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―早朝―
ピリリリリリ、ピィルリリリ、と、風の力を使って、気持ちよく音を奏でることが、鷦たちの日常での、お楽しみのひとつだ。
それに応えて、シークェンセスが、鳴き声を返す。
「チェーリッシたちだ!向こうも楽しいって!」
「なに!?ミナも居るのか!?」
目の色を変えるジュールズに、途中で分かれたって!とシークェンセスが教える。
鳴き声だけで、そこまで細かいことが判るのかと、同行していたムトは、シークェンセスを、じっと見つめる。
「なー、シークェンセスよおー、」
「ジュールズ、こんなとこで当人の連れ合い刺激しない!今日はキリュウの側に居るんでしょ!行っちゃいますよ!行きますよ!」
覆う部分の少ない浴衣では、肌に触れずに移動を強要できないので、なんとも具合の悪いファルセットだ。
「あーあー、どーせ触られんならかわいい女の子がいいのにー」
「俺だって、俺だって、ぶふっ!」
想像しかけて、呼吸をしくじり、思わず床面に両手をついて咳き込んだり、呼吸を乱したり。
「おーおー、少年よ、妄想を抱け!」
「なはッ!なあんのッ!標榜だっ!!」
「ジュールズ。無責任に煽るのも大概にしてください」
珍しく抗議するのは、やはり同行しているファルだ。
出会った当初は、控えめな印象だったが、守るべき存在が定まっていると、態度も確立するらしく、打ち付ける釘の位置が的確で、ムトは、ちょっと見直した。
ファルセットは、その声の冷たさに、びくっと肩を震わせている。
ジュールズは、面白くなさそうにファルを見ると、ちーえっ、と不満の声を出した。
「ふーんっ!だ!俺にだって、かわいい妹は居るんだ!かわいいジェッツィが居るんだもん!」
「ぶふっ!」
こちらも、呼吸をしくじったキサが、続けて激しく咳き込んだ。
ジュールズは、そちらを冷たい目で見ると、おまえは、からかい甲斐がねえからな!と、それなりに酷いことを言う。
「な、なんですか、からかい甲斐って…」
ファルの氷の空気の御蔭で、立ち直ることができたファルセットが聞くと、ジュールズは、ちろりと、順に視線を投げて、前を向いた。
「お前には教えてあげません!」
「はあ、何ですか、その局地設定の意地悪は」
「ふーん!ふーん!だ!」
謎な拗ね方に首をちょっと傾けて、ファルセットは、気を取り直し、キリュウたちを追うジュールズを追った。
男女に分かれた大浴場は、構成としては同じだが、特に入湯室の遊楽区画は、仕掛けが、かなり違う。
女湯は、流れに身を任せて漂うように、激しい流れというものが少なくなっており、男湯は、その逆だ。
同じ流されるのでも、衝撃には、ある程度の覚悟が必要で、そこを楽しむ鳥獣が多い。
誤って、爪や牙、嘴といった突起物や、長い毛など、引っ掛かりやら絡み付きやらに警戒して、キリュウとサキとエオには、入湯の間だけ、生物には直接、触れられないようにしてある。
遊び場よりも近くに寄れるので、体の触れ合いで意思を伝える、鳥獣の動きには、3人とも、穏やかになれる何かを、受け取っているように見えた。
人として、言葉は大切だけれど、言葉は無くとも、教わることはあるのだと、それを見ると感じる。
近くで見守るヘインは、すっかり保護者の顔付きに見えるが、時折、ジュールズを探して、こちらを見付けては笑顔で手を振るキリュウを見るに、自分が離れるには、まだ早いのだと、判断するしかないのだろう。
ヘインのことを、身近な存在として、求めている、と見える。
でもそれは、守ってくれる者ではなくて、仲間なのではないだろうか。
キリュウの意識には、そもそも、親という、絶対の庇護者というものが存在しないからには、家族の枠組みを作ることは、少なくとも、親と子から成る家族というまとまりに嵌めることは、現時点では難しいのだろう。
キリュウの理解と、心の育ちが、家族の構築と噛み合わない。
今、親という存在を刻み付けなければ間に合わない。
そうでなければ、何があろうと庇ってくれる、安心感を、キリュウは一生、得られない。
たとえ失われても、血は繋がっていなくとも、子供には、そういう、自分には確かに、親が居たのだと、そういう記憶があってこそ、安定した心を築けるものだと、思う。
アルシュファイド王国では、そのように親の存在を定義するからこそ、孤児保護施設は存在しないのだ。
今は1人でも、早い時期に、生活の場は、離れていても、きちんと、保護責任者だけは、1人1人にきちんと持ってもらう。
その理念の下、未成年者は、一時的な預かりとしている。
早い時期に肉親が失われることや、血が繋がっていても、親子の関係を作れないことはある。
ジュールズ自身、今でも、ネイは、保護者だけれど、親、とは、思っていないのだ。
育ててもらった記憶はなくても、自分の親は、失われた、あの2人だと思う。
それは、けれど、失われているから。
庇護者じゃなくて。
ただ、今、生きている自分を、与えてくれた感謝でしかないのだ。
そこに在る、自分の穴を知っている。
不幸に思う感情は湧かないけれど、それでも、その穴を自覚している。
現状の自分は、それも在って、形を成している。
今の自分には、好感を持って、突き進んでいる。
この先、どうなるか判らないけれど、ミナが居て、デュッカが居て。
マトレイが与えてくれたもの、オズネルが譲ってくれたこと。
ネイの慈愛と、ジェドの寛容。
そして、相棒。
ジュールズは、傍らで湯に浸かるレイネムの頭を撫でた。
気持ちよさそうな顔を見て、笑みが零れる。
「キリュウは、キリュウよな…」
彼には、親、という存在を、与えてやれないかもしれない。
それでも、人は、終わりの時まで生きていく。
代わりにはならないけれど。
自分のように、穴が生じても。
埋めようと、思わないし。
そういう、自分だから。
「ふふっ」
突然、笑い声を零すものだから、近くにいた年若い従者たちが、不審げにジュールズを見る。
失敬な奴らだ。
「なんですか、気味悪い」
ファルセットの、いつもの、余計に多い一言。
「お前は、ほんとう、かわいすぎて困るな」
「ぎゃっ!気持ち悪い!」
「わはははは!」
こういう、瞬間に、いちいち満足してしまう。
「うん!俺様、今日も、絶好調!」
天井の向こうは、もう明るい。
今日も、楽しい日に、していこう。
ぶつぶつ言うファルセットを、ちょっとだけ、いじめて、ジュールズは気持ちのよい湯に、肩まで浸かった。
なんたって、絶好調に、甘え上手な自分なのだから。
今日もまた、作っていく。
この先に繋ぐ、ひとつひとつの。
楽しい、こと。
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