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―明か時―
大浴場の玄関前で合流したバルタ クィナールの面々と、客船ヴィサイアの面々は、その扉を前にして、男女に分かれる。
「さあ!行きますよ!不都合を教えてね!大きなところは、あとで変えるけど、細かいところは、調整するわ!」
張り切って声を上げるのは、ミナの義理の祖母、アマリアだ。
「協力してあげる!」
「協力するわー」
「協力ね!文句を付けるのも、協力ね!」
こちらに来た、鷦のチェーリッシとメリダとモーリンテイラーの言葉に、なるほどそうか、文句を付ければいいんだなと、後ろの者たちが頷いていく。
「そ、それは…」
小声で呟くミナだけれど、楽しいから、まあよい。
早速、玄関から入ると、ちょっとした広場になっていて、壁際に、湾曲して設置した、背凭れのない腰掛け場がある。
「ここは待ち合わせとか、入浴後のことを打ち合わせる場所ね。毛の深い者とか、服を必要とする者とか、分かれるから、合流地点を話し合うわ。今日のところは、まとまって動きましょ!それじゃ、私たちは、こっちね!」
「あ、ちょっと待ってください。なんか、中、広そうだし、合流するための配置図ぐらいは、要所で見られるといいんですけど…」
「あらっ!それもそうね?でもそれ、難しそうね…」
「あ、じゃあ、簡単に、ええと、誰か、土、貸してくれない?」
「私が!」
近くにいたラグラが手を上げて、足元に黒色の板を作り、すぐに考えを変えて、それをそのまま、支柱の位置の具合を確かめながら持ち上げた。
そこに、アニースが指示を出す。
「ちょっと待った、高さはそこで止めてくれ。えっと、誰か土の、腰掛け作って欲しいんだ、後ろから覗けるといいだろ、多いから」
「そうですね!私やります!」
テナが勢いよく片腕を差し上げて、一目で腰掛けの位置取りを決めてしまうと、ちょっと下がって、とか、ちょっと前に、と、集まる者たちを促しながら、中央を覗き込む者たちに、段差を作った。
「アマリア、女湯の大体の形は、半月状ですか?」
「ああ、ええ、ちょうど中央を分ける端が、南のここ。東西南北の方角を定めてから作ったのよ。そうそう、綺麗な半月で大丈夫よ」
話を聞きながら、ラグラは、円形で薄い茶色に変えた机を土台とすることに決め、その上の中央に、半月状の、人の目に眩しくない程度に黒色を混ぜた白い板を作った。
「ここは入口だけど、隣は出口の広間よ。更衣室の出入口が、4ヵ所にあって、外向きには、入口と出口に開いてるわけ。そこの扉が、ふたつに分かれてるのは、更衣室に入る者と、服を替えずに、汚れを軽く流す沐浴室に入る通路ね」
沐浴室は、入口と出口とに分かれているので、かなり横幅が広い。
ラグラは、アマリアが指で示す辺りをなぞって、黒色の線を描いていった。
「体の大きい子とか、鳥たちとかに合わせて、空間は天地にも、結構、広げているのよ。大まかには、そうね、沐浴室の向こうは、涼むための場所で、茂みが覆っているの。その茂みを割って、道を通してる。低温水浴と高温水浴があるから、両方の風を混ぜて、この涼み場に、湿気を適当に除いて、流しているの。まあ、この涼み場では、合流は難しいわ。入湯するところが、中央の広い区画ね。氷が浮くぐらい冷たいのから、沸騰直前までの湯があるわ。西から、氷水浴、温めてない玉水浴、温水浴、高温水浴となっているわ。で、その奥が、休憩場で、ここでなら広く見通せるから、合流しやすいし、出口の沐浴室に向かうのに、1本道があるわ。この休憩場の向こうは、遊楽区画ね。手前に液体ではない温冷浴の個室があるの。地下空間が広いのは、ここね。地上階は大体、人の大きさに合わせた出っ張りになってて、廊下側から気温の違いを確かめて、入るのよ。で、その外では、奥の方、北の方ね、そっちに、水温が違う川が流れてて、更に奥の、西の壁際は、行き来はできないけど、男性と待ち合わせて、会話しながら同じ湯を楽しめるわ」
「え!?」
思わずミナが声を上げると、大丈夫よおと、アマリアが片手を前後に揺らす。
「交わせるのは、言葉だけ。姿は見えないわよ。案内鳥で会話できるから、前後する時間に到着できるし、互いに見えないけど、衝立越しに会話するのって、ちょっと、どきどきしちゃうでしょ!ふふ!」
「そ、それは…」
「多人数用もあるけど、ふたりだけとかも、家族だけとかも、作ったからね!そういう交流も、してみたいから!」
「うっ!………」
伸し掛かる義理の繋がり。
求められておきながら、そのような交流を認めないのは、相手の、親しみたい気持ちを、否定したり、無いものとしたり、向き合わない不誠実と捉えられても仕方がない。
また、付き合いの上で、配慮に欠けると言われても、反論できない未熟さを露呈してしまう。
返答に窮していると、同じく義理の繋がりとなるヒュテリナが、まあまあ、と割って入った。
「それは、追い追いね。ほら、アマリア、イエヤ邸の娘たちもいるし」
「あら!そうだわ!でも、来てもらえるかしら?」
確かに、それは無理そうだ。
ミナは、慌てて頭を捻り、解決策を絞り出す。
「あっ、あの、イエヤ邸にも、大きな浴場はありますから、結構、使ってますし…」
「うーん。まあ、そうねえ…。でも、どきどきが…」
「ほら、ほら、話を進める!いつまでたっても、湯に入れないじゃないの!」
ヒュテリナの言葉に、深葉が、我に返ったように声を上げた。
「そうだわ、このまま聞きたい気もするけど、早く入りたい」
「あら!そうね!浴室としては、こんなところよ。あとは外縁に休憩場が、ちょっとと、出口の沐浴室から、水を落として、更衣室か出口の通路に出て、更衣室からは入口にも戻れるけど、外縁に沿ってる出口の待合広場に出ると、飲料用の水を置いてるし、上の階層に男性と待ち合わせできる広場があるからね、そっちに上がって、そこでちょっと飲み物を口にしたりで、帰る時間を合わせられるわ。まあ、こんなで、移動が、かなり大変だから、浮遊籠も用意したわよ」
「あ、では、案内鳥と、浮遊籠の使い方を示すぐらいは、あると良さそうです。それはまた、そうだ、アマリア、力を貸してもらえませんか」
「ええ?力を貸す?」
「はい。風の力を発してもらえたら、あとは私の方で、調整します。あの、気分が良くないかもしれません…」
ちゃんと口で説明すれば、出来るのかもしれないが、不具合が多いだろうことは、その異能を見れば、ミナには明らかだった。
拒否される、そんな不安と、受け入れられない、奥底からの忌避に遭う予感。
ミナの表情から、そこまでを察するのは無理としても、やはり長く生きた、彼女は、他者の心を酌む、風の者だった。
アマリアが、そっと身を寄せて、ミナの、届く方の手を包んだ。
顔を上げると、年長の者の、包み込む心の豊かさが見えた。
「どんなことをするのか、教えてちょうだい」
快活なアマリアらしい、同時に、年上の家族の、やさしい声が求める。
ミナは、ほっと表情を柔らかくして、頷いた。
「はい。では、鳥にしましょう。胸の奥に彩玉を留めます。口真似をする、鸚鵡がいいかな。覚えて、求める時に、繰り返してくれます。復唱。記憶を辿る助けとなれ、録音鳥ペパー。名乗り」
「記憶を辿る助けとなれ、録音鳥ペパー。アマリア・ルゥト・イエヤ」
術語を終えると、緑色の多い、触ることのできる羽を持つ鸚鵡に似た鳥が、形作られた。
ペパーと言うのは、人真似で喋る鳥の個体名として知られる。
アルシュファイド国民には馴染み深い伝え話だ。
彼らにとって、有名な鸚鵡で、古い時代に政王の恋を助けたとされている。
そのため、この、彩玉鳥を形作るための意識を確立し、力を整えるには、よい名となった。
「まあ、まあ!こんなこと、私、したことないわ!ちょっと試してみてもいい?」
「はい。ただ、録音できるのは、あとで必要だと、発言者が思う言葉だけです」
「ああ!先ほどの力は、そのような形になっていたのね!言葉にできないけれど、明確な指定があったから、戸惑ったのだけど、すごく綺麗にまとめられたわ!」
「それが、小さな力量の者と、力を合わせることの、利点です。とにかく、試してみましょう。この施設の設備に関する、利用者への説明です」
「そうね!施設設備の説明をしたいわ!」
「再生しましょう。ペパー、繰り返し、利用者に対して」
録音鳥ペパーは、間を置かず繰り返した。
「ペパー、繰り返し。この施設の設備に関する、利用者への説明です。ペパー、繰り返し。そうね!施設設備の説明をしたいわ!」
ペパー、繰り返し、という言葉と、ほかの言葉では、全く声が違い、ペパーの声と、ミナの声と、アマリアの声として聞こえた。
「うん。ちょっと面倒もありそうですが、こんな感じです」
「発言者ごとに分かれているの?」
「いいえ、内容に向ける気持ちの違いです。今のは、施設設備の利用者に対して、なんらかの気持ち、意図を持った発言であることが、再生の条件でした。言葉を発するときには、内容に対する気持ちが、少なからず生じますからね。再生条件は、あとでも整えられます。今は、思い付くままに、聞かせましょう」
「分かったわ!それじゃ皆さん、行きましょうか!」
アマリアの声に促されて、それまでの見慣れない作業を、感動を持って眺めていた者たちは、気持ちを、大浴場への期待に向けた。
更衣室と直通路での分かれ道に向き合うと、布とは違うものを身に纏う者たちに目が向いた。
例えば、深葉が身に纏う衣は、枝の、言ってみれば葉の部分だ。
ここで、枝人形の体の一部として取り込んで、後で再び作り出すこともできる。
「それなら、深葉は、服の無い者たちと同じ入口でもいいけど、そうだ、人と一緒に浴室に入る機会があるだろうから、一緒に更衣室に入ろうよ。外見の変化を、ここで作ったら?」
ミナの提案に、深葉は、考えるように顔を上向けた。
「うーん。まあ、人の生活は、知っておきたいかしら」
「じゃ、こっち、一緒ね」
鷦のチェーリッシなど、服は無くとも同行する鳥獣がいたりで、それぞれ別の扉から入ると、ミナたち、人は、服を着替え、服のようなもので身を覆う者などは、一部はそのまま、ほかは、人と同じ浴衣を纏った。
服を着替えた分、遅れた者たちが沐浴室に入ると、先に湯に入る者たちが、彩玉亀の1頭ずつに案内されているようだ。
「ここは、基本的には、温度は同じなのよ。ただ体の大きさに分けているだけ。寒いから、浸かりましょ」
湯の中に歩を進めると、それぞれに、1頭ずつ、黒い彩玉亀が顔を出し、案内を始めた。
鳥たち、空中を飛ぶ者には、鳥の案内が付き、同行していたチェーリッシは、アニースに別行動すると告げたらしく、頷き合うと、案内鳥と、ほかの同行の鳥たちとともに、飛び立って行ってしまった。
「自分の周りにある湯だけ、個々の体温に応じて変化するのよ。種の違いで括るより、術語を組み立てるのが簡単だったわ。彩玉を彩石の代わりにすることとか、あの子、ファルセット、すごく機転が利くわよね!」
大事な子の1人なので、褒められると、嬉しくなる。
にっこり笑みを浮かべるミナを、テナが、何か言いたそうに見た。
会話をする余裕があったのは、ここまでで、体に触れる湯の変化や、頭の上から降る湯など、個々で状況に対応する。
沐浴の最後の行程として、岸に並ぶ枝から、薬を流すための湯を受けると、腰を落ち着けられる場所を見付けて、同伴者を待ちながら、小休止の時間を取った。
「湯を浴びるって、気持ちがいいのね!」
枝人形の気持ち良さは、共感できるものではないのだろうが、喜んでくれているのは、嬉しい。
「そうだ!イエヤ邸の湯も、ちょっと工夫しないと!」
今更気付いて、ミナは、後でデュッカに、イエヤ邸への伝達を頼もうと心に留めた。
これまでは、獣の数が少なかったので、体表の付着物の違いに配慮して、適当な浴槽を、その都度作っていたのだが、家族としての鳥獣が増えたことだし、今後の客にも対応しなければならないだろう。
「折角だから、中の離れも使い方を考えよう。子供だけとか、うん。そうだ!中の離れを整えてから、イエヤ邸を改築してもらおう!」
はっきり聞こえる一人言を呟くミナを見て、深葉は、その様子を観察する。
接したことがないので、人の表情は、よく分からないけれど、土、風、水、火の、よっつの要素を、自分に扱える存在として捉える深葉たちは、その気になれば、僅かな体温の上昇や、胸の響きも知覚できる。
その温かな血の、流れも。
「………なんだか、嬉しそうね」
総合的な判断なので、明確に理由を語れはしないのだけど、強いて言うならば、そのように感じた。
言われたミナは、幸せに頬を緩ませて、笑った。
「うん!嬉しい!楽しい!そして、楽しみだなあ!どんなことが、できるか、あるか!」
ほんとうに、喜んでいる。
それは判るけれど、同時に、異能の乱れ、いや、身体の乱れに引き摺られて、異能が乱れているのも見分けられた。
「興奮…、と言うもの、かしら…」
深葉と浅葉は、同じ木たちだけでなく、周囲の生物から、様々な事柄を教わったので、言葉の構成や、意味、真名など、口伝や文字によって、知ってはいるけれど、実際の状態、というものは、見聞きした経験が少ないのだ。
深葉の言葉の意味を理解しかねて、ミナは、戸惑うような、問い掛けるような表情だ。
その頬の赤みが、濃いように見える。
「あなた、大丈夫?」
「え?」
そのとき、いつの間にか近寄って来ていた彩玉亀の1頭が、ミナの前に進み出て、発言した。
「あなた、湯から出るといい。入湯室に進みましょう。承諾してもらえるか」
「あ、え、えと…」
「ミナ、先に進もう。そちらで待つ方が良さそうだ」
近くにいたアニースに声を掛けられて、ミナは、素早く同伴者たちの様子を確認すると、頷いた。
「分かった。深葉も行かない?」
「ああ、そうね。行くわ」
留まる理由がなかったので、先に彩玉亀に言われていた通り、入湯室に進む、と言うと、脇に退いていた彩玉亀たちが、言った者の数だけ寄ってきた。
手荷物を入れた桶に違いがないので、最初に触れた時に、対応する者を特定したのだろう。
彩玉亀に連れられて湯の中を流れていくと、すぐに終点に着いたので、手荷物を回収し、入湯室への扉を開けた。
心地よい風が吹いて、ミナは、自分の不調を自覚した。
「あ、そういうこと…。深葉、ありがとうね。察しが悪くて、ごめん」
「ん。いいけど…。自分のことなのに、そんなに判らないものなの?」
「うっ…」
代わりのように、アニースが言った。
「不調の自覚があるのに無理を押してるから、健康の境界が曖昧になってるんだ。ミナの基準は、作業が出来るか出来ないか。出来なきゃ休むが、出来る時は、不調だと、言わない。言わない理由が判るから、強く求められない。私らは、ミナの周囲から危険を退けることはできるが、ミナ自身が抱え込もうとするものには、手出し出来ない。苦労のすべてが、ミナにとっての悪しきものではないってことも、取捨選択を難しくさせてる」
「………」
謝罪が口から出そうになるが、言ってもよい、という判別が、付かなかった。
ミナは、視線を落として、手荷物を入れた桶を見つめる。
「ふうん。なかなかの困った子なのね」
深葉がそう言って、呆気に取られるミナたちを余所に、辺りを見回す。
「ねえ、ミナは、ちょっと、湯から離れてた方がいいんでしょ?なんか、涼み場?とか言うの、そこじゃないの?」
アニースが我に返って、頷いた。
「あ、ああ、そうだったな、確か」
「なに?反応、鈍いわね。アマリア!私たち、ちょっと涼み場の様子を見たいわ」
「そう?私は低温湯に行くわ。じゃあ、案内鳥を付けるといいわね。術語は、案内鳥を求める、名乗りよ」
「案内鳥を求める、深葉」
「案内鳥を求める、アニーステラ・キャル」
鳥の声が、それぞれに応えて、本体が現れる。
「ラグラも付けた方がいい。ん、聞き逃した、案内鳥、名は?」
「僕はベッカ!アニーステラ・キャル、なんて呼ぼうか?」
「アニースにしとくれ」
「分かった!アニースって呼ぶね!案内するよ!どんなところに行きたいの?」
「4人で涼み場を利用したい。楽に座れる椅子のある所に案内してくれ」
「あら、ちょっと待って!ラディが、少し具合が悪いみたい。私も、ちょっと涼みたいし、一緒に行くわ」
ラディとは、選別師パラディナ・メンデルの通称だ。
看護師ノーマの声に、周囲の観察をしていたテナが寄ってきた。
「それじゃ、みんなで…」
「あら、あなたは、大丈夫そうだもの。分かれすぎてもいけないけど、二手ぐらいは、分かれた方がいいわ。勤務のことは置いといて、今は、涼みたい者だけ、行きましょう」
勤務のこととは、護衛の騎士たちのことだ。
彼女たちは、さっと互いの顔を見て、分かれ方を決めたようだった。
その様子を見て、ノーマが言った。
「今は体調を崩せませんからね。冷えているほどでなくても、暑いぐらいに思ってないなら、湯に入りなさいね」
強めの忠告に、再び顔を見合わせる騎士たち。
アニースが、くすっと笑い声を漏らした。
「この程度は任せてくれ。休みなりに、騎士の本分は、持ってるだろう?」
「はい。テナ、行きましょう」
カチェットの促しから、同じ警護隊のキャサリナとリスル・リートがテナたちに同行し、支援隊騎士班の者たちは、瞬時には決めかねたが、最も答えを出すのが早かったマリーが、口を開いた。
「私は、ノーマと行くわ。体の方は保護してでも、騎士班の誰も、もう一方を知らないのは、動き難いもの」
アニースは、その判断を支持することにした。
「そうだね、マリー。合流してから、役割を交替すればいい。今は、楽な方を選んだら」
後半は、マリー以外の者に向けたものだ。
彼女たちは頷き、それじゃあ、あとでと、分かれていった。
ミナたちの方は、もう1人、ヒュテリナが加わって、アニースは、答えを待っていたベッカに向けて、8人だと訂正した。
「分かったよ!8人で、楽に座れる椅子があるのは、こちら!」
ベッカは、アニースの前で尾羽を見せると、上下に高さを変えながら、前方に進む。
手近な茂みに近付くと、大人が1人通る幅で、白い道が足元に現れた。
「せっかく出したけど、案内の必要ないわね」
深葉に応えて、彼女の案内鳥ピックが、ピィッ、と鳴いた。
「案内鳥は、道案内と、位置案内と、設備案内をするよ!」
「え、道案内と」
「ピュイッ!ここだよ!」
思いの外、目的地は近く、道の終わりは開けた空間で、頭上も含めて辺りを見回すと、作り物の枝に覆われて、見える天井に覗く空が見えるほかは、やはり作り物の木のような幹の連なりと、枝葉の重なりしかないようだ。
さわさわと風が通る音が絶え間なく、頬に当たる風は、ひんやりとしているが、首から下は、いくらか温かさを感じるようだ。
「ちょっとした個室だねえ!」
環境を確認して、アニースが声を上げる。
「ふうーん。なんだか、生まれた森と変わらないけど。これも椅子というものなのね?」
深葉は、周囲の木々など、作り物だろうと、見慣れた景色に興味は持てなかった。
そんなものより、人の体を休めるための椅子の形が、興味深い。
そこには、形状の違う椅子が、適度に間を空けて置いてあった。
「そうね。体を、大きく傾けて、全体を預けられるのなんかは、特に、寝椅子って、言うわね。これとか、そっちのも、形状は違うけど、ほとんど寝転ぶように出来るでしょう」
ミナの説明を聞きながら、感触を確かめて、寝椅子のひとつに体を預ける。
「ふーん。ちょっと硬い感じ」
「ほんとね。そっちは、軟らかめみたい。ラディは…」
振り向くと、ノーマに勧められて、近くの椅子に座っている。
「あなたも座りなさいな、まずは自分のことを考えなさい」
深葉に言われて、ミナは、少し戸惑いもあるが、尤もだと思えたので、自分の近くの、肌触りが柔らかい椅子に座り、感触を確かめながら、体を預けた。
「ナック、ここで使える設備を教えて」
ラグラの声に、そちらを見ると、彼女の声に応えて、案内鳥が説明を始めていた。
「分かったよ!ここで使える設備は、椅子と、飲料設備と、湯上げ布と、手拭いと、枕だよ!真ん中の腰掛けの丸いところから出せるよ!」
ラグラは、早速、この広場の中央に設置してある、大人1人の身長ぐらいはありそうな直径の丸机を背にして、座面を下げ、椅子の形としている多人数用の腰掛けに近付いた。
「ナック、飲料設備を使うには、どうすればいいの?」
「僕が動かすよ!使用開始、飲料設備!」
案内鳥ナックの言葉が終わると、丸机は、手の長さ程度の外縁を残して、内側だけが、ぐるりと回転し、ラグラの横にいるナックの前で、3分の1ほどの扇形となって、突き出るように上昇してきた。
高めに立ち上がった弧を描く側面に、色違いの箇所があり、窪みに指を引っ掛けて右側に引くと、戸が開いた。
戸は、引き込んだ部分がどうなっているかは判らないが、扇の弧の部分を全開すると、取っ手部分で停止した。
「えー!何それ!」
叫んだ深葉が駆け寄って、ラグラの脇から顔を覗かせた。
深葉を追ったピックが、飲料設備だよ!と答えた。
「近くの安全な海水を加工して作った磁萌水って言う水を飲料水にしたよ!左は凍り難いぐらいの冷たい水で、右は沸騰しないぐらいの温かい湯だよ。取っ手の棒を上げると出てきて、下げると止まるよ!気を付けて使ってね!」
「ふうん、なるほどね!こういうのも、案内するんだ!」
「そうだよ!」
ピルルルル、と、どこか機嫌良さそうにピックが鳴く。
どことなく、笑いを誘われる愛嬌を感じる。
「いい機会ですから、使ってみましょう。深葉は、水が良さそうですね」
「そうね」
「器は、こちらにしましょう。取っ掛かりはありませんが、一般的な水を飲むための器です」
「ありがとう!ええと、この棒を…」
「あ、水が出るのは、こちらの棒の先なのです。こちらは、取っ手、と覚えると、便利でしょうね。こちらの棒は、水を通す管だから、穴が空いているのです。水の道である管と書いて、水道管。この先にある、水の出口を、水口、こちらの湯が出る仕掛けの先を、湯口、と言い分けます」
深葉は、ふんふんと頷き、観察して、取っ手に手を掛け、水を出した。
すぐに水が満たされるので、ラグラが慌てた声を上げる。
「取っ手を下げて!そんなに力は必要ありません。ああ、そうです。湯口から出る湯は、熱いですから、器は縁の分厚いものを選んで入れます。こういうものです。取っ手がある方が安心ですけどね、こちら。それと、直接触れては、いけません。あ、そうか。痛覚などはないでしょうか?それでもやはり、用心した方がいいです」
「分かったわ!……ん。んん。じほうすい、て、これは、鉱物と植物の混ざり物ね。磁、萌、水、か。なるほど」
「ノーマ、お水が必要ですか?」
ラグラが声を掛けると、ノーマは、そうねと応えて、近くに来た。
「水差し、ああ、あるわね。こちらに、もらうわ。盆、あら、浮くのね」
鳥の飾りが付いた盆を、棚から完全に引き出すと、盆は浮力を持ち、いつの間にか、飾りの鳥の目に、緑の光が見えていた。
「そっと載せて!そっとね!」
そう言葉を発する。
「まあ、こんなことまで…」
ノーマが感心の声を上げた。
ラグラも、溢れる感動を抑えられない声を上げる。
「便利ですねえ…!私も色々、考えてみないと…!」
「まったくだわ!」
そんな声も、ちょっとは気になったけれど、深葉は、目の前にある様々な道具、ひとつひとつを手に取って、観察に余念がない。
ラグラは、ノーマがラディの許に戻ったので、深葉が手に取る、その、ひとつひとつを説明していった。
やがてそれが終わると、湯上げ布と手拭いを収められた部分を開けて確かめ、次に、枕の入った部分を開いて、確かめた。
「ふうん。同じ枕って言っても、形が色々なのね…!なかなか、面白いわ!」
「色や模様の違いも、使う者にとっては、気分が変わるなどの効果がありますよ。触り心地だけでも、気持ちいいとか、具合が悪いとか、感じるでしょう?見るものも、それに近い感覚がありますから」
「なるほどねえ…!人の国に行くのが、楽しみだわ!」
「はい!楽しんでもらえると、嬉しいですね!」
明るい笑顔は、自己紹介の時に見た、控えめなものではなくて、深葉は、ラグラという、その者を、改めて眺めた。
「? どうかしましたか?」
「いえ…何か、初対面の時と、印象が違うなと思って…」
「ああ…」
ラグラは、ちょっと困ったように笑った。
「あの時は、仕事中の意識が強かったので、完全に頭を下げないように、できるだけ、顔を伏せ気味にしていたのです。そうすると、顔全体に、影が落ちやすくなりますからね。見た目に不鮮明な記憶しか残らないのです。あ、でも、深葉の見え方は、人とは違うのでしょうか…」
「そうねえ…。私たち、木は、通常なら、ほかの生物とは、違う感覚のなかで生きるわ。ただ、今は、木人の視覚の造りを真似てるから、人に近いんじゃないかと思うわ。でもまあ、やっぱり、この見た目を見れば、違うところは、ありそうに思うわね…」
「モクジン…ああ、木の人、ですか。二容姿の方ですね」
「ええ。造りを同じにすることはできそうなのだけど、理解力が追い付いていないのね。そのもの…人が物を見ている、身体の器官を作ることはできるけど、その働きが不明瞭だから、働かせることができないでいる。それで、なんとか、自分に理解できる仕組みを加えたりして、調整しているのだけど、これで同じ、という確信は、どれだけ試しても持てないのよね…」
「へえ…。でも、現存する物体は、その組成を知らなくても、作れますよね?」
「うん。そこなのよ。組成を知らなくても作れる、というのは、物体の捉え方に問題があるの。鉱物は分かりやすいわ。その性質を捉えさえすれば、見た目には、同じものを作ることができるの。だって、鉱物は、そこにその存在があるから、存在のもたらす結果があるの。でも、生物は、ただ、そこに、身体を構成する物体があったって仕方がない。物体を、要所に組み立てて、繋げなければならないのよ。そうでなければ、その作り出した目に、光を見せることすらできない。その辺りに、たとえ力量は充分あっても、生物を異能では作り出せない、限界があるのだわ」
「ふうん…。その点、生物として同じ、人同士では、少なくとも、同じ機能で物を見ている、という強みがあるから、視力に問題がある人を、治せるんでしょうかね…」
「だと思うわ。それはたぶん、機能を完全に治しているのではなくて、治す人の知る景色を見られる仕組み、という定義付けによる、問題の改善なのよ。問題がなかった頃と、大体同じ結果になるなら、そこに本質の違いがあることなんて、問題には、しないんじゃない?」
「それはそうですね…。視力が戻ったという喜びの前に、言ってしまえば、どうでもいいこと…」
「でも、ちょっと怖いわよね。だって、治す者に悪意があるなら、ひどいものを見せることだって、できるってことじゃない?」
「それは…っ」
ふっと、ラグラは、寒さに襲われて、肌が泡立った。
その肌に、温かな風が当たり、いくらか、気持ちを助けてくれた。
「ん?今の…。何か、風の当たり方にも、仕掛けがあるのね?」
深葉が気付いて、何か、探るような目をする。
「え?そうなのですか?」
「ええ。なんにせよ、あなた、もう、寒いぐらいなんじゃない?湯に浸かった方がいいわ」
そこまで、じっと、ふたりの話を興味深く思いながら聞いていたミナが声を上げた。
「あっ!そうだね!私も、だいぶ良くなったし、ちょっと、ひんやり」
首から下は温かめなのだが、顔の辺りは、ひやりとする、とても弱い風が吹くので、吸う息は体を冷やす。
それに、温かいとは言っても、剥き出しの肌を温めると言うほどでもなく、ただ、風の当たり方が、柔らかいだけなのだ。
浴衣は、余分な水など含まず、湯から上がると同時に、体表にあったものも、水はほとんど流れて落ちてしまった。
そのため、水気は少なかったので、気になるところだけ拭けば、髪以外は、粗方風で乾いてしまう。
けれども、乾くと同時に、熱を奪われたようで、未だに水の残る頭の方は、結構、冷たい。
体調の悪かったラディも、そろそろ温まりたいようなので、低温水からにしようかと、移動することにした。
今度は、深葉の案内鳥ピックに頼んで、低温水の集まる区画、なかでも、温水浴に向かう。
それほど時間を掛けずに到着したそこは、いくつもある湯入りの円筒から成る段々があり、高い所から温度も高く、人が入ることができるのは、中ほどからだとピックが説明する。
「同じ温度の泉もあるよ!近い温度で泉を集めてるの!高い位置にあるところから、湯が溢れて落ちてくるけど、泉の中の湯はそんなに変わらない!縁に流れてる湯に気を付けて入ってね!」
泉は、5個前後でひとまとまりになっており、間には、幅の違う通路が挟まれて、泉の大きさも考え合わせれば、単独から多数の利用にも対応できそうだった。
「じゃあ、一番、高めの所に行きましょうよ。深葉も大丈夫かしら?ピック、判る?」
対象者ではないはずのヒュテリナの問いに、ピックは、ちゃんと反応した。
「ピュイッ!枝人形には、高温はお勧めしないよ!自分で調整できるなら、問題ないよ!」
「ふーん。それじゃ、ひとまず、試してみましょうか」
深葉の言葉に、一同は頷き、人が入ることのできる温度から確かめて、少し低いかなというところで落ち着くことにした。
「低温とは言っても、人にとっては、高温浴でも通る泉があるんですね」
ミナは、この施設の構築に関わったらしいヒュテリナに聞いてみた。
するとやはり、いくらか関わったようで、答えてくれた。
「ええ、高温浴にも、人には低い温度のものもあるのよ。種によっては、それでも高温だし、そういう定めの内なら、他種族との交流も自由が広がるでしょう?」
「ええ、かなり。イエヤ邸の改築の参考にします。今、考えているのは、本屋を寝るためと、食べるためと、集うための場所として、中の離れを、遊興のような交流の場、入浴を中心にすることなんです。本屋の方は、改築ほどでは、ないかもしれませんね。人数が特別多い時に、中の離れの入浴設備を使うという形です。あと、子供たちだけで、大人から離れて過ごすのもいいかなって、思うんですよ。離れの管理を行う大人が居るなら、ブドーとジェッツィが、今年13歳ですから、敷地内での責任は、本屋に居ることの延長でいいのかなと思うんです。まあ、まだ、もうちょっと、コーダとキリュウ次第かな…」
そこまで話して、一番、言いたかったことに立ち返る。
「あ。そんなで、イエヤ邸の使い方が、がらっと変わっちゃうかなって思うんです。あとのことも少しは考えますけど、今は、今の使い勝手を優先したい。子供たちを中心の家に。その中に、入ってもらえるでしょうか。考えてもらえるでしょうか?」
ヒュテリナは、その話の締め括りに、目を大きくした。
次に、その口から放たれたのは、ははっ、という、笑い声だった。
「あはははは!なんて子なの!人がそんなに、抱えていけるわけがないのに!」
非難されているのかなと、ミナは思ったけれど、そうとも言い切れないように、一頻り笑ったヒュテリナは、しばらく苦しそうに呼吸を繰り返して、自分と同じ、イエヤ家の嫁を見た。
「私ちょっと、アマリアが羨ましかった。ディートリは風の者にしては寛大でね。あの子が当主だった頃には、子供が、オズネル以外にも居て、賑やかだったの。なんだか、それが、妬ましくって、背を向けてしまっていたけど」
ヒュテリナは、ミナの顎を、両手で掬うように手を添えて、額を近付けた。
「今からでも、私、やれるかしら!?」
近過ぎて、よく見えないけれど、ヒュテリナの閉じた瞼の縁に滲むのは、湯の滴ではないかもしれない。
「分かりません。抱えられる数なんて、ほんとは、私にも、無いんです。いつだって、自分だけで、手一杯で。でも、だからこそ、自分のことだけ、するんです。押し付けって、言うのも、考えるのも、無責任だけど、そうじゃなくて。自分にできることがあるように、自分にしたいことがあるように、ほかの人にも、同じことが、言えるんですよね。デュッカはその辺、完全に割り切ってて、困ったなって、思うこともあるけど、すごく、救われる」
目を開けて、顔を離したヒュテリナに、ミナは、想像したことで、吹き出しそうになりながら、言った。
「言ってみては、どうでしょうか、わがまま。きっと、ものすごく、いやな顔をするけど、でも、なんか、仕様がないって、諦める顔が、浮かんじゃう。ふふ!」
ヒュテリナは、しばらく、その想像に時間を掛けてから、やっぱり、ふふ、と笑う。
「うわ。ほんとう、嫌そうな顔」
イエヤ家の直系らしい性質を持つ、自分の夫、ナイリヤのこと。
「ふふふ!あ!そうだ!それこそ、中の離れで試してみませんか!?改築の形から、利用の仕方の形作りまで、ひとつ、形になれば、次は、作りやすいと思うんですよ!」
「いいの?」
「もちろん、私の意見が主軸になります。ブドーとジェッツィの希望を取り入れて。詰め込み過ぎの建物になりそうですけど、それをうまく収める手伝いをしてもらえませんか!そこで満足するのかもしれませんし、途中から、自分の考えを形にしたくなるかもしれません。その時は、それでいいじゃありませんか。楽しいことって、楽しめることをしているから、楽しいんですもん!」
楽しむために。
何か、責任を負うためではなく、ただ、自分が、楽しむために。
ミナの提供する状況を、使えと。
「ふふ!」
強い、笑いの衝動が湧き上がる。
「任せなさい!私も、娘たちに、素敵なおばあちゃんって思われたい!」
「いや、おばあちゃんはないかも…」
「何それ!人の夢を!」
「いや、鏡、見てますよね、解りますよね、言いたいこと」
「そこは、はい、おばあさまって、言うのが嫁の務めなのよ!」
「うっ。はい、おばあさま…」
「きゃっ!初めて、おばあさまって言われちゃった!」
「き、強制的にですが…」
「ほほほ、次は嫁いびりね!」
「あ、じゃあ、それはアマリアの方で…」
そんな、家の作る、繋がりでの掛け合いは、それらしい遠慮と、同時に、気安さもある。
これから、気持ちの食い違いとか、生じるのかもしれない。
でも、戻って来てくれた、先達に、関わり合うのなら。
必要とすること、自立すべきこと、間違わないように、付き合って、いきたい。
そんな身近なところから、きっと、始まる。
組み立てられるのだ。
遠い昔に分かれた、この世界を共有する、仲間たちとの、つながりが。
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