね!言葉を交わしていないのだけれど」
「今は体調が思わしくないようで、ミナ様も、ご挨拶は早めにしたいと焦っておいでです」
「そうなの。大丈夫なのかしら」
「そうですね。心配はしてしまいますが、なんとか、お手伝いさせていただいています」
「ふうん…」
呟いて、ギィは、ちょっとラグラを見つめると、献立表に目を戻した。
「軽めの一揃いに、お薦めは、ある?」
「ええ、朝ですから、温かな汁物を中心にすると、具合が良いのではと思いますよ。ヒュミをお望みでしたら、小振りの椀の、小花膳、フッカでしたら、微風盆など、お勧めします。毎日、味わい違いになっているそうで、この調査期間中、迷わず選んで期待を裏切らないでしょう」
「あら、そう。あなた、献立を把握しているの?」
「仕事の内ですが、自分にも役立って助かります」
「俺はたくさん食べたいな!」
「そちらは、種類が豊富でしたよ」
にこりと笑って言うと、ざっと献立を見て、同席の2人を見る。
「お決まりですか?」
ジスが言った。
「お。ちなみに、俺に薦めるなら、どれ?」
「たくさん食べたいのが、ヒュミかフッカか肉か野菜か、というところで分かれますね。ヒュミとフッカは、だいたい、追加をいただきやすい形ですが、肉と野菜は、多く種類を求めるなら、固定の朝の膳から選ぶとよいですね。食べやすい一皿を、お求めなら、思い切ってコズリの大盛りを頼むと、簡単です」
「ふうん!じゃあ、俺、朝の膳にしよ!えーと……、ん!決まったぜ!」
その言葉を受けて、ラグラは給仕に顔を向け、心得た若い給仕は、さっと動いて注文を言付かった。
ジスは、肉の塊を含む、火を入れた野菜も多い膳で、ヒュミと汁物を大きな椀で注文し、ギィは小花膳のうち、蒸し魚を選んだ。
そして、ラグラは、フッカを甘めに調理する品と、豆茶を注文していた。
ギィは、その一品が何かを知って、ラグラを見た。
「あなた、それ、朝食なの?」
「あ、いいえ。朝食はミナ様と、ご一緒させていただくのですが、それまで、少々、時間がありますので、甘いものを食べようかと、こちらに来たのです」
「へえ。でも確か、軽食なら喫茶室にあるんじゃ?」
「ええ、滞在中に、そちらも行きました。今朝は、献立の実際のところの確認も兼ねています。今は、ミナ様が特にお疲れのご様子ですし、甘い物は特に、求められても、あまりに想定よりも量が多いと、食べ切ることに気力など使ってしまいますからね。予め知っておけば避けられることなら、知る機会を得たいという事情もあるのです」
「へえー。あなた、侍女と言っていたわね。今は勤務内なの?」
「この旅の間は、連続して勤務時間です。ただし、今は休憩中という心得です。待機時間にも色々とありまして、主の就寝中ならば、突然にご用が生じることもありますが、機会は非常に少ないと考えられます。現在は、そのような時間ですので、休憩時間と決めているのです。ミナ様のお出掛けに間に合わずとも、きちんと休んでいるという示しになれば、あの方の気持ちを軽くするのに役立ちます」
「そうなの」
「はい。もちろん、主によって対応は変わります。あ、来ましたね」
ほんの少しのお喋りだったはずだが、全員分の膳が整えられて出された。
ラグラは、内容を見ると、フッカを半分の大きさでも、注文として対応できるかと給仕に聞いた。
「確認してまいります」
身を翻す給仕に満足したように、ラグラは、皿の内容に適した大きさの突き匙と小刀を構えると、食べ始めた。
給仕は、すぐに戻ったが、時機を見計らって、ラグラが豆茶に手を伸ばしてから、机に来た。
「特にご要望があれば、半分程度にして、お出しするとのことです」
「ええ、半分と言いましたが、もし整えやすいのであれば、量としては、半分より多く、今より少なくを目指して、このように、ひとつの状態ではなく、複数に切り分けてみてはいかがでしょうかと、提案していたと伝えてください。もし必要があれば、少なめにと注文しますが、問題ないですか?」
「承知しました。ご提案と合わせて、伝えておきます」
「ありがとう。とてもおいしかったですと、お伝えください」
「はい。ありがとうございます」
給仕が去ると、ギィは、今のは侍女の仕事と聞いた。
「はい。確認したところ、ミナ様は小食に近いようなので、対応してくれるのなら、少なめの量を前以て打ち合わせたいと思ったのです。今回は、出発まで時間がありませんでしたから、帰国してから改めて、食事量についての話し合いを考えます。朝食で今の献立は選ばないでしょうが、茶の時間にも出されるものでしたから、もしかすると、役に立つかもしれませんね」
そう言って、ラグラは、茶を飲み終えたようだった。
「自分の話ばかりになってしまいましたね。ですが、相手をしてくださって、よい時間となりました。ありがとうございます。頃合いですので、お先に失礼します」
「ええ、お仕事、根を詰めて、無理をしないようにね」
ラグラは、その言葉に、ふわっと、娘らしい、豊かな笑顔を見せた。
「はい!頑張ります!」
「またな、ラグラ」
「はい、ジスさん。ギィさん、お仕事でしょうが、楽しめますように!」
そう言って、ラグラは足早に去っていった。
「無理をするなと言ったのにね」
「ふっ!そうだな」
ジスが笑い、ギィも、くすりと笑って、食事を続けた。
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