調査4日目、親善

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       ―休暇日Ⅴ 尽きせぬ興味―    騎士というのは、どれほど時を()ようと、いや、接する機会がなかったからこそ、その伝え聞いた話は、今を生きる獣たちにも、信用を持たれているようだった。 騎士への警戒と、そうでない、彩石選別師などへ表す不審の感情は、ただ信じないということと、疑いを持つことの違いを、人々に教えるようだった。 それにしては、近くにラフィが()るからか、見た目に似たユクトのことは、透虹石の鳥獣たちに通ずる力と見分けてもらえたところもあり、人の子、(よう)するに庇護されるべき存在としても、大人たちとは違う扱いとなっているようだった。 一人前に仕事をしている自負があるので、見た目だけで子供扱いされることには、いくらか不満もあるのだが、距離を近付けてもらえることには、(とく)をした気分がある。 「人の子よ、あちらにも飴玉(あめだま)があるぞ」 (あめ)というものは、知らなかったのだが、合わせて真名(まな)も教えたので、その声には、存在を知った確かさがある。 ユクトは、ちょっと笑って、自分で取りなよ、と言ってしまう。 「さっきから教えてばかりじゃないか。一応、競争なんだよ」 「親しむための遊びとも聞いた。いいのだ、これだけあれば、しばらく楽しめるし、来なかった者らに分けられる」 磁竜のひとつであるという鉄竜メカニエのアバルヘイロは、所々の影に灰色が見える白色竜だ。 土を作ると、成分に鉄を構成する素材が多い。 鉄という存在を作るには、そのように意識する必要があるが、ほかの磁竜よりも、生成に苦労がない。 ただ、このような存在は、源始の祖であるアバルヘイロに特有の性質であり、子の世代から、血が薄れるにつれ、ほかと交ざって、鉄に限って生成技能が高いということは、なくなった。 けれども、容姿に関しては、残るところが多いので、それを指して、(すえ)の者たちは、鉄竜メカニエと名乗るそうだ。 逆に、容姿には表れずとも、鉄竜としての能力の高い者らは、鉄竜アレッサンドロと名乗り、兄弟姉妹でも、その存在が違えば、名乗りの(しゅ)が違う。 磁竜の島内では、そのように細分化されているが、ほかの島に行く時は、磁竜で統一している。 それほどに機会はないが、年に数度は、ほかの島に近付くので、その時に交流するのだ。 水竜島カサルシエラは、この地に固定されているが、多くの島が、浮遊しながら来てくれる。 「アバルヘイロ、その、メカニエと、アレッサンドロという名称は、どこからきているの?」 近くで遊戯に参加するテナが、このように、ちょくちょく質問を挟む。 騎士たちは、能力に合わせて、3人以上で活動場を分かれたが、ユクトとテナは、活動場の選択の時に互いに気付き、同じ所に行くかと、キリュウたちとも同じ、透明の空中陸地層、とでもしておくべきか、この活動場に来ていた。 「俺の息子たちの名だ。ほかの源始は、同じ鉄竜と(つがい)になったが、俺は汞竜(こうりゅう)の女を(つがい)としている。まあ、ほかの鉄竜よりも、俺が造られたのが早かったのもある。息子たちが生まれてから、俺と同じ(しゅ)となる鉄竜を造って、息子たちが子を()せるようにしてくれた」 「え、あれ、じゃあ、息子さんの名を名乗って…(かん)して?るの?」 「うむ。俺が混ざってもいいだろう。ひとりはつまらん」 「え?いや、でも、厳密には…」 「細かいことを言うなよ、面倒くさい!ああ、難しいことを言う娘よな!」 「うぐ!すっ、すみませんねえ!細かくて!そういうこと、きちんとするのが好きなのよ!悪い!?」 「うお。威勢の良い娘よ…機嫌を直してくれ。難しいことは嫌いだが、お前には嫌われたくない」 「う!なっ!なによ、なんなの、いえ、別に嫌わないですけど!」 「そうか。ふふっ。赤くなったな。照れているのだろう。そうだろう」 「ううっ!なんですよお!からかわないでくださいい!」 恥ずかしさで、乗り物の中で(うずくま)るテナを下方に見ながら、同じ仕様の乗り物で、深葉(フカバ)は辺りを見渡す。 地形としては、それほど珍しいものでもない。 深葉(フカバ)たちが根を下ろしていたコットンロットンモート・グォードには狭い範囲だったと言えるけれど、たまに連れて行ってもらったほかの島には、植物の無い地面も、起伏の激しい地形も、ちゃんとあった。 ただ、このような遊び場として利用されているのは、見たことがない。 やり方ひとつなのだなと、深葉(フカバ)は思った。 たったこれだけのことを、思い付くかどうかが、人という(しゅ)が、動かない最大の陸地、大陸を与えられた理由…たぶん、その、ひとつなのだ。 ほかの理由は、今のところ思い付かないけれど。 ()容姿(ようし)の者とも違う。 こんなにも、人という(しゅ)が違うのは。 わからない。 知りたい。 彼らとの違い。 彼らの()すこと、()したこと。 彼らが、打ち立てた、国というものを。 自分には存在しない感覚で。 自分が有する感覚で。 飴玉(あめだま)を味わう感覚だって、なんだって。 ここにあることは、ひとつひとつが、深葉(フカバ)には、未知のこと。 家の中から、窓枠に張り付いて眺めるのではなく。 扉から出て、体験する。 そんな、踏み出した一歩が感じさせている、これは、世界。 今、ここにある、確かな事象であり、存在。 自分の内側を広げてくれる、ものなのだ…。
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