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―宵―
セスティオ・グォードの北東部に設置された温水の湖は、遠目に大きな円蓋を見せており、既に船内で湯を浴び終えた人々は、翌朝にでも出掛けてみようかと、話して盛り上がっていた。
ルークとカィンは、祭王親衛隊の男騎士5人、レトール・パーナ、ナッシュ・ヘイン、ミル・クロード、ジャックス・エレン、ホービル・リスキーと共に、船員に調えてもらった湯浴みの一揃いを持つと、近付く者に入り口を教える彩玉鳥によって円蓋の出入口へと案内され、中に入った。
出入口は、まず、男女に分けるための表示があり、男の入り口から入ると、更衣室に入る扉と、沐浴室に入る通路への扉が並び、服を着る者たちは更衣室、服を着ない者たちは沐浴室に案内する彩玉鳥が居た。
「え、あ、ここから!」
ルークが声を上げ、カィンたちも、分かれて入っていく、服の有無がある生物を眺める。
「そっか、服…」
「こっち、沐浴室、覗いてもいいかな!」
ルークは、そわそわと落ち着きなく言うが、今は、勧められたとおり、休むのが先だろう。
「後にしましょう。まずは一通り」
「あー、うん!それじゃ、行こ!」
そうして、更衣室に入ると、内側に居た彩玉鳥が、服を着替えて!と声を上げた。
「沐浴も入湯も服を着たままだよ!流れてる薬湯に浸かって、体を擦ったら、そのまま次の湯に進んで、入湯室に入ってね!出る時は、出口になってる沐浴室から入って、更衣室に戻るんだよ!」
子供向けの説明のようで、発声は強めだが、砕けた口調のためか、聞く印象は、柔らかい。
たぶん、今のキリュウでは内容を理解できないけれど、一連の流れを覚えたなら、そのうちには、理解できそうだ。
「えっと、じゃあ、洗剤は使うなってことかな?」
「あ、そうですね。廃水の問題が…とにかく行ってみましょう!」
こんなところで、ぐずぐずしている時間が惜しくなり、カィンは急いで、更衣室の様子を確かめた。
今はまだ、貴重品の扱いなど考えられていないようだが、荷物の置き場はきちんと閉じることができるし、簡単な留め具を掛けると、開けるには、利用者自身の名乗りが必要となる。
細かなことを教える彩玉鳥が要所に配置されているので、戸惑うことはあっても、それほど困るものではない。
男物の浴衣は、肩から掛けて、布の機能の一部らしい伸縮する帯によって、腰で絞られ、腿の半ばまで隠すものだ。
上半身を隠す意図はなく、吊り下げる帯が太いので、結果として、肌の多くが隠されている。
大きさの違いはあるようだが、生物の違いに対応するためのようで、簡単に、成体用と幼体用の区別があるだけだ。
ルークとカィンよりも、頭ひとつ大きい親衛隊の5人と同じ大きさを選んだが、身に付けると、いくらか調整されるらしく、身長や体の厚みに対して、過不足は感じなかった。
「へえー!器用だねえ!誰が作ったんだろう!」
「うーん…。これ、ハイデル騎士団並みじゃ…」
「とにかく、入りましょう」
ホービルに声を掛けられて、入浴道具を入れた、手提げとも出来る取っ手の付いた湯浴み桶を持ち、いよいよ、沐浴室の引き戸を開ける。
しっとりとした空気は浴室特有のものと思ったが、湯煙はなく、簡素な室内の床には、手前を除いて、一面に湯が溢れていた。
きゃっきゃと燥ぐ声は、人の子の声にも似ていたが、どこか音に重なる低音の響きがあって、違う、ということを気付かせる。
目を向けると、人よりも大きな生物が、太い尾をぶんぶんと振り回して、湯の中で暴れている。
そう、あれはもう、暴れている。
「お、おお…」
ルークは、人ではないと、判別できる生物たちを前に、驚きっ放しだが、カィンたち騎士は、我に返って、辺りの様子を観察する。
ここに居る生物の大きさは様々で、ただ軽く身を清めるためだけの設備だろうに、この場だけで楽しんで長居していそうな者たちも少なくない。
見上げた天井は、空を見せるが、先ほど外から見た時には、内側は全く見えなかったので、そういう仕掛けが施してあるのだ。
既に空の色は、赤みを薄くして、黒い色が広がりつつある。
屋内の照明は、天井に貼り付けられた明かりと、壁際の高い所と、低い所に設置されたもので、遠くまで見通せる。
あとで仕掛けなど、聞かなければならないが、ここまででも、かなり時間を取りそうなので、もう、諦めて、状況を知るだけに止めるしかないのだろう。
足元に視線を戻して、湯の溢れている床面を、よくよく見てみれば、そこは床面などではなく、水面で、床は手前から、なだらかに深くなっていることが分かった。
「すごい、深い…」
呟いたカィンの目の前に、浮上してくる黒い亀があった。
人の顔ほどの大きさの甲羅を持つ亀は、水上に顔を出すと、さあ、おいでと、穏やかに誘う。
足を踏み出して、水面下にある傾斜に進むと、掴まりなさいと声がする。
ここにきて、カィンはそれが、彩玉亀であることに気付いた。
非日常の空間に、すっかり気を呑まれていた証しだ。
肩まで湯に浸けて、小さな前の鰭に指が触れると、亀は、たちまち大きくなった。
同時に、甲羅の上に浅めの桶が現れたので、カィンは、自分の桶をそこに入れると、後ろの者たちを確認した。
どうやら、カィンの様子を見ながら、真似をするようだ。
確認を終えたカィンが、改めて亀の両方の前の鰭に掴まると、四肢を動かすでもなく、後ろ向きに進み始めた。
「これは薬湯だ。途中で流れが強くなるから、手を離してはいけないよ。ほら、ここだ」
言葉通り、強めの流れが通り過ぎていき、水中に浮く首から下を、洗っていく、そんな感覚があった。
体表を、擦っていくような強さだけれど、体を丸ごとは押し流さない。
「今度は、上から湯が落ちるよ。目と口を閉じて、準備はいいかい?」
「うん!」
「じゃあ、はい」
ざばあっ。
大きな音を立てて、湯が大量に降ってきたけれど、細かい粒だったのと、聞いた音ほどには勢いが無いのか、負担は小さい。
「手を離していいよ。顔を擦って、髪をよく濡らしなさい」
降る湯量は変わりないようだが、いつの間にか足の下にあった底面に立ち、ちょっと顔を前に出すと、容易に湯の雨から抜け出せた。
「ちゃんと髪を洗い流せたかい?」
「あっ!ちょっと待って!」
思わず、そう返事をすると、カィンは、湯を浴びながら、がしがしと髪を掻き回して、顔にも、その湯を受けて擦り、それからもう一度、湯の雨の下から出た。
「いいよ!次に…あ!」
素早く振り返って確かめると、ルークたちも、カィンとは別の亀に案内されて、頭から湯を浴びている。
頭上を見ると、低めの天井に無数の穴が開いていて、生物の真上だけ湯が降るようだ。
「進んでもいいかい?」
向き直るカィンに、亀が聞く。
条件に対する反応とは分かっていても、いや、だからこそだ、感心する。
ここまで、対象者に対応できるのは、風の力で、対象者の心が強く願うところを、よく酌み取っているからなのだろう。
これほどの指定は、ただの言葉の組み合わせだけでは、カィンには難しく思われた。
さておき、今は先に進むために、声を上げる。
「いいよ!」
「掴まりなさい。次は薬を洗い流すよ」
再び、体が湯に浮くが、今度はカィンも、この浮力が、水の力によって指定を受けているものと気付いた。
身に受けた力を即座に読み取れなかったことに衝撃を受けるが、今は、置いておくことにする。
身に触れる湯の感触が、なんだか変わったようだと気付いて少し進んだ後、彩玉亀の告知があり、先ほどと同じ、身を清める流れが通り過ぎた。
「今度はこちら。その枝から、湯が降ってくる。首から上の薬を流して、休むといい。次に進む時に、入湯室に進むと言うのだよ」
「分かった!」
応じると、亀は、たちまち小さくなって、残った桶を、中身をそのままに運び、この湯場の脇に寄った。
改めて周囲を見回すと、湯のある所には、体の大きさごとに通路があるのか、進行方向に向かって左手には、人よりも小さな生き物が居て、右手には、手前から順に大きくなるように、生物が分かれているようだった。
「カィン、薬、流しましたか?」
声を掛けられて、カィンは慌てて、ジャックスに答えた。
「あっ、いいや!すぐ浴びる!」
「後に、たくさん続いてるから、手早くした方が良さそうです。それに、ここまだ、入り口と言っていいところだと思うし」
「そうだな!」
ひとつひとつ見ていると、時間が掛かって仕方がない。
今、彼らが居るのは、本流の脇で流れのほとんどない水域だ。
本流との境辺りに島のような突起物があり、その手前では、生物がいくらか、休んでいるようだ。
岸沿いには、低めの木に似せた、ひとつの設置物から伸びた枝が並び、生物が下に来る度に湯を降らせている。
それが気に入ったのか、繰り返し浴びに来ているらしい個体も、いくらかある。
ルークたちの一団は、薬を洗い流すと、急いで先に進んだ。
このままの進度では、夕食が、かなり遅くなってしまう。
本流に戻ると、すぐに沐浴室の出口に到着した。
湯から上がって、彩玉亀に預けた桶を受け取り、いざ、入湯室へ。
扉を開けると、顔には涼しい風が、首から下には温かいと言える空気が、柔らかく肌に当たる。
「ふあ!」
気持ちよくて、ルークは思わず声を上げてしまい、ほかの者たちも、深呼吸する。
ルークたちの後から、人と同じくらいの大きさの、竜と呼んだ方が良さそうな生物が3頭続き、その後ろにも、別の生物…狼らしい生物が続く。
「気分は悪くなっていないかい?湯に浸かり過ぎてはいけないよ。適度に湯から上がって、楽しみ、休むんだ。じゃあ、行ってらっしゃい」
声の方を振り仰ぐと、扉横の壁の、高い位置にある窪みの中で、止まり木に佇む彩玉鳥が、一気に入室した一団を見下ろしていた。
「どの浴槽でもいいの!?」
「いいよ。ただし、大きな生物の近くでは注意してね。経験の浅い子には、特に注意するんだよ」
「わかった!ありがとう!」
「どういたしまして」
きちんと答えるのは、もしかすると、キリュウたち向けなのか、いや、そうでなくとも、子連れなどには、このくらいの丁寧さは必要だろう。
カィンは、はっと息を吸って、そうか…、と呟いた。
こんな違いを、持たせることが、ルークの行う事業では、必要な場合が多いのだ。
「すごく学ばされますね…」
「ヘっ!?なにっ!?」
勢いのある声に、そちらを見ると、ルークは瞳を輝かせて、溢れんばかりの好奇心を表す。
「あ、いえ。まずはどこに…いえ、それより、のぼせてはいませんか?暑いのでは?」
「あっ!でも!それより、入りたい!」
ミルが言った。
「じゃあ、低温湯を探して入りましょう。これだけ広大なんですから、温度の違いぐらい、ありそうです。あ、そうだ。彩玉鳥!案内してくれ!」
「私は扉番のリスクフル。案内が必要な者は、唱えなさい。案内鳥を求める、名乗り」
「僕が言う!案内鳥を求める!ルシェルト・クィン・レグナ!」
ピュイー!、と、湯煙の立つ緑の茂みの方から、鳥に近い鳴き声がして、緑色の多い鳥が飛んできた。
ルークの顔の前で、見せ掛けだけ、ゆっくりと翼を動かして、留まる。
「僕は案内鳥シッカ!よろしく、ルシェルト・クィン・レグナ!なんて呼ぼうか?」
「ルークって呼んで!シッカ、今回だけ?」
「分かった!ルークって呼ぶね!今回だけ?」
羽ばたきながら、器用に首を傾ける。
「えーと…」
ルークは、彩玉鳥相手に、会話が成立する範囲を考えた。
その間に過ぎた、時の長さに対応したようで、シッカが言った。
「ルーク!案内するよ!どんなところに行きたいの?」
「あ!ええと、低温湯!」
「低温湯!低温水の温水浴はこっち!」
「え?低温水の温水浴?」
「低温水は、氷が浮かんでるのと、温めてないのと、温めてるのがあるよ!温水浴は、温めてるのだよ!」
「ぶ!こ、氷?」
「氷水浴はこっち!」
「うわ!ちち違う!ええと、水!いや、温めてるのにして!」
「分かったよ!温水浴は、こっち!」
「は、はあ…」
思わず音を伴って息を吐き、尾羽を向けるシッカのあとに付いて行く。
シッカは、小さな声量で、ピルッ、ピルッ、ピリルルルッ、など、調子よく鳴く。
辺りの緑は、どうやら作り物で、けれども、さわさわと風に揺れる葉のような連なりは、耳に心地よい音を聞かせる。
シッカは、緑の間にある白く細い道の上を飛び、ルークの目線から胸の辺りまで、高低を適当に変える。
「何か意味でもあるのかな…」
呟くと、すぐ後ろを歩くカィンが、動きがある方が、注意しますねと言った。
「あんまり動かないと、目を離しちゃうじゃないですか。その辺り、子供向けなのかなって、俺は思うんですけど」
「子供向け…!」
「それに、生物の違いがあれば、理解力も、いや、理解の度合いですね。それが、かなり違うんじゃないでしょうか?なんて言うか、子供向けに分かりやすいのが、誤解や間違いを防ぎやすそうです」
「理解の度合い…」
「いや、範囲かな。理解の違い、て言うのが、合ってるのかも」
「ああ、そうだね。理解の違い…」
「そろそろだよ!」
シッカの声が掛かり、慌てて顔を向けると、すぐに視界が開けた。
「うわあっ!」
「すごい…!」
「はあ…」
少しだけ、役目を忘れてしまいながら、騎士たちも、ルークと感動を同じくする。
アルシュファイド王国のレシェルス区にある源流のひとつが、この場のように、円筒の岩棚の縁まで満たされた水によって、水の丸机が段々になっているのだが、それよりもずっと広大で、何より、そこに居る生物たちが、多様で、目を見張る。
「人だ、人だ!」
「人が来た!」
「あれが人?」
「そうよ。まだ子供がいるわね」
最後の言葉は、ちょっと引っ掛かります。
「え?あれ、子供って、もしかして僕のこと?」
「あー…、その、たぶん、俺とルークですね…」
まあ、異種族の判別では、体の大きさ、特に背の高さが基準となったのだろう。
ルークもカィンも、そろそろ背丈は止まる年齢だが、カィンは、日々の変化から、まだ、もうちょっと、成長しそうだと思っていた。
「あれ?今の口調、ここ、男湯じゃないの?」
ルークの気付きに、シッカが答えた。
「ここは男湯だよ!男湯に入るのは、男と、性別が無い生き物!」
「あ、性別が無い…」
ふと、ジャックスが呟いた。
「性の区別が無い…?」
ナッシュが、はあっ、と息を吸った。
「ちょっと待て!両方の性がある生物は!?」
大きな声に、答える声があった。
「そんな生きもんはいないはずだぞ」
よく通るその声に、振り返ると、ちょっと低い浴槽…と言うべきか、とにかく、湯の縁に両腕を掛けた、人によく似た姿をした者が、彼らの近くに寄って来ていた。
「まあ、入れ。泉ごとに熱さが違う。とは言っても、どれも低めのようだがな」
言われて、ルークたちは、その者の近くの湯の温度を確かめて、それぞれに入った。
ルークは、ちょっと寒いかなとは思ったが、なるべく、声を掛けてくれた、その彼、人ではないと判る人型の者に近い場所を選んだ。
「君、どういう生き物?種類かな…」
ルークの問いに、彼は答えた。
「私は木だ。むいの島の椋の木の実黒。枝人形だがな」
「え、ええと、むいの島、と言うと、ええと、むい、6?」
「カサルシエラの、むいの島さ。そんなことも知らぬとは、始まりの地の者ではないのか」
「ちちち違うよ!始まりの地って、アルシュファイドだよね!そっ、その、ちょっと、いろいろ、混乱、して、記憶が、曖昧に…」
「ふうん?まあいい。私は、この姿は、枝で作った人形なのさ。それ、お前たちが着ている衣のように、大気の中では、一定の水しか含まぬようにした枝だ。教えてやったら、大層喜んでくれた」
「え、と、誰に教えたの?」
「トーベリウムたちだ。人の子もいたぞ。騎士だったな。そう、ファルセットと言っていた」
「ヘ、ええ…」
カィンが会話に入った。
「君たち、そんな風に交流してるの?」
「ううん?まあ、そうだな。ミオトたちが、色々と作り出したから、ずっと様子を見ていたのだ。それで、ちょっと話を聞いてみただけさ」
「そうなんだ…。いろいろ、聞いたら、教えてくれる?」
「気が向けばな」
「あ、そっか。そうだね。そうだ!そう言えば、木とかは、単体で実を作るだろ?それって、両方の性があるってことじゃないの?なんて言うか、確か、植物には雌雄同株って、言うのが、あったと思うけど…」
「うーん?しゆう。どうしゅ。それはよく分からないが。花ならば、確かに、2種類咲くかな。しかし、枝先に咲く花が2種類あるからと言って、それらが実の本となるからと言って、人の男女の違いのように、両性を具有するとは、思えん」
「なるほど…。あ、じゃあ、人型で、両性を具有する見た目の者はいない、てこと?」
「うむ。枝人形を、そのように作れもするが、まあ、徒な生き物の交ぜ合わせは、気持ちが良くないからな、たぶん誰も、したがらないだろう」
「そうなんだ!教えてくれて、ありがとう!」
「うむ。お前、名はなんと言う」
「あ!俺、カィン!カィン・ロルト・クル・セスティオ!」
「ああっ!僕はルシェルト・クィン・レグナ!これでも、その、祭王なんだよ…」
「ん?さいおう…」
実黒は、遠い記憶を辿るように、じっとルークを見つめる。
「ルー…フェス。さいおう。双王の片割れ。祭事の要…!」
思い至ったように、突然に身を乗り出した。
「わあ!ははは!お前、ルーフェスの子か!気付かなかったぞ!そんなにも似ているのに!ああ、よく似ている!」
大声を聞いて、周りの生物が近寄ってきた。
「ルーフェスの子。ほんとう、そっくり」
「ちっこい。ちっこいわよ」
「ルーフェスはなんかこう、もっとこう、黒かったぞ」
「だからルーフェスじゃないんだろう」
小さな者、大きな者と近付き、じっくり顔を眺めて、匂いを嗅ぐ者もいる。
実黒が、両腕を挙げて、手首の先を前後に揺らした。
「これこれ、お前たち、驚いているじゃないか。えーと、なんだったか、ルー、…ト?なんか違うな」
「あっ、ルシェルトだよ!ルークって呼んで!」
「承知だ、ルーク。そっちは、カィン。ん?なんか、聞き覚えのあるのが交じってたような…」
「あっ、セスティオじゃない?セスティオ・グォードは、えーと、俺の、お爺さんたち…えっと、が、作ったんだって…」
そう言えば、2人のうちどちらか、両方かと考えて、語尾が怪しくなっていく。
「ん?いや、それじゃないな。そうか、セスティオの者か。それはそれとして、もう一度、名乗ってみよ」
「あ、はい。カィン・ロルト・クル・セスティオ」
「ぶは!おまえ、ヘパートの子か!それがお前、セスティオって!ヘパートとコルティリオが顔を歪めそうだな!」
「なに?なに?ヘパート?」
言いながら、泳いできた狼が、湯から飛び出して、実黒と同じ浴槽に入った。
「おお。ヘパートの裔らしいぞ。まだ幼いが、面影はある」
「へえー!ああ、ほんとう!ヘパートの子なら、きっとこんな感じね!」
親衛隊の者たちの名も聞くが、聞き覚えがあるようなないような、程度に認識されたようだった。
それにしても気になるのは、言葉遣いが女っぽいのが、ちょくちょく居ることだ。
あんまりにも気になるので、君は女の子?と聞いてみると、違うわよと答える。
「人と違って、見た目じゃわからないものね。でも、なんで女だと思ったのかしら」
「こ、言葉遣い…なんだけど…」
「へ?そうなの?人は女だけがこんな話し方?育ててくれた者たちは、男も女も、違いはなかったわよ?」
実黒が答えた。
「それはあれだ、子供に対して、柔らかな口調を選んだんだ。木たちは私のような言葉遣いだから、それを好む男が多くて、子に多く接する女は、お前のような言葉遣いで定着したのだ。種によっては、子育てを男女で変わりなく為るから、そういうのは、言葉遣いが同じになる」
「ふうーん!私も変えようかなあ…」
「まあ、そうしたいのなら」
「枝人形。枝を寄越せ」
その時、上空から声が降ってきて、実黒は、右腕を横に、まっすぐ伸ばした。
同時に、大きな影が静かに滑り込み、実黒の腕に大きな、ほかの鳥たちと比べて横幅が太めの鳥が止まった。
いや、それよりも気にするべきは、その頭部の大きさだろうか。
鳥にしては、大きい。
頭の先から足までの長さを見ても、10歳ぐらいの人の子程度の高さがありそうだった。
これほどとなると、大陸で確認される飛ぶ鳥の中でなら、最大級と言える。
緑色の羽毛が多い、その鳥は、ひたりと、迷いなくカィンに視線を定めると、よく見るように、頭を前に伸ばし、少しして戻した。
「俺は透虹石の梟イヒタール。ロルトを継ぐ者。話がしたい。なんとかしろ」
「ヘっ!と…」
耳元で聞こえる言葉に驚いたが、ロルト、の名を出されたことが、腹の奥の芯を硬くさせた。
「あ、わ、か…っ、分かった。あ、でもちょっと、待って。その…」
「分かった、待つ」
そう言葉が聞こえると、梟のイヒタールは、静かにその場に佇む様子だ。
「なんだ、イヒタール。話す彩石動物を持っていないのか」
実黒の言葉で気付いた。
多くの透虹石の鳥獣が、身に付いた異常彩石の処置などで王都中心地に集まったが、目覚めた郊外の、その場に居残った者たちも少なくはないはずなのだ。
声を持たない彼らのための発声器となる彩石動物は、黒檀塔に来た者たちには全員に渡したが、会ってもいない個体には、予備は、いくらかあるものの、すべて王城に保管しているので、今、この場にはない。
「あっ、透虹石、の…!そうか、黒檀塔に来なかったんだ!?」
カィンが叫ぶと、イヒタールは、ゆっくりと頷いた。
たった今、発した言葉は、風の力を多量に消費して作り出したのだろう。
「それなら僕、今、作るよ!任せて!」
ルークが言ってくれたが、彼らは今、彩石など持っていない。
「えっ?でも、彩石がないですよ、透虹石が」
「そうだ…ね!そうだ!彩玉で大丈夫なんじゃない!?いやまあ、ちゃんと形のある彩石の方がいいんだろうけど、今だけなら、問題ないよ!」
話しながら気付いて、作り始める。
以前に何度も繰り返した作業なので、壊れやすい彩玉を、土の力で保護すれば、さらに安心だ。
「……できた!透虹石のフクロウ…フクロウって、鳥って思えばいいの?」
言葉だけでも、術は発動するが、存在の認識の度合いは、術の効果の確立に影響する。
実黒が答えた。
「梟とは、真名では、こう書くのだ。高い木の天辺に止まって、夜の見張りをしてくれていた姿だ。紅月に浮かぶ影で、下の木が足に見えたのだ。高い所から周囲を見張る、翼持つ者という真名さ。イヒタールの名は、ほかの透虹石のと違って、必要量の彩石を小さくして、数を増やしてから食べていたことから、稲の穂の多くの実りの印、豊穣の印という吉事を示す言葉として、付けられた」
実黒は、空いている左の手の上に、梟の真名を示した。
枝人形の体の一部を変形させたのだ。
続けている必要はないので、人々がそれを視認すると、すぐに枝人形の一部として戻した。
「実黒とは知り合いなの?」
ルークは、答えられないイヒタールにも、一応、目を向けた。
すると、ゆっくりと頷いた。
その動作が、ルークの心を鷲掴みにした。
なるほど猛禽類!とか思うが、それは関係ない。
「そうとも。そう言えばお前、枝人形と言っていたな。私を実黒と知って来たのではないのか」
イヒタールは、ちょっと首を傾けて、実黒を見ると、目をゆっくりと瞬きさせる。
「くあっ!かわいい!」
感激の声を上げるルークを見て、首をちょこっと傾けたり、翼を動かしたり、羽毛を広げたりと、狙っているとしか思えない、かわいらしい動きを連発する。
「うーむ。こいつは喋らん分、動作で相手の反応、見るところがあるからな…」
え、それ、どうなのと思うが、カィンは、言葉を発する余裕はなく、ロルトの名に注目されたことに、まだ、気を取られていた。
亡くなった父の家の名を。
「はっ!そうだ!ええと、透虹石の梟イヒタールを代弁せよ。始動」
我に返って、起動の言葉をルークが発すると、作り出した彩玉鳥は、僅かに身動きしたが、それ以上の動作はしない。
「イヒタール、君の意思に従って動くはずだよ。取り敢えず、横に立つようにしたら」
ルークに言われて、イヒタールは、また、かわいらしく首を傾げる。
その直後、彩玉鳥が羽を広げて、緩く弧を描きながら、イヒタールの隣、実黒の腕に、人々に向き合う形で足を下ろした。
「世話を掛けたな、今代の祭王か。ルーク。ありがとう」
何度も経験したが、話し始めてくれる、この第一声を聞くと、ルークは感激に胸の奥が震える心地だ。
「うっ、うん!どういたしまして!」
「ふむ。さて、カィン。しばらく、お前を観察したいな。以前に、ヘパートと行動を共にしていたから、懐かしい。お前は、あいつとは違うけど、子供たちと離れてしまったことを、今でも後悔してるんだ。代わりにはならないが、強く、お前と居たいと、今、思うから。できないだろうか?」
「はっ。あっ、うっ、うん!い、一緒に…」
どきどきと、胸の鼓動が騒がしい。
どこか、レイネムやセイエンが、人を相棒としているのとは、違うけれど、でも、こうして、声を掛けられたことを、理屈なんて何もなく、嬉しいと、思う自分がいた。
「一緒に、俺も、居たい。ほんの短い間でも、嬉しいよ」
「では、よろしくな。しかし、ヘパートは大男だったからなあ。お前の肩には、乗れそうもない」
「ごっ、ごめん!ええと、じゃあ…」
「謝ることではないさ」
「あっ、うっ、うん…」
「それじゃ、その彩玉鳥を作り変えようよ!ちょっと借りていい?」
ルークの申し出に、では頼むと答えてから、イヒタールは、彩玉鳥をそちらに戻した。
「レイネムが使ってるのに似たので、いいと思うんだよね!止まり木の幅を、大体このぐらいかな、で、こんな感じ!尾羽は、短いね!まあ、シュティンベルクが特別長いのか…まあ、こんなで!乗ってみて!」
彩玉鳥は、すぐにその姿を変えられて、彩玉板の上に、実黒の腕と同じくらいの太さの止まり木を備えて、力の元である彩玉を内包する球を添えられた。
「あれ、板、余分じゃない?そのまま、乗っててね!これもう、止まり木だけでいいや!いや、横に小鳥を置いて、こう!自力で浮くけど、自分で飛びたい時は、木を掴んだまま移動すればいいよ!一応、思うように動くはずだよ!やってみて!」
そうして、具合を確かめ、微調整を済ませると、イヒタールは満足の頷きを見せた。
「ふむ!これならいい。ルークよ、ありがとうな」
「うん!どういたしまして!ああ、それにしても、いいなあ、カィン。僕も、仲良くしてくれる子が居ないかなあ…!」
「あっ!俺からも、ありがとうございます、ルーク…」
「うん!あ、そっか!カィンと居るなら、これからたくさん会えるね!」
「そうなのか。それは嬉しい」
「そういえば、イヒタール、君、なんでここにいるの?て言うか、いつの間にアルシュファイドから?」
カィンに応えて、イヒタールはそちらに顔を向けた。
「ふむ。橡の奴が訪ねてきた時に、風鳥の島が上空にあってな。連れて行ったついでに、こちらまで送ってきたのだ。あいつを置いて、すぐに帰ってもよかったんだが、何やら楽しそうなことをしているんで、あちこち見ていたところだ。さっきまで、あっちで水浴びしてたんだが、人の子が来たと聞こえてな。そのうち、ヘパートの名が出たから、来てみたんだ」
ルークは、先の報告で聞いていたことを思い出した。
「橡…!そうか、鳥が連れて来たって、君のことか!ありがとうね!彼…?橡が来てくれて、君が連れて来てくれて、助けられたと思うよ…!」
「ならいいな。しかしまあ、知己のことでもあるし、我らも、できることはしたかったのだ」
「そっか!懐かしい顔には、会えた!?」
「うむ。まだ、話していないのも、いるがな。見掛けただけで。まあ、御木には会えたし、ほかは、回っていると、切りがない。カィンと行ける時で、いいさ。お前は、そんなに自由な時間は、無いのだろう?」
顔を向けられて、カィンは、躊躇うように頷いた。
自分の都合に、本当に付き合ってもらえるのだろうかと、不安が浮かび上がる。
「あ、うん…。いいのか?」
「まだ、今のアルシュファイドの様子も見ていないからな。そんなに、心配そうな顔をするなよ」
ふふっと、吐く息が笑っているようだ。
なんだか、恥ずかしい。
そこへ、そっと割り込む声があった。
ナッシュだ。
「あ、あの、そろそろ、温かい湯に移った方が…寒くないですか」
温水浴と言っても、生物によって、体温との差が違う。
それなりに高い温度の湯もあるのだが、確かに、そろそろ、今より温かな湯で、温まった方が良さそうだった。
そうであるならば、低めの湯が多くなっている、この場で、高めの湯を探し回るよりも、高めの湯が多い場所に移った方が、今の体調に合った湯を、探しやすくなるはずだ。
「あっ、そうだね!ごめん、僕たち、そろそろ行くよ!また、会いたいなあ!かなり、遅くなりそうだけど…!」
「うーん。そうだな。子は、あまり長くは、生きないから。しかしまあ、楽しみにするぐらいは、よかろう」
実黒に応えて頷き、ルークは笑顔で言った。
「うん!じゃあ、またね!」
「ああ、またな」
そうして、彼らをその場に残して、シッカに案内してもらい、ルークたちは高温の湯が多い区画に移動した。
見掛けは、先ほどの低温水同様、円筒の縁まで満たされた湯によって、湯の丸机が段々になっており、シッカの説明によれば、ここは、すべて温めた湯で、最上部が最も熱い、沸騰直前の湯、下段に行くごとに、温度が下がっていくそうだ。
よく見ると、流れが、上の段から落ちるものと、横の樋から注ぎ込むものがあり、確かめると、樋に流れるのは、温めていないらしい水だった。
湯は、上から落ちるもののほかに、底面の中央から湧き出しており、量としては、そちらが多い。
樋の水を塞き止めるなどで、いくらか温度を調節できるわけだ。
この、樋からの流れの部分で低い温度が溶け込んでくるので、体温が上がり過ぎたかという時には、湯から上がって縁に座る以外に、湯の中で位置を移動して、低温の流れに入っていくこともできる。
この樋と仕掛けは、先ほどの低温水の集まりには、なかったものだ。
熱い湯の飛沫などが掛からないようにだろう、上段に接する部分には木の葉の緑色の茂みが高く、かなり多めに水が飛んでも、守られそうだ。
先ほどには、気になったものの、詳しく調べていなかったのだが、用心のために、今度はきちんと確かめると、上部からの指定以外の存在の移動は、完全に阻む障壁だった。
カィンには詳細は判らないのだが、湯の動きを見た限りでは、飛沫は空中に叩き付けられて、真下に落ちて同じ湯に戻るし、縁から落ちる湯を増やそうとしても、一定の高さ以上には溢れないらしく、落ちる湯量に変化はないようだ。
「これ、たぶん、お爺さん…ミオトさんじゃないかな…すごい…」
カィンの呟きに、湯に体を休めながら、ルークはそちらを見る。
「すごい?」
「ええ。力は、いくらか、乱れ…みたいなものがあって、操作自体は、やっぱり、基礎修練をした方が良さそうなんですけどね。組まれた術が、堅固だって、判ります。ほかと比べたら、全然、読み解けない…」
「ふうん…ほか」
「ええ、ほかの、土の宮が関わっている術ですよ。たぶん、あっちは、努めて簡素に作ってるんですよ。だから、継続が簡単だけど、術語を書き換えようと思ったら、それなりに力量は必要ですけど、技術としては難しくない。こっちは、悪用に備えてだろうけど、すごく複雑。もちろん、指定自体の複雑さもあるんですけどね…」
興味本位で触れると、きっと怪我もする。
思わず、ルークの気分のまま飛び出してきてしまったけれど、とても得るものの大きな遠出となった。
ルークは、だからと言って、自分の行いを正当とは思わなかったけれど、それでも、来てよかったな、と、呟きそうになる口を、湯の下に急いで沈めた。
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