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―夜明け方―
空が白む。
陽はまだ、海面の下だろう。
陽が海中にあるとは考えられないから、世界の縁の向こうには、陽と月が世界を一周するための空間があるのかもしれない。
夜の空の深さを見るに、星たちも含めた、それらは、予測も付けられないほどに、ずっと遠くにある存在なのかもしれない。
そんな思い付きを頭に浮かべて、そろそろ支度をしようと、振り返った。
この時間まで勤務だと言うアニースと、その肩に乗る鷦のチェーリッシに、声を掛けようとした瞬間、彼女たちのいる暴露甲板の近くが騒がしくなった。
どうやら、会合用の浮遊艇だと、気になったので、そちらに向かう。
ジュールズたちが、どこかから戻ったことには気付いていたが、今朝は大浴場に行く約束があったので、挨拶は後にしようと思っていたのだ。
早々に決めたことを覆すことになってしまったが、まだ、5時前なので、間に合わなければ、6時の組と共に出ればいい。
船の方から見ると、会合場の横に、移動用の浮遊艇が繋がっていて、そこから、ぞろぞろっと様々な種の者たちが降りてくる。
そのなかに、キリュウたちよりも小さな人影を見て、ミナは目を大きくした。
枝人形だと見分けはしたが、どうも、橡が使い勝手の都合で変える大きさの調整ではなく、未成熟な印象を持った。
そう、短い髪の子の、落ち着きの無い挙動からだ。
ミナは、大声を上げかけた口に、ぱしっと、音を立てて蓋をしてから、呼吸を宥めた。
それから、急いで移動すると、彼らが入ろうとする会合場に、自分も踏み入れる。
「あ、ミナ!おはよう!ちょうどよかった!」
ジュールズが笑顔で手を振る。
ミナは、それに笑顔で応えて、近付くと、なんとなく先頭にされた、2体の枝人形の前に腰を落とした。
「おはよう。私はミナ。ミナ・イエヤ・ハイデルと言います。彩石判定師なの。ミナって呼んで。あなたたちのことは、なんて呼んだらいいかな?」
「私は深葉」
「あっ。ぼくは、浅葉」
「ん!深い葉の色と、浅い葉の色?」
「ええ、そうよ」
「おまえ、なに?」
ジュールズが横から、顔を突き出した。
「デュッカの、連れ合いだ!」
デュッカが、素早くミナの横に並んで、片膝をついた。
「俺の連れ合いだ。この、ミナの、体を、整えてやってほしいんだ」
ミナは、驚いてデュッカを見た。
デュッカは、彼女と目を合わせて、頷く。
「橡が、前に、やってくれたことだ。教わって、してくれる」
デュッカは、自分に近い方のミナの腕を、ぎゅっと、掴んだ。
「お前には必要なことだ。だから、彼らの都合と考え合わせて、橡が、こうするといいと、言ってくれた。まだ若い彼らには、根と枝を伸ばす場所が必要で、イエヤ邸の子供たちと接することは、学びとなるだろう」
深葉と浅葉の後ろから、橡が覗き込んでくる。
「ミナよ。係る整えは気にせず、甘えてくれ。この子らは、こんな形だが、ちゃんと自分の意思を定められる程度には、生きている。まずは、聞いてみてくれ。この子たちの答えを」
ミナは、心を乱しながらも、自分が、今、しなければならないことを、掴もうとした。
「あ、の…。ふたり、私を、助けてくれる…のかな?」
浅葉が、窺うように深葉を見るのが分かった。
やはり、先に口を開いたのは、深葉だった。
「あなたはまだ、詳しく聞いていないみたいだけど、私たちが聞いたところでは、扱いは、そう悪くないように思う。私たち、別の場所に根を張ってはどうだと言われていて、浅葉は怖がってたけど、私は、違う景色を見てみたかった。こういうの、好都合と、言うのでしょ。私たち、これから行くところが嫌だったら、別の場所を探すわ。だから、まず、あなたたちの家を、見ようと思っているの。あなたのことは、嫌じゃないわ。橡の技術を教わることも、してみたい。まずは、あなたを助けることができるか、試させて」
「あ…」
「お前は、ぼくに助けて欲しいのか?」
浅葉が、そっとミナの様子を窺うようだ。
ミナは、自分の執るべき態度、というものが、判らなかった。
判らないけれど、自分に必要なことは、理解したと思う。
慎重に考えるべきことだと、そんな考えが確かに過る。
でも、今、掴まなければ。
何よりも、この、小さな子たちを、一時でも、一瞬でも、困惑させることは、したくない…!
「あっ、の、私ね、私…」
でも、どうしよう。
言葉が出ない。
代わりみたいに、涙が出る。
「っ、、たす、けて、欲しい…っ」
顔を伏せて、奥歯を噛み締めた。
やっぱり、まだだめだ。
心がこんなにも、不安定。
ちょっとしたことで、感情が乱れる。
体を固くするなか、さわ、と、誰かが額の髪を触った。
「何を、そう思い詰めているの」
どこか、呆れたような声は、深葉だと、聞き分けた。
顔を上げると、目に滲む涙を、ぐいぐい指で拭う。
「ふうん。確かに、そんな状態では、辛そうね」
「ふ、深葉、泣かせたの、ぼく、泣かせた?」
浅葉の言葉に、ミナは慌てた。
「あっ!ちっ!違うよ!こっ、これは、泣いてるんじゃなくてあの、あ、あの、感情が、ぐっ、ぐちゃぐちゃで、勝手に出てくると言うか…」
あわあわとした自分の大声に、驚いている浅葉を前にして、言い訳のひとつも出せないでいると、彼は言った。
「勝手に出てくるのは、なんか、わかるかも…」
気遣われているのだ。
そう思う。
確かに、共感、ということではあるのだろうけれど、小さな子に気遣われた自分を情けなく思う。
そんなミナをよそに、目の前の、ふたりは、どこか気を良くしたような、感じ。
「元気出して!ミナ!なんかわかんないけど!大丈夫だよ!」
突然、浅葉がそう、励ましてくれた。
「えっ。あっ。ありがとう…浅葉」
気を呑まれながら返事をすると、浅葉は、ぷあっと、口を広げて、そのまま、あわあわと動かした。
隣の深葉が、あとを継ぐ。
「ミナ。助けてあげる。まだできないけど、努力するから。浅葉に、お礼、言ってくれて、ありがと。この子、そんな経験、あんまりないから、嬉しいのよ」
「フっ!深葉!」
「なによ、そうなんでしょ。それはそうと、これからどうするの?私たちをどこに置いてくれるの?まあ、ここでいいけど」
「え?置く?」
「ええ、そうよ。だって、これはただの枝。本体は、それ。後ろ」
はっとして、目を上げると、まだ細いけれど、それなりに背の高い木が、2本、浮いているようだ。
ジュールズが答えた。
「おっ。そうだなあ…。鉢に入れてるから、そっちの庭でもいいけど、ああ、セイエンたち用の、バルタ クィナールに、くっ付けてる寝所に置いたら?寝所だから、静かだぞ」
「ん。まあ、そうね…。賑やかなところもいいけど、どうせ私、この姿で歩き回るし!案内して!そして運んで!」
どこか命じ慣れている感じが、橡に似ているようで、汗が出てしまうジュールズだ。
とにかく、必要なことを、やってしまわなければならない。
「はい、はい、お姫様。そんじゃ、ミナ、詳しいことは、また後で。帰国してからでもいいぐらいだし。浴場に行くんだろ?」
「あ、うん…」
「え、なあに、出掛けるの?すぐ?ちょっと待てない?私も行く!」
「あ、ええと…」
時計を見ようと、ミナが手首に目を落とすと、アニースの声がした。
「大丈夫だよ!支度ができたら、こっちに戻っといで!私は、アニース!騎士の1人さ!詳しい挨拶は、またあとで!」
「あ、分かったわ。じゃあ、また後で!アニース、ミナ!」
小走りでジュールズを急かす深葉と、それについて行く浅葉を見送って、なんとなく立ち上がっていたミナは、顔を正面に戻す。
そこには、橡が立っていて、ちょっと驚いた。
「ふふっ。ちょっと、じっとしてごらん」
笑い声は、ミナの驚いた顔が、間が抜けていて可笑しく思ったからだろう。
ちょっと恥ずかしくて、赤くなりながら、じっと静止する。
力の流れが、整えられて、気持ちの乱れも、宥められた気がした。
「ありがとう…」
「どういたしまして。では、私の預かり子を頼むよ、ミナ。そしてデュッカ。君たちに会いに行く口実ができて嬉しい」
やさしい、やさしい、始まりの木。
最初に実を分けてくれた、その行為が、アルシュファイド王国を作った。
それぞれに必要な、そこにあるものを、分ける行為。
身を削るのではなく、ただ、分けられるものがあるから、分けて、与えた。
それが結果として、多くの、姿の違う、存在の違う者たちを、助けた。
自己の存在だけでは、それを保てない、神々に作られた者たち。
ほかからの助けが必要な者たちのため、国という枠組みを必要とした、その、基となる、心持。
やさしさが胸に沁みて。
またちょっとだけ、涙が滲んだ。
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